第87話
5月3日
世界にモンスターが出現し始めてから24日目。
朝早くから、如月家に来客があった。その客は、孔老人とその孫娘である璃桜であった。明け方近くまでレベリングを行っていた薫が起きて来た時には、2人はリビングで両親と談笑していた。薫は挨拶の言葉をかけてから、孔老人と璃桜を非難した。
「家に来るなら事前連絡くらいして欲しいんだけど。もうラインのやり取り、止めようかな。前回と今回で2回目だよね。連絡という最小限の役にも立たないんじゃ必要ないし」
薫の言葉に、璃桜よりも孔老人が先に反応した。
「儂がサプライズだと言って、璃桜に連絡させなかった。璃桜は全く悪くない」
「それで? そっちの都合に僕が合わせなきゃならない義理も必要性も感じないんだけど?」
「ぐっ……申し訳ない」
「薫、もうその辺にしておけ」
「そうよ。こんなに可愛いお嬢さんもいらっしゃっているのに」
どうやら両親には、薫と孔老人は戯れ合っているように見えている様だ。璃桜は、薫の母親に褒められて「そんな、可愛いだなんて」と、両手をほっぺに当てて悶えている。
実際、璃桜は以前と見違えるほど可愛く綺麗になっている。おそらく、レベルアップによるステータス上昇の賜物だろう。璃桜が新人族に成ってから、今日で12日目。今でも炊き出しに顔を出している様で、SNSでは評判とファンが増えているのを薫は知っている。それなのに、璃桜のレベルは23になっているので、ダンジョンコア討伐も頑張っている証と言える。
「ただいま~」
「「ただいま」」
薫が1人で璃桜に感心していると、犬の世話を終えた雫たちが元気な挨拶をしながら現れた。
孔老人と璃桜は、驚きのあまり目を瞠り口が開いたままとなっている。さて、2人はどこに驚いたのやらと、薫は暢気に思考する。
「ぬおぉぉぉ、何と可愛らしい小人じゃ。もしかして妖精なのか?」
孔老人は、雫を指差して見当違いなことをいいつつも、かなり興奮している。ロリコンか。
「きれい……はっ。私は薫の恋人の孔璃桜。貴女たちは薫とどのような関係なのかしら?」
璃桜は璃桜で、アインスたちに一瞬
そこに、薫の両親の笑い声が。
「鳳鳴さん、落ち着いて下さい。その子は雫ちゃんといって、妖精ではなくて人間ですよ。まだ生後7か月に満たない赤子ですが、とっても可愛らしいでしょう」
「生後7か月!?」
孔老人は驚きの声を上げると、雫と武彦を何度も見返している。孔老人が驚くのも無理はない。赤子が歩くだけでなく喋っているのだから。
「私はアインス。そこの薫は、私とドライの旦那様だ」
「私はドライです。アインスの説明したとおりです」
「初めまして。薫くんのフィアンセの天野春香です。この子は、私の娘で雫といいます」
微かに有るか無いか分からない胸を堂々と張って、虚言で対抗するアインス。そして、有り余る胸を見せつけてアインスの話に乗っかるドライ。否、2人は本気で言っているが、薫は認めていない。
春香は、丁寧に璃桜に応対する。余裕が生まれている様で、璃桜の恋人宣言にも笑顔である。春香に紹介された雫は、にぱぁ~と笑顔になる。
「おぉ、璃桜に勝るとも劣らない可愛い子ですな。しかし、赤子とは信じられませんが……可愛いから問題なし」
「問題大ありよ。お祖父ちゃん、薫に美女が3人もいて妻とか婚約者とか言ってるのよ。私の立場はどうなるのよ」
「ふーむ。そうはいっても、璃桜はお友達から始めたからのぉ。頑張って振り向かせるか別の者を探すしかなかろう?」
「薫じゃなきゃダメなの。運命を感じたの。助けてもくれたし」
「まあまあ、璃桜さんちょっと落ち着きましょうね。はい、これでも飲んで」
薫の母親である美玖からお茶を勧められては、璃桜も断ることも出来ずに、素直に従い大人しく座ってお茶を飲む。鎮静効果のある薬を混ぜたお茶を飲んだ璃桜は、ほぉ~っと息を吐く。効果は十分にあった様である。
「それで、2人はどんな用事で家に来たの?」
薫の問いに答えたのは、母親の美玖であった。
「売買システムのキャンペーンが切れる前に、【建物】から購入したいものがあるから資金を提供して欲しいそうよ。あと、この前の桜が満開の場所で花見をしたいから、貸して欲しいんですって」
「資金提供って、借金ってこと? それとも寄付?」
薫は孔老人を見ながら問いかける。薫の眼差しと言葉に、険が含まれているのを感じ取る孔老人。しかし、それは覚悟していたことである。
「うむ。恥ずかしながら、今日の昼までに資金調達が間に合いそうにないのでな。是非とも資金を借していただきたい」
「薫、私からもお願い。協力してよ」
取り敢えず、話を聞くことにした薫。両親が2人を追い返していないのだから、丸っきり反対というわけでもないという事くらいは、察することが出来るようになった薫である。
「爺さん、この街の人口に対して食品工場DXの生産量は過剰じゃないかな。それと、平民タワーDXも贅沢すぎると思う。グレードダウンして貧民タワーDXにする事を勧めるよ。それと、ウルトラ温泉DXは不要だね」
「食品工場DXは必要だ。温泉は諦めるとしても、平民タワーDXから貧民タワーDXに格下げするのか。名前が悪くないか?」
「名前なんて気にする必要ないでしょ」
「待て薫。父さんも貧民は響きが良くないと思うぞ」
「そうよね。母さんも同じ意見よ」
「薫くん。平民タワーと貧民タワーの違いは名前以外にどう違うの?」
「僕が説明するよりも、自分たちで確かめてみれば? 平民タワーDXってかなり贅沢な物件だと思うんだけど」
薫に自分たちで確かめろと言われた面々は、売買システを見ている様で大人しくなる。そこへ、雫が薫の膝の上にやってきて、構えとアピールしてくる。薫はくすりと笑んで、雫の頭を優しく撫でる。
それを見た璃桜が、薫の所へきて雫を抱きたいと言う。しかし、薫は許可を取る相手が違うといって、璃桜の頼みを断り追加情報で止めを刺す。
「璃桜のへなちょこステータスじゃ、事故で雫に殺されかねないから絶対だめ。雫に一生もののトラウマを作らせるわけにはいかないでしょ」
「ななな・何で私が赤ちゃんに……助かりました。やっぱり薫も私の事が好きなんでしょ。もっと分かり易くアドバイスしてくれてもいいのに」
ほぉとか、まぁとか、溜息まじりの声を出していた面々が大人しくなったので、違いを理解し終えたようだ。
「どう、爺さん? 貧民タワーDXで十分足りるでしょ。それに、自分たちで購入できるんじゃない。食品工場DXは、爺さんたちの稼ぎがどのくらいあるかしだいだね」
「確かに、貧民タワーDXならば十分購入できそうじゃ。スキルのおかげで1500万SPなら余裕だ。食品工場DXは、どうあがいても無理じゃが」
「半額で購入できるんだからさ、爺さんのスキルは凄いよ。デメリットも凄いけどね。それで、1日どれくらい稼げるのかな?」
「ちょっと薫。貧民タワーDXを30億円で購入したら、1戸当たりの値段は30万円よ。有り得ないわよ、3LDKでバストイレ付で30万円とか。迷宮化防止結界も込みなんでしょ。それが、孔さんだと15万円なんですもの。月の家賃を4、5万。いいえ、1万円とかにしてもすぐに元が取れてしまうわよ」
「いや~、前回きちんと見ておくべきだったな。こりゃ、貧民って言うのが間違っている。凄いぞ、この【建物】は。ただ水道光熱は魔石で賄うとあるから、魔石の値段次第で住み易さが変わりそうだけどな」
美玖は貧民タワーDXの安さに驚きつつも家賃の事を話し、武彦は貧民タワーDXの肝が魔石にあることを指摘する。
「それこそ、爺さんたちの出番でしょ」
「うーむ。魔石はそんなに沢山、手に入らないんだが」
「魔石集めなら成長したダンジョンの浅層だろうね。奥に行ったらその分危険度が上昇するからね」
「それに、罠の厭らしさもだな」
「確かに罠は厄介だ。助言痛み入る」
孔老人は、薫と武彦のアドバイスに対して素直に感謝の言葉を述べる。
「それで爺さん、1日当たりの稼ぎは?」
「波はあるが、3千万から4千万SPあたりだ」
「流石、人海戦術って凄いね! それなら、食品工場DXを1つ代理購入しても良いかな。爺さんには、月に5.5億SPの返済をして貰うってことで大丈夫だよね?」
「おお、もちろん異存はない。どうかそのようにお願いする」
契約事に両者が同意しようとすると、璃桜が割って入る。
「ダメに決まってるじゃない! もう、お祖父ちゃんが薫から5億SP借りなさいよ。はい、薫はこれを5億SPで買って頂戴」
璃桜が薫に提示して見せたのは、薫が高校生活を送る予定だった高校の制服を着た璃桜の写真であった。薫は驚きで一瞬固まるも、ゼロコンマ1秒にも満たない時間であったため、誰にもバレていないと、薫は思っている。実際には、孔老人と璃桜以外にはバレている。
「へぇー。仁心高校の制服を着てるってことは、璃桜はそこの生徒なの?」
「そうよ。あそこの制服が気に入ったから入学したの。すぐに休校になっちゃったけどね。薫はどこの高校なのよ?」
「僕も仁心。入学式さえ出てないけど、クラス担任から休校の報せがあった時に、1-Aだって事は分かってる」
「わぁー、同じクラスじゃない。やっぱり私たちは運命の糸で」
「薫くん、私も去年そこを卒業したの。すごい偶然ね」
薫と璃桜の会話に、璃桜の言葉を遮るタイミングで春香が入って来た。璃桜は危うく「おばさんは」と口にしようとして思いとどまった。薫の母親もいるこの場で、春香をおばさん呼ばわりしたら、状況は不利になること確定であるからだ。
璃桜は考える――薫と春香を引き離し、自分が薫と居られる場所を――そう、学校だ。高校からは休校の報せ以降、何も音沙汰がない。
仮に学校がダンジョン化していたとして、学校を通常状態に戻しても、肝心の生徒や教師が居なくては、スクールライフなど出来ようはずもない。その為には、先ずは街の状況を、もっと安全に暮らせる環境にしなくてはならない。結局は、祖父の行いを手伝うことが、一番の早道であることに気が付いた璃桜。
璃桜は、薫にさっさと写真を買い取れと急かし、強引に話を進める。こうして、食品工場DXの件は決着が着いた。花見の件は、場所は提供してもいいが魔道具の貸し出しは却下した薫。母親の提案で、5月5日の薫の誕生日に皆で花見をすることになった。
用件が済んだ孔老人と璃桜は、去り際に薫へ万病薬(中)を販売してくれたお礼だと言って、黄金の鎖を通して作られた魔石のネックレスを渡して帰っていった。
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