夢の終わりに
「ん……」
私は布団からむくりと起き上がり、大きく伸びをする。
現在の時刻を確認しようと、眠たい目をこすりながら、メニューを表示する為に、寝ぼけた頭でイメージする。
「……ん?」
メニューが表示されない。いくら鮮明にイメージしても、私の前にメニューウィンドウが表示されない。
「……あ」
私は気づく。
ここは、簡素な内装の宿屋の寝室では無い。見慣れた椅子に、机に、パソコン。寝心地の良いベッド。
「戻ってきたんだ」
本物の朝日が、窓から私を照らしつけて、少し目を細める。
ならば時間を確認するには携帯だ。私は、使い古しの端末で時間を確認すると、午前6時ぴったり。
「凄い長い夢だった……」
ゲームの夢を見ていた事は確か。証拠に記憶は鮮明に残っている。あの後、一日中パーティメンバー募集にあちこち走り回っていたが、結局一人も集まらなかった。
みんな、現実に戻ったんだ。
「今日の講義に出ないと……」
頭に装着したアデリアを外して、洗面台の前に立って自分の顔を見てみると、酷い寝癖が立っていた。
「うわ、これはひどい……」
とても、夢想世界で冒険をしてきた人間だとは思えない。
私は、寝癖を直しながら出かける準備を進めた。
◇
「お、おはよう」
「おはよう」
大学に着いて、いきなり玲華と会ってしまった。
夢想世界の事もあって顔を合わせづらいとは思ったが、意外にもいつも通り挨拶を返してくれる。
——もしかして、全部夢だったんじゃ。
「あ、夢だった」
「なに一人でぶつぶつ言ってるのよ」
「ああ、いや、別に……」
それだけ言うと、玲華は目の前の席に座り、端末を弄り始めた。
玲華がいつも通り過ぎて、逆に怖くなる。
私は、おそるおそる玲華に聞いてみた。
「あの、玲華さん? あっちの世界の事、覚えていらっしゃる?」
すると、玲華は端末を操作する指を止めて言った。
「リアルと夢の区別くらいつけなさい。あっちはあっち。こっちはこっち」
「だ、だけど、あんな事言われたら、なんか……」
「奏の事? それなら、でかい剣担いだ男の子から聞いたでしょ。今話すつもりも無いわ」
——でかい剣担いだ男って、やっぱり玲華も名前覚えて無いのね。
「いや、それは良いんだけど、なんか普通に接してくれるんだなって」
「言っておくけど、勘違いしない事ね。さっき言った通り、区別つけてるだけで、私はまだ貴方を認めてない」
「そ、そうですか……すみません」
正直玲華には聞きたい事が山程あるのだが、詳しく聞く事はまだ無理そうだ。
私は軽く溜息を吐いて、もうすぐ始まる講義を聞く為に前を向く。
——少しの静寂。
私は、おもむろに口を開いた。
「今から言う事、全部独り言」
玲華は何も喋らない。
「私、このゲームをして、冒険して、変わりたいって思ったの」
たかがゲーム。
最初はそう思って始めたはずだった。
「奏は、きっと、夢想世界でも何か悲しい事に巻き込まれたりしたんだよね」
ただ、前だけ見据えて言う。
「だったら、私は、夢想世界を知りたい。MMORPGをもっと知りたい」
だけど、私の周りにいた。どこの誰かなのかも分からない、本当の名前すら知らない人達が、必死に悩んで、必死に戦う姿を見て。
「私、行くよ。最大都市レヴァント」
勇気を貰えた気がしたんだ。
玲華もまた、何も言葉を発さずに前だけを見ていた。
◇
その日の夕方。
「ここ、だよね」
私の目の前にある小さな墓石。
「久しぶり、優香」
私は手を合わせて、黙祷する。
ずっと行けなかった。いや、行く事を拒んでいた。優香の事を忘れたいと思っていたから。
でも、違った。私は優香を覚えていなくてはいけない。これからも、ずっと。
私は、ゆっくり目を開けて、静かに語りかけた。
「あの時、私は優香の気持ち、奏の気持ち、その両方に気づく事ができなくて、二人の事を傷つけてしまった」
日が沈みかけ、辺りが茜色に染まり始めていく。
「優香はあの時、私達の出会いは間違いだったと言っていたよね」
そよ風が私の髪を揺らめかす。
「確かに、そうかもしれない。出会わなければ、悲しい事も、優香が苦しむ事も無かったかもしれない」
それでも、私は……。
「それでも私は、優香と出会った事、一緒にいられた事。後悔なんてしない」
夕陽の光を、目を細めて眺める。
「この夕陽の光の中、一緒に帰った道。私達が一緒に笑い合えた時間が、幸せだったから」
墓石に目を移すと、誰がお供えしたのか、ネモフィラの美しい花弁に目が止まる。
「だから、悲しい記憶も、辛い記憶も、忘れないよ。一緒にいた時間を、優香という友達を忘れない為に」
そして、私は夕焼けに染まる空を見上げて言った。
「だから、ちゃんと言わせてほしい」
「さよなら」
私、変わるよ。
奏は今、どんな気持ちなのかまだ分からない。
でも、あの時とは違う。
ちゃんと、奏の気持ちを理解したい。だから、私は奏が閉じこもる夢想世界を知りたい。冒険したい。
そして、奏の元にたどり着く為に強くなりたい。
これがゲームの事だって言えば、優香は笑うかな。
でも、私、バレー以来なんだ。本気で、頑張りたいって思える事ができたのが。
一緒に戦いたいって、思える仲間ができたのが。
それが、私のゲームをする理由なんだ。
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