第14話 キックボクシング中級クラスの練習(3)

 練習の仕上げはマススパーリングを行う。


 試合に限りなく近い形で相手との攻防を行うのがスパーリングと呼ぶのは言うまでもないが、マススパーリングとは通常のスパーリングと違い、力を6割か7割程度に抑えたスパーリングである。


 マススパーリングはアマチュアのAクラスの試合と同じ2分で行われ、先ずはパンチだけのスパーリングを行う。

 怪我防止の為、ヘッドギアとレッグガードと呼ばれる革製の脛当てを装着した。


 このまま竹内さんとスパーリングをするのかと思いきや、麗衣が竹内さんに話しかけてきた。


「竹内さーん。武のスパーの相手、あたしと変わって良いスカ?」


「良いけど。急にどうしたんだい?」


「武をジムに誘ったの、あたしなんで、一寸成長具合を見てみやろうかなーって」


 麗衣はパンパンと16オンスのグローブを叩いて、やる気満々だった。


「分かったよ。じゃあ、俺は十戸武ちゃんとスパーすればいいんだね?」


「そうして下さい。アイツ、ああ見えて結構強いですから油断しているとやられちゃいますよ?」


「はははっ。注意しておくよ」


 今回はマスだけど、ガチでスパーリングをしたならば、普通に考えたら女子で総合格闘技がメインの恵では相手にならないと思うだろうけど、多分竹内さんもそう思っているだろうな。


「麗衣、俺達がスパーやるなら女子会でも良いと思うけど?」


 麗のスパーリング会である女子会ではメンバーが女子に偏っている為、ジムではなるべく自分より長身の男子を相手にスパーリングする事に決めていたのだ。


「まぁそうだけどな。武も試合出たいんだろ? あたしもフライ級(48~51キロ)に上げる予定だから、体格も体重も丁度良いだろうし、お互い少しでも多く試合を想定したスパーした方が良いだろ?」


 通常体重は麗衣は46キロなので、女子のアマのフライ級リミットでやるには2キロ増量する必要があり、逆に俺は55キロぐらいなので、フライ級でやるには4キロ減らす必要があり、同じフライ級でも大分意味合いが違うのだが。


「いや、身長は近いけれど通常体重は俺のが全然上じゃん。それにやる階級が同じだとしても男子と女子じゃあ筋力が違うって聞いた事があるけど」


「あ? あたしが何人も体格が上の格闘技も使う珍走倒してきたのを見てきただろ? 今更男子とか女子とかいうか?」


 女子の筋力は男子の65パーセントぐらいであり、訓練しても77パーセント程度であるという。

 ただ、競技能力に関して言えば女子でもトップレベルの競技者であれば、平均的な男子の競技者よりも優れているともいう。


 その説を裏付けるのが、数年前にやっていたテレビ番組では女子の立ち技格闘技トップ選手一人と、男子の格闘技経験者の芸能人三人と続けざまに対戦したところ、男子の芸能人が手玉に取られ、容易く三人抜きされていたのを思い出した。

 あれがプロレス的な台本ではなく、ガチンコであったとすれば女子の競技者でもレベルによっては男子の競技者に勝てるという事だ。


 麗衣があの女子選手のレベルにどれだけ近いか分からないけれど、女子のアマチュアではトップクラスなので短いラウンドに限れば下手なプロよりは強いだろう。


「あと、マスだからな。ガチンコのスパーじゃねーし怪我の心配とかあまりしなくて良いからよぉ。遠慮するな。それともあたしじゃ物足りねーか?」


「とんでもない! 確かに愚問だったね。じゃあお願いするよ」


 こうして、俺は麗衣とマススパーリングを行うことになった。



 ◇



「てっ……テメー何時の間にかこんなに強くなりやがったのか?」


 スキンタッチではあるが、パンチのみのスパーリングは俺が圧倒した。


 麗衣は最初に基本のパンチを教えてくれた師匠ではあるけど、全日本アンダージュニアで優勝経験がある勝子とよく練習していて、ボクシングクラスにも参加している俺はボクシングの腕だけは何時の間にか麗衣を上回っていたようだ。


「いやいや。流石にパンチだけのスパーでムエタイの構えは無いでしょ?」


 パンチのみであれば、ムエタイ風の基本の構えではなく、前傾姿勢のクラウチングスタイルの方が有利かと思うのだが。

 ムエタイ風のアップライトスタイルの場合、ボディはがら空きだし、ガードも開き気味だし、マスだから関係ないとはいえ体重を乗せたパンチも打ちずらい。


「蹴りを加えた時に構え崩しそうだからパンチのスパーだからってスタイルは変えねーんだよ」


「でも、パンチだけだと距離がどうしても近くなるから臨機応変に変えた方が良いんじゃ?」


 デカイ声でこんなやり取りをしていれば当然トレーナーの益田さんに聞かれてしまう。


「こら! そこ痴話喧嘩してないで、次はキックだけのスパーをやるけど準備良いか?」


 益田さんに怒られると、他の練習生たちの間から笑いが起こった。


「痴話喧嘩じゃねーっすよ……でもスイマセンでした」


 麗衣は不満そうに口を尖がらせながらも謝罪した。


「ハイハイ。気を引き締めないと怪我をしますから集中してくださいね。じゃあ、次はキックだけのスパーリングを2分1ラウンド始めます。よーい始め!」


 益田さんがストップウォッチを押すと、今度はキックだけのスパーリングを開始した。


 キックだけのスパーリングの目的の一つとして、ミドルキックのカットを実戦形式の中でマスターする事にある。


 マススパーリングで膝を上げるタイミングを体感し、足を速く持ち上げ、脛できっちりキックをカットする。

 自分の体が回転しない様に上げた足はやや外側に向けてカットし、軸足も外側を向けると下半身が安定する。

 この際、膝を上げすぎると踵部分にキックが当たり、バランスが崩れる場合があるので注意しなければならない。


 次々と麗衣の放つミドルを右、左、右と膝を上げてカットする。


 レガースを着けているしマスなので衝撃は軽めだが、早くて中々こちらから反撃が出来ない。


「オラオラどうした武!」


 麗衣は調子に乗って来たので、俺はカットした足を落とすと間髪入れず前蹴ティープりで麗衣を突き放そうとすると、腹に衝撃を受けて、俺は後退した。

 麗衣も同じタイミングで前蹴ティープりを放っていたのだ。


「気が合うじゃねーか」


 麗衣は嬉しそうに言うが、こちらは全く余裕がない。

 キックのスパーは麗衣の優勢で終わった。


 次は、パンチとキックも含めた試合形式のスパーリング2分4ラウンドを行う。

 1ラウンド毎にスパーリングパートナーを交代し、色々なタイプの人とスパーリングを行った。


 スパーリングの目的は習ったことの確認であり、試合と違い勝つ事が目的ではない。

 無暗やたらに攻撃を仕掛けるのではなく、相手を観察し、相手の隙が生じたら、そこを的確に攻撃し、相手の攻撃は確実に防御する。

 単発の攻撃にならない様に、コンビネーションで攻撃するなど意識を持ってスパーリングを行った。


 スパーリングが終わると、最後に益田さんの掛け声に合わせ、ストレッチをし、体をほぐすとクラスが終了した。



 ◇



「お疲れ様! 麗衣さん。ハイ! 麗衣さんのボコリだよ♪」


 恵は麗衣にボコリスウエット、通称ボコリという物騒な名称のスポーツドリンクが入っているペットボトルを差し出した。


「ああ。わりいな恵」


 麗衣がペットボトルに口を付けようとするところを恵は期待を込めた視線でじっと見つめている。


 まさか、と思い、俺は麗衣に言った。


「待って! それ多分麗衣のボコリじゃないよ。恵の持っているボコリと逆だよ?」


 俺は恵が自分の飲んでいたペットボトルを麗衣に渡した事を看破した。


「え? そうなのか? そいつは気付かなかったな」


「え? 武君の勘違いじゃないかなぁ~」


「いや……。確かにあたし半分以上ボコリ飲んでいたはずなのに、今渡されたヤツは七割ぐらい残っているからな……」


「でっ……でもおっ。私と麗衣さんの間ならどっちの飲んでもよくない?」


 恵は恥ずかしげもなくそんな事を言い出した。


「いや、こんなに量が違うんじゃ恵に悪いしな。これ返すよ」


 麗衣は恵にペットボトルを返すと、代わりに恵が持っていたもう一本のペットボトルを取り、キャップを開けるとペットボトルを口にすると、ゴクリゴクリと喉が鳴った。


 恵は麗衣が飲んでいるペットボトルを取りたいように手を上げ、物欲しそうな眼をしていたが、視線にも気付いていない麗衣がボコリを飲み干す様を見届けると、暫しの間うなだれていた。


「どうした? 恵?」


「いっ……いえ。何でもないよアハハハっ!」


 恵は取り繕った笑顔を浮かべた。


 百合も尊いが、毒物(粥)を喰わされた恨みもあるし、このぐらいの意地悪はしてもOKだよね?


 そんな事を考えていると、恵が俺の肩に手をかけた。


「武君。この後の自主トレの時間スパーリングやらない?」


 クラス開始前、あるいはクラス終了後、自主トレ希望者はジムの空いたスペースで練習をすることが出来る。


 試合出場希望者などはクラスに出場するだけでなく、自主トレを行い、クラスで習った内容を練習する人が多い。


 特定以上の級を持つ者は自主トレの時間にスパーリングも可能である。


「いや……今日は初級クラスにも参加していたし、その前に自主トレもしていたから上がらせて貰うよ」


「ダメだよ。試合に出たいんなら練習量足りないんじゃない?」


 恵はニコリと笑いながら俺の肩にかける手の力を込めた。


 アカン。かなり怒っているな。


「十戸武の言うとおりだぜ。何なら俺がスパーリングしてやるよ」

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