夢の終わりに

「ん……」


 私は布団からむくりと起き上がり、大きく伸びをする。

 現在の時刻を確認しようと、眠たい目をこすりながら、メニューを表示する為に、寝ぼけた頭でイメージする。


「……ん?」


 メニューが表示されない。いくら鮮明にイメージしても、私の前にメニューウィンドウが表示されない。


「……あ」


 私は気づく。

 ここは、簡素な内装の宿屋の寝室では無い。見慣れた椅子に、机に、パソコン。寝心地の良いベッド。


「戻ってきたんだ」


 本物の朝日が、窓から私を照らしつけて、少し目を細める。

 ならば時間を確認するには携帯だ。私は、使い古しの端末で時間を確認すると、午前6時ぴったり。


「凄い長い夢だった……」


 ゲームの夢を見ていた事は確か。証拠に記憶は鮮明に残っている。あの後、一日中パーティメンバー募集にあちこち走り回っていたが、結局一人も集まらなかった。

 

 みんな、現実に戻ったんだ。


「今日の講義に出ないと……」


 頭に装着したアデリアを外して、洗面台の前に立って自分の顔を見てみると、酷い寝癖が立っていた。


「うわ、これはひどい……」


 とても、夢想世界で冒険をしてきた人間だとは思えない。

 私は、寝癖を直しながら出かける準備を進めた。







「お、おはよう」

「おはよう」


 大学に着いて、いきなり玲華と会ってしまった。

 夢想世界の事もあって顔を合わせづらいとは思ったが、意外にもいつも通り挨拶を返してくれる。


 ——もしかして、全部夢だったんじゃ。


「あ、夢だった」

「なに一人でぶつぶつ言ってるのよ」

「ああ、いや、別に……」


 それだけ言うと、玲華は目の前の席に座り、端末を弄り始めた。

 玲華がいつも通り過ぎて、逆に怖くなる。

 私は、おそるおそる玲華に聞いてみた。


「あの、玲華さん? あっちの世界の事、覚えていらっしゃる?」


 すると、玲華は端末を操作する指を止めて言った。


「リアルと夢の区別くらいつけなさい。あっちはあっち。こっちはこっち」

「だ、だけど、あんな事言われたら、なんか……」

「奏の事? それなら、でかい剣担いだ男の子から聞いたでしょ。今話すつもりも無いわ」


 ——でかい剣担いだ男って、やっぱり玲華も名前覚えて無いのね。


「いや、それは良いんだけど、なんか普通に接してくれるんだなって」

「言っておくけど、勘違いしない事ね。さっき言った通り、区別つけてるだけで、私はまだ貴方を認めてない」

「そ、そうですか……すみません」


 正直玲華には聞きたい事が山程あるのだが、詳しく聞く事はまだ無理そうだ。

 私は軽く溜息を吐いて、もうすぐ始まる講義を聞く為に前を向く。


 ——少しの静寂。


 私は、おもむろに口を開いた。


「今から言う事、全部独り言」


 玲華は何も喋らない。


「私、このゲームをして、冒険して、変わりたいって思ったの」


 たかがゲーム。

 最初はそう思って始めたはずだった。


「奏は、きっと、夢想世界でも何か悲しい事に巻き込まれたりしたんだよね」


 ただ、前だけ見据えて言う。


「だったら、私は、夢想世界を知りたい。MMORPGをもっと知りたい」


 だけど、私の周りにいた。どこの誰かなのかも分からない、本当の名前すら知らない人達が、必死に悩んで、必死に戦う姿を見て。


「私、行くよ。最大都市レヴァント」


 勇気を貰えた気がしたんだ。


 

 

 玲華もまた、何も言葉を発さずに前だけを見ていた。








 その日の夕方。


「ここ、だよね」


 私の目の前にある小さな墓石。


「久しぶり、優香」


 私は手を合わせて、黙祷する。

 ずっと行けなかった。いや、行く事を拒んでいた。優香の事を忘れたいと思っていたから。

 でも、違った。私は優香を覚えていなくてはいけない。これからも、ずっと。

 

 私は、ゆっくり目を開けて、静かに語りかけた。


「あの時、私は優香の気持ち、奏の気持ち、その両方に気づく事ができなくて、二人の事を傷つけてしまった」


 日が沈みかけ、辺りが茜色に染まり始めていく。


「優香はあの時、私達の出会いは間違いだったと言っていたよね」


 そよ風が私の髪を揺らめかす。


「確かに、そうかもしれない。出会わなければ、悲しい事も、優香が苦しむ事も無かったかもしれない」


 それでも、私は……。


「それでも私は、優香と出会った事、一緒にいられた事。後悔なんてしない」


 夕陽の光を、目を細めて眺める。


「この夕陽の光の中、一緒に帰った道。私達が一緒に笑い合えた時間が、幸せだったから」


 墓石に目を移すと、誰がお供えしたのか、ネモフィラの美しい花弁に目が止まる。


「だから、悲しい記憶も、辛い記憶も、忘れないよ。一緒にいた時間を、優香という友達を忘れない為に」


 そして、私は夕焼けに染まる空を見上げて言った。


「だから、ちゃんと言わせてほしい」







「さよなら」





 私、変わるよ。

 奏は今、どんな気持ちなのかまだ分からない。

 でも、あの時とは違う。

 ちゃんと、奏の気持ちを理解したい。だから、私は奏が閉じこもる夢想世界を知りたい。冒険したい。

 そして、奏の元にたどり着く為に強くなりたい。


 これがゲームの事だって言えば、優香は笑うかな。


 でも、私、バレー以来なんだ。本気で、頑張りたいって思える事ができたのが。

 一緒に戦いたいって、思える仲間ができたのが。


 それが、私のゲームをする理由なんだ。

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