第三十二話 リリーア様の優雅な日常



「ふう、今日もいい汗を流しましたわね」


 そう言って、リリーアは畑仕事に区切りをつけた。


 時期はもうじき十二月。

 丹精込めて育てたカブは、そろそろ収穫の時期だ。


 リリーアは途中からの参加だったので、苗から育ててはいないが。それでも我が子のように慈しんだ野菜は、すくすくと育っていた。


 こうして農作業に精を出すのは、えも知れぬ充実感があったらしく。

 彼女は非常に晴れやかな顔をして日々を生きている。


「おやリリーア様、今日はもう上がりですか?」

「ええ。そろそろ湯浴みの時間ですの。では、ごきげんよう」


 通りがかりに村民と挨拶を交わして、リリーアは微笑む。


 冒険が休みだからと、領民と共に農作業に精を出す領主の姿は。住民たちからは好ましく見えていた。

 領主代行である両親も問題無くやっているので、彼女の領地は順風満帆だ。




 さて、リリーアの家はお屋敷である。


 少し古くはなっているが、近くの森で採れた無垢材で建てられており、年季と歴史を感じる重厚な佇まいになっている。


 できれば見目麗しく美麗な屋敷に住みたいと思っていたリリーアだが、今ではこの家も悪くないと思い気に入っていた。


 住んで三ヵ月にもなれば慣れたもので。

 彼女は土間で汚れを軽く払ってから、奥の浴室へ直行する。


「今日の薬湯は白ですのね。初めての色ですわ」


 浴槽からは湯気が立ち上っており、湯の中には麻袋が沈められている。


 中身は薬草などが詰められているのだが。薬湯は美容と健康にいいからと勧められて以来、今では毎日薬湯だ。

 リリーアがこの村に来てから、一番気に入ったアイテムかもしれない。


「裏の山には、湯に晒すと白濁色になる薬草があるんです採れるのはこの時期だけなんですよ」

「どんな効能がございますの?」


 そして、裏で火をくべているおばちゃんは、リリーアの呟きに対していつも通りの解説をする。


「美肌と疲労回復のほか、打ち身や切り傷などに効果がありますね」

「へぇ、では身体を流してから……堪能させていただきますわ」


 彼女の屋敷にはお手伝いさんはいるが、召使いはいない。

 専属でメイドを雇うというよりは。村人を日雇いにして、家の掃除などをしてもらっているのだ。


 召使いに身体を洗わせる貴族もいるが、リリーアの家では自分で洗っていたし。冒険者になってからもそうだ。


 だから彼女は自分の身体を、植物の繊維で作られたスポンジで丹念に洗ってから。

 一度に十人は入浴できそうなヒノキ風呂の湯船を、独り占めすることにした。



「はふぅ。いい湯加減ですわぁ……」



 顔を上気させたリリーアは、気持ちよさそうに溜息を吐く。


 冒険者をやっているとは思えない、絹のように滑らかな肌を。一筋の雫がしたたり落ちていった。

 表からは焚火の音が聞こえて来るが、それも耳に心地いい。


 寒い中での農作業を終えたご褒美は、普通に入浴するよりも身体に染み渡る。



 かくして、彼女は幸せを満喫していた。



 一日の疲れを洗い流し、ほっと一息ついたリリーアではあるが。

 十分ほど湯に浸かってから、ふと思考が現実に帰ってくる。


「…………何か、違うような気が」


 自分が思い描いていた領地持ちの貴族とは、こんな生活をするものだっただろうか。

 そんな疑問が頭を過ぎったが。


「上がったらマッサージをしますね。その後はお夕飯ができていますので」

「はぁーい、ですわー」


 今は極楽にいるし、近所のおばちゃんはマッサージも料理も完璧なので、この後もいい気分に浸れるだろう。

 そんな幸せな予感から、リリーアは考えるのを止めた。


 これが、リリーア様の優雅な日常である。






    ◇







「山菜ごはんが美味しいですわー」

「お代わりもありますからね」


 リリーアの目の前でおひつを構える五十代のおばちゃんは、料理上手だった。


 もぐもぐと、いつも美味そうに郷土料理を掻き込む領主の食いっぷりを微笑まし気に見つつ、お代わりの準備にも余念がない。

 おばちゃんは食事を提供しつつ、届いた手紙をリリーアに渡す。


「ララ様とルーシェ様からお手紙が届いておりますよ」

「むぐむぐ。んむっ、ああ、そろそろ冒険再開の時期ですものね」


 暢気な生活をしているリリーアだが。

 冬の間は仲間たちも、それぞれが思い思いに過ごしていた。


 どうしてこうなったのかと言えば、主な理由はライナーが修行に入ったからだ。


 彼は囚人たちを受け入れて開拓団を組織してから、すぐに武術の修行を始めた。

 今では開拓作業以外の時間を全て、ノーウェルから修行を受ける期間に充てている。



 丁度いい機会なので一旦冒険者稼業を休みにして、それぞれの領地を見ていよう。

 時期もちょうど冬だ。

 寒さが一番厳しい年末までは各領地で過ごして、年明けからまた活動を始めよう。


 そんな話になっていた。


「でも領民の皆さん、お強いですし。私たちが冒険者をやらなくてもいい気がしてきましたわ」


 領民たちは皆逞しい。

 特に自警団の人間は、B級冒険者くらいの実力を持つ者がほとんどだ。


 魔物の群れだろうが盗賊団だろうが、村人だけで撃退可能なくらい強く。領主が前線で武器を振るう理由がない。


 そんなわけで、各領地は平和そのもの。

 特にイレギュラーも起きず。ゆっくりと、しかし着実に領地開拓が進んでいる。


「ふむ……意外と快適な生活ですし。領主として、統治に力を入れている方がいいのかもしれません」


 毎日領民と共に畑を耕して、一日の終わりに風呂を満喫する。


 それはそれで結構幸せだし。特に問題も起きていないのだから、彼女はそれがベストではないかという思考になりかけている。


 蒼い薔薇の領地を見渡した時、内政面で唯一あった誤算と言えば。

 ライナーが各領地から罪人を大募集したところ、数が思っていたよりも少なかったというくらいだろうか。


 王都に近いリリーアの領地にいた数が特別多かっただけで、他の領地ではそれほどいなかった。

 これ以上奥は辺鄙へんぴ過ぎると考えて、彼女の領地で止まる盗賊が多かったらしい。


 しかし、あってもそれくらいだ。

 マイナス方面での事件は何一つ起こっていない。


 だからダラダラ過ごす時間を引き延ばそうかな、などと思ったリリーアだが。



「そんなことだと思った。来て正解だったわね」

「え?」



 食事と思考に夢中だったリリーアが玄関へ目を向ければ、戸口にルーシェが立っていた。


 彼女は流されやすい親友が田舎の空気に負けて、だらけ始めた頃だろうと思い様子を見に来たのだ。


 そうしたところ案の定である。


 畑で冬野菜の栽培に精を出し、温かいお風呂と美味しいご飯を一日の楽しみに生きているリリーアは。

 引退した冒険者が思い描く老後のスローライフ、そのままの生活を送っていた。


「放っておくといつまでもなまけそうだから、迎えに来たわよ」

「心配性ですのねぇルーシェは。まあまあ、今日はもう遅いし、まずは地酒でも一献いかが?」

「まだ夕方なんだけど……」


 農民は朝も夜も早い。

 今や彼女の生活リズムは、完全に農家になっていた。


 貴族でもなければ冒険者でもない。完全な農家となりつつあるリリーアは気が緩み切っているが。

 今から気合を入れてもらえば間に合うだろうと、気を取り直してルーシェは言う。


「まあいいわ。ララとベアトは合流して来るし、セリアはもうライナーの領地に向かっていると手紙に書いたけど。……私の手紙、まだ開けていないのね」

「先ほど届きましたの。……まあ、お手紙なんてそんなものですわ」


 ルーシェが手紙を送ったのは二週間前だ。

 普通なら、どんなに遅くとも一週間あれば到着しているはずなのだが。

 これが僻地クオリティである。


 何はともあれ。


 ルーシェもリリーア自慢の薬湯に浸かり。

 お手伝いさんのマッサージを受けて。

 晩は山菜の炒め物をつまみに、二人で飲み明かした。


 リリーアに感化されたルーシェもとろけた欲望に負けそうにはなったが。

 翌日には気を取り直し、連れ立ってライナーの領地に向けて出立した。


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