第34話 その頃宿敵(笑)の勝敗は?

「やったあああっ! 武先輩凄いですうっ!」


 リングから降りると香織が駆け寄って来て、俺の腕に掴まった。


「ああ。香織と勝子が伝統派空手対策に付き合ってくれたお陰でイメージ通りに試合が出来たよ。ありがとう」


 堀田選手との対戦を見越し、俺は先週の土曜日ジムでやる練習予定を変更し麗衣の家で行われる女子会に参加したのだ。


 そこで俺が我儘を言って伝統派空手の使い手である香織と勝子にスパーリングを頼み、対策を練ったのだ。


「キックに適応していたら勝ち目は薄いかも知れなかったけれど、思った通り、まだ空手の癖が抜け切れて無かったから対策が的中したわね」


 参謀役である勝子もほっとした表情だった。


「これでデビュー戦含めて3連続KO勝利ですかあっ? ヘッドギアと16オンスのグローブつけてのルールじゃあ信じられないハードパンチですね。とっても羨ましいです」


 ボクサーである吾妻君がそう褒めてくれると。


「ろっ……ローキックも凄く良かったです! レッグガードが無かったらローキックでもKO出来たかも知れませんね!」


 ローキックが得意な静江からもお墨付きが貰えた。


「その蹴りの秘密を知りたいのでおしりを触らせてください!」


「……悪いけどまだ試合が残っているから控室に戻るよ。そろそろ恵の試合もあるだろうから皆応援してあげてね」


 鼻息も荒く、手をわきわきさせている澪を無視して俺は控室に向かう事にした。


「武。私は一寸用事があるから先に控室に戻っていて」


 控室に行こうとする俺に勝子は声をかけてきた。


「ああ。分かったよ。先に戻っているからな」


 何の用事か気になるところだが、これ以上この場に留まると澪に痴漢される恐れがあったのでさっさと控室に向かう事にした。



 ◇



 一人で控室に戻る途中の事だった。


「オイ! 小碓! 待ちやがれ!」


 通路で後ろから声をかけてきた聞き覚えのある声にうんざりしながら振り返ったが、その顔の惨状を見て一瞬誰だか分らなかった。


「えっと……どちら様でしょうか?」


 俺が至って真面目に訊ねると、男は声に怒気をはらませながら言った。


「テメーをぶち殺す男、棟田だ!」


 やはり嬉しくないが声の主の正体は聞き間違えでは無かった様だ。


「はぁ? 棟田? お前どうしたんだ?」


 俺は棟田のあまりもの惨状を見てうっかり心配しそうになった。


 棟田は頬の両側に大きな絆創膏、鼻はガーゼの上にテープが貼られ、両目の周りはまるでトノサマガエルの様にぷっくりと膨れ上がっていた。


「お前、プロボクシングの試合にでも出場していたのか? どうしたら16オンスのグローブとヘッドギア付けていてそんな顔になるんだよ?」


 しかも、この短時間で物理的に可能なのか?


 心の奥底から疑問に感じたので真面目に聞いてみた。


「うるせー! 試合開始直後でいきなりインローでキンタマ蹴られた後、両目にヘッドバッド喰らうわ、レフェリーから見えない位置で肘や顔面膝蹴り喰らうわで散々だったんだよ!」


「そうだとしてもたったの1ラウンド1分30秒の試合で普通そんな顔になるか? というか興味無かったから試合観てないけど、2回戦まで行ってたの?」


「1回戦で反則野郎にTKO負けしたんだよ! 反則されなきゃ俺の勝ちだった!」


 というか、1回1ラウンド試合しただけでゾンビみたいな面にされたって事なのか?


 レフェリーが見えない位置で反則云々は嘘臭いし、そもそも、この顔を見た限りでは反則無しでも負けるのでは無いかと思うが。


「まぁ、お前の勝ち負けなんかどうでも良いよ。で、何の用だ?」


「何の用だじゃねぇよ! 今回はテメーが命拾いしたって事を教えてやったんだよ!」


「どうしてだよ?」


「とぼけやがって! 俺とやらずに済んだから内心ほっとしているんだろ?」


「いや、残念だとは思っている」


「そっ……そうなのか?」


 心なしか棟田は絆創膏に覆われた表情が少しだけ緩んだような気がする。


「だって、まぐれでも決勝まで上がって来てくれれば楽に確実に優勝できるチャンスだったからさ。まぁ始めから期待して無かったけれどね」


「テメー……マジで殺すぞ……」


 一寸だけ喜んでいたようにも見えた棟田はすぐに元の不機嫌そうな様子に戻ったと思うけど、絆創膏のせいで表情がよく分からん。


「まぁ、テメーは雑魚とばかり当たって決勝進出したみてーだが、俺を倒した都怒我阿羅斯つぬがあらしは2回戦も突破して決勝進出間違えねぇよ。お前のまぐれはここまでだぜ? もう奇跡は起こらねーよ」


 都怒我阿羅斯つぬがあらし


 それってリングネームか?


 アマチュアキックではリングネームが許可されていなかったような気がするので本名かと思うけれど、何か暴走族みたいに凄い名前だな……。


 そんな事を真面目に考えていると、棟田は俺に背を向けた。


「あばよ。テメーがサンドバッグみてーにボコられてる姿を見るのも良いけどなぁ、結果が見えた試合程面白くねーものも無いからな」


 言いたいことだけ言って棟田は去って行った。


 そこへ用事を終えた勝子が俺の元へやって来た。


「あのトノサマガエル知り合いなの? もしかして因縁でも付けられていたの? 私が黙らせておこうか?」


 勝子もあのトノサマガエル……じゃなくて棟田が誰だか分らなかったみたいだ。


「いや、あれじゃあこっちに手の出しようもないだろうから良いよ。そんな事よりか用事はもう終わったの?」


「うん。敵情視察で堤見選手の試合を直接見ていたの」


 堀田選手と並ぶこのトーナメントもう一人の優勝候補、堤見選手の試合を観ていたという事だが、幾ら何でも観戦時間が短すぎないか?


「それにしちゃあ、やたら帰ってくるの早いね?」


「ええ。ツヌガ何とかって言う珍走みたいな名前の選手が話にならないぐらいクソ弱くてね。堤見選手のファーストコンタクトのワンパン、しかもジャブでKOされて全く参考にならなかったのよ。それにしても、どうしたらツヌガ何とかみたいなのが勝ち抜いてきたのか不思議よねぇ」


 そんな奴を相手に棟田がどうしてあんな顔になったのか?


 謎は深まるばかりだった。

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