「私がゲームをする理由」

小鳥遊

一章

忘れたい事

「ゲーム?」


 今日の大学の講義を終了するやいなや、私の友人である立花たちばな 玲華れいかに突然渡されたゲームの機材らしきもの。

 あまりに突然だったので、私は目をパチクリさせるばかりだった。


「それ、懸賞で当てたのよ。私もう持ってるから、引き取り手を探してた所なの」


 その黒いミディアムボブカットを揺らしながら、相変わらず表情筋を動かさず淡々と話す玲華は、たまにこのように突拍子も無い事を言い出す。

 くれるって事ならありがたいが、私、倉木くらき あかねは、ゲームという物をほとんどやらずに育った女。さっき知ってて当然至極のように言われた…えむえむなんちゃらって言うのもなんの事だかさっぱり分からない。

 私には、敷居が高い気がする。遠回しに断りを入れようと、ゲームに興味が無い旨を玲華に主張する。


「でも、私ゲーム全然やらないし」

「別に売っても構わないわ」


 まるで、その言葉が返って来る事が分かっていたかのように、玲華は即答で答えた。

 売っても構わないなんてあっさりと言うが、いくら本人の許可が下りてるとはいえ、友達からの好意でもらった物を現金に換えるほど、私は非常な人間では無い。


「あげるならもっとゲームが好きな子にあげなよ」


 どうせあげてしまうなら、私のようにゲームに興味のない人間よりも喜んでくれる人がいるはず。玲華はゲームが好きで、その周りにいる友達も、ゲームが好きな友達は多いのだから。


「ゲーム好きなら、このゲームを持ってない人なんていないわ」


 そんなに有名なゲームなのかな?


 私は丁寧に包まれた袋の中を覗き込むと、中にはヘッドホン……それともカチューシャとも見間違えそうな機械が見える。

 私が知っているゲーム機と随分印象が異なる形状に怪訝そうな瞳を向けるも、どこかで見たことあるような……ないような。


「さすがにゲームを知らない茜も、数ヶ月前にしつこいくらいニュースとか番組で、特集やってたのは覚えてるでしょ?」

「……あっ!」


 その機械が映っていたテレビコマーシャルが、私の脳の片隅に置いていた記憶を掘り起こす。


「これ、確かゲームの中に入って実際に戦ったりするやつの!」


 自分でも分かるくらい乏しい語彙力。

 実際興味は特に無かった私は、流すように見ていた為に、認識はその程度だった。

 玲華はその乏しい語彙力からくる言葉を言い換えるかのように、ゲームの作品名を口にした。


「DRMMORPG ソルニウス・オンライン」

「ディーあーるえむえむ……なんだって?」


 またなんかアルファベットの羅列が増え、更に何を表す単語なのか意味が分からない。いきなりそんな専門用語めいた言葉を口に出されても、理解出来る訳が無いじゃないか。


夢想現実むそうげんじつっていう世界で、全国のプレイヤーとリアルに冒険するゲームよ」

「夢想現実……」


 この単語は少し聞いたことがあった。まぁ、単語の羅列を覚えているだけで、その意味など到底理解していない。

 そんな私に、玲華は加えて説明を話す。


「簡単に言えば、夢の事よ」


 夢?


「夢って、寝てる時の?」

「そう。それを科学的に操作して、全国のネットワークに接続し統合したもう一つの世界」


 接続、統合など、なんだかまた訳が分からない。

 だけど、もう一つの世界というあたり、凄い技術なんだろう。

 しかし、未だに興味が無いように半笑いをする私を無視して、玲華は更に話を進める。


「夜寝る時にしかできないゲームなんだけど、そのお陰でリアルの時間を圧迫しないから、気軽にできるあなたにもオススメのゲームよ」


 寝るときにしかできないというのが、いまいちピンと来ない。睡眠をしながらできるゲームなんて言われても、どんなものなのか想像できやしない。それにリアルの時間を圧迫しないとは言っても、興味が無いものをやる理由にならないし。

 そんな私の心中を察してか、玲華はため息を吐いて言った。


「……とりあえず、やるにしろやらないにしろ、それはあげるから」

「ありがとうございます……」


 私はなんとも言えない微妙な笑顔を浮かべてゲーム機の袋を一応大事に鞄にしまうと、その石像のように変化の無い表情の瞳が少しだけ細められたかと思うと、玲華は私に語り掛ける。


「貴方、高校卒業してからいきなり看護師になりたいなんて言い出したじゃない」

「……そうだけど」

「私には、そうは見えないのだけど」

 

 玲華から向けられる視線から目を逸らして、私は笑う。


「そんな事ないよ。大学に入って、未だに将来の事考えて無い方がおかしい話でしょ」


 表情を一切変える事無く、私に視線を送り続ける玲華。私は顔を逸らしたまま、思い出したかのように筆記用具を鞄に詰め込む。


「貴方は、何か趣味でも見つけた方が良いんじゃないのって思っただけよ」

「大丈夫! 私だって、ちゃんと玲華以外にも友達いるし、看護師になる為の勉強環境だって整ってる。今の所は順調そのものだよ? それに……」


 私は、玲華の瞳に再び視線を戻す。


「もう、過去の話だから、あれは」

「…………」


 私のその言葉を聞き届けると、玲華は少しの間を置いて、席に置いていた鞄を持ち上げる。


「そうね。だけど、少しでもやる気になったら言うのよ」

「うん、気遣ってくれてありがとう」


 玲華はそう言うと、すたすたと歩きます出し、教室を出て行った。


 おおむねの事情は玲華も知っている。きっと、私の事を玲華なりに気遣ってくれてのゲームの誘いなんだろう。

 確かに何かに夢中になれる事を持つことは、人生を輝かせる大きな要因になる事なのは分かる。だけど、それがゲームというのが、今の私には想像できない。


 玲華は口数が少なく、いつも何を考えてるか分からないという要因もあってか友達は少ないが、こう見えて友達思いの優しい子だ。

 高校の頃からの付き合いで、私の一番の友達で一番の理解者なのだ。玲華の事だって他の人よりは良く知っているつもりだ。

 ゲームの事を頭の片隅に置いておきながら、私は帰り支度を進めた。





 大学を出て、玲華とは帰る道が逆方向の私は一人寂しく帰路についていた。

 そして、不意に帰り道の途中にあるスーパーを見て、家の冷蔵庫の食材が底を尽きそうな事を思い出した私は、買い物かごを手に取ってスーパーの中に入っていった。

 目の前の野菜コーナーから順に売りに出されている食材を物色しながら店内を回っていると、不意に私の名前が誰かに呼ばれる。


「あら、茜ちゃん?」


 聞き覚えのある声だった。声のする方へ振り向くと、見覚えのある顔がそこにあった。


「あ、おばさん……」

「やっぱりそうだわ。久しぶりね」


 40代後半くらいの女性が、にこにこしながら私の元へと歩いてくる。

 買い物カゴの中にはたくさんの食材が入っており、私の一人分の食事を用意する量とは比べ物にならないほどの量がカゴの中に積まれている。

 その中に見えるのが、キャベツ、ニンジン、玉ねぎにウィンナー。そして、固形のコンソメ。


「もしかして、コンソメスープでも作るんですか?」

「そうよ、よくわかったわね」


 さすがと言わんばかりに、嬉しそうに笑うおばさん。

 コンソメスープという料理に少し懐かしみを感じた私は、その理由を言葉にして話す。


かなでの好物ですから。高校の時、たまに私の実家で作ってあげてましたし」


 ——藍峰あいみね かなで。私の幼馴染の男の子。そして、この人は奏のお母さん。

 ある事件がきっかけで、隣の町に引っ越し、あれから一度も連絡を取っていない。


「やっぱり茜ちゃんは絶対いいお嫁さんになるわよ」


 その笑顔でこの言葉を聞いたのはおそらく三回目だろう。しかし、何度聞いても少し照れ臭い誉め言葉に、私は自分の短所を言う事で照れ隠しをする。


「そんな事ないですよ。整理整頓とか苦手ですし…」

「そこは、花嫁修業の一貫として苦手を克服するのよ」

「しょ、精進します」


 料理は人並みくらいにできる自信はあるが、どうも私は整理整頓が苦手なのだ。もちろん、部屋の見てくれは綺麗にしてるつもりだが、細かいところの掃除や整頓は疎かになりがち。

 昔はもっと目も当てられないくらい酷かったが、綺麗好きの奏の影響があってか、少しはマシになったほうだ。

 そんな他愛ない会話を繰り返すが、本当に話したいことは別にあった。


「あの……奏は今何を?」


 私は口調のトーンを変えて、話題を切り替えると、おばさんは少し悲しそうに目を逸らして話し始めた。


「……引っ越してから、言葉を話した事が無いわ」

「え……」

「一応、大学には通っているのだけど。新しい友達ができた様子も無くて、毎日心ここにあらずといった感じで」

「そう…ですか」


 それから、おばさんは奏の様子について語りだした。

 家にいる時は、一日のほとんどを部屋の中で過ごしているらしく、カーテンは閉め切っており、部屋の中はほとんど何もないらしい。


 当然、なのかもしれない。


 奏の痛々しい現状を聞かされる度に、胸がずしっと重くなっていく。

 お互い居た堪れなくなり、少しの間を開けて、おばさんは言った。


「茜ちゃん、奏に会ってくれないかしら。茜ちゃんと話せば、もしかしたら……」

「いいえ、行けません」


 私は、おばさんの言葉を遮ぎるようにして断った。


「奏が引っ越しを望んだ理由はご存知でしょう。もう、あの時を思い出させるような事はしたくないんです」

「だけど、奏がこのままで良いと思わないのよ。それに……」



 ——優香ゆうかちゃんも、二人がこのままなのは望んでないと思うわ。



 2年前の腕の傷が突然痛み出す。私は拳をぎゅっと握りしめて言った。


「あの事で傷ついたのは奏だけじゃありません。私だって、ずっと忘れたくて必死なんです。もう放っておいて下さい」


 そう言い切ると、おばさんは視線を落として悲しげな表情で言った。


「……ごめんなさい。ちょっと自分勝手だったわ」

「……いいえ、こちらこそ、ちょっと言い過ぎました」


 私はペコリとお辞儀して「すいません、失礼します」と、その場から逃げるように背を向ける。


「あ、茜ちゃん、何か落ちたわよ」

「あっ、すいません」


 どうやら振り向きざまの遠心力で、手提げのカバンからはみ出ていた荷物が落ちてしまったようだ。

 おばさんは優しくそれを拾い、私に渡そうとした時だった。


「それ……」


 おばさんは私の落とし物を見て、一瞬動きが止まった。

 どうやら私が落としたのは、今日玲華から貰った例のゲーム機だった。精密機械の為、落とした事でどこか壊れたりしてなければいいのだが。


「おばさんも知ってるんですか?結構有名なゲーム機らしいですが」

「いえ、どんなものなのかは知らないのだけど」


 そして、おばさんが目を細めてゲーム機を見つめ、思い出すように言った。


「同じ物が、奏の部屋にもあったなって」


 奏の部屋に……このゲーム機が?


「おばさん、それ、本当ですか?」

「え、ええ……その形。見間違えるはずないわ」


 どうかしたの?とでも言いたげに、驚きで目を丸くして返答するおばさん。

 玲華は、このゲームは全国のプレイヤーとリアルに一緒に冒険ができるゲームだと言った。

 私は、不意にそのゲーム機のパッケージに目を落とす。


 DRMMORPG ソルニウス・オンライン。


 奏が閉じこもる世界。

 夢想世界と呼ばれる夢の中に……。


「ここに奏が、いる……」


 私は、そのゲーム機が入った袋をぎゅっと握りしめた。

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