第86話
世界にモンスターが出現し始めてから23日目。
薫は以下の内容を5月1日の深夜、SNSへ投稿した。
・餌を確保できない動物園の動物を無償で保護する
・預かる動物は、きちんと識別できるタグなりを付けた動物に限る
・動物園の再開の目途が立った場合は、返却する
・万が一保護した動物が死んだ場合、不問とすること
・2年以内に再開できない場合は、返却しない
上記に同意できる場合は、こちらまで連絡を。期限は5月7日午前中まで。
今朝チェックすると、かなりの反応があった。しかし、薫の想定とは違っていて、否定的な意見がかなり多かった。
その内容は、飼育員もいないのに戻すときに動物たちが言う事を聞くのか、出産・産卵などの管理のためには飼育員が必須、餌は動物ごとに違うしカロリー管理も重要だ、などの意見である。中には、素人は迷宮化防止結界と餌の提供をしてくれればいいといった、露骨な意見もある。
薫はSNSへの反応を返さず、期限が来れば打ち切ることにした。その際は、動物が栄養不足で病気になったり餓死や衰弱死した場合、動物園関係者を同様の末路にすることと決めた。命を軽く扱う者には同じ扱いをすることに決め、日本の法律も無視する構えである。
人間以外の生き物を道具扱いしている日本の法律が、とても異常なことに気が付いた薫は、考えを変えるつもりは全くないのである。
「ただいま~」
「「ただいま」」
雫の声にアインスとドライの声が続く。犬たちの世話を終えたアインスとドライ、雫を抱いた春香がやって来た。春香は動物が好きらしく、雫の情操教育にも良い影響を得られるからと、アインスたちと一緒に犬たちの世話をすることにしたのだ。
アインスとドライは、昨日犬の飼い方について書かれた本を熟読し、薫からスマホを1台ずつ支給された。今日は、春人から情報を集めるツールとして、スマホの扱い方を習うことになっている2人である。
5月3日のキャンペーン終了までは、ダンジョン探索は行わない事に決まったので、アインスとドライの知識を現在の状況と擦り合わせる良い機会となるだろう。
アインスとドライの2人は、昨日のダンジョンコア討伐で売買システムが使えるようになった。パーティーも組んでいたので、一気に200万SP所持になった。さらには、空間収納スキルも習得していた。
これらにより2人は、残念な存在から完璧に近い存在へとなってしまった。
空間収納スキルの習得は、あの亀、八島が原因だ。八島は、アインスたちにより鎮められ正気を取り戻してから、ツヴァイが復活するまで眠ることにしたそうだ。
その際、本体はアインスの空間収納で保護してもらい、精神の一部を切り離して作った、手の平サイズの亀として行動を共にすることになった。その小八島は、今もアインスの左肩の上に乗っている。
一家四人だった如月家に、ダンジョン発生後天野母娘が増えアインスとドライが加わり、多くの従魔たちも普通に生活するようになった。
テーブルを囲んで、大勢で食事を摂るのも悪くないと思う薫である。雫は満腹になった様で、自分で使用した食器に清浄をかけている。食後のルーティンとなりつつある。
いつもならこのまま眠りに入る雫であるのだが、如何したわけか薫の元へ歩いて来ると、ふわりと宙に浮いて膝の上にちょこんと座った。
皆が雫の動きを注意深く見守っていると、薫にしがみついて眠ってしまった。武彦は悔しい気持ちと残念な気持ちを味わいながらも、息子の薫に当たるわけにもいかず悶々とし、春香と座敷童たちはどうしたら良いのか分からずにあたふたし、美玖と春人は笑みを浮かべている。
当の薫は、左手を雫の背中へ回して右手で頭を数回優しく撫でると、そのまま食事を継続することにした。
薫が食事を終えると、雫の行動に関係するか分からないと前置きして、アインスは語り始めた。
今朝、犬たちの世話をしている時に、雫からパパはあげないと言われたそうだ。その時のアインスには、パパと薫が結びつくわけもなく、雫の言葉の意味が分からなかったそうだ。
だが、みんなの様子を見ていて、雫のとった行動がいつもとは違うものだと理解した時、雫が言ったパパは、おそらく薫の事だという考えに至ったそうだ。
「あくまで私の考えだぞ、旦那様」
生を受けてから雫より少ない数日で、ここまでの思考力・観察力を持つハイエルフ。理不尽な存在である。
アインスが語り終えると、その場の全員が沈黙してしまった。
春香は溢れる涙をそのままに、消え入りそうな声で雫にごめんなさいを連呼している。そんな春香を美玖は優しく抱きしめ、立派に育てている素敵なお母さんよと言葉をかける。
薫は服をしっかり握りしめて眠っている雫を、座敷童の太郎に瞬間移動で預けると、現在の天野親子の実家と言える場所[寛ぎの温泉宿・小島]へ向かわせた。
「雫ちゃんが薫の事を……元はと言えば薫の所為でもあるしな。普通なら幼稚園に通い始めて違和感に気付くんだが、やっぱり利発すぎるか」
武彦の呟きに、薫は何も言わない。以前、説教された時に雫が父親を恋しがる時期が早くなる可能性も示唆されていたからだ。まさか、薫本人がその父親役になっているとは想像できなかったが。
「兄貴はこういったところが抜けてんだよなぁ。責任はきちんと取るんだろ?」
「なんだよ責任って?」
「そりゃあ、春香姉ちゃんと」
春人の言葉に春香の身体が微かに震えた。薫は春人の言葉を遮る形で、言葉をかけた。
「いいか春人」
「なんだよ」
「雫が僕をどう呼んでいるか言ってみて」
「は? 呼び捨てじゃん」
「そう。だから、パパは僕じゃなくて犬の事じゃないかって、思うんだよ」
「犬がパパ? 分けわかんねえよ」
春人だけでなく、アインスやドライも疑問に思っているのが表情に出ている。
薫は保護した犬に名前を付けてはいないが、雫が犬の中の1頭にパパという名前を付けている可能性があると指摘する。さらに、首輪やタグに名前がある犬もいるだろうから、雫がそれを見つけて気に入った犬の名前だった可能性も示唆した。
「じゃあ何で雫が兄貴の膝の上で寝たんだよ」
「偶々じゃないかな」
「何だそりゃ。アインスの方より説得力ねえじゃん」
「そこまでいうなら、春人が雫に聞けばいいと思うよ。勝手に想像して変な答えに行きつくより余程いいからね」
「分かった。雫が起きたら俺が聞く。で、パパが兄貴の事だった場合は、どう責任とるんだ。今答えろよ」
「なるべく雫の希望に沿ってあげようとは思う。でも、雫は春人より強いし従魔の座敷童たちも春人の従魔より強いんだ。雫が生きていく上で、そんなに困ることはないと思うけどね」
「うっ。俺のことを持ち出してはぐらかすなよ。雫が望んだら春香姉ちゃんと結婚するんだろうな」
「僕は構わないけど、春香さんの気持ちの方が大事だろ? それに、今まで通りの生活をしていれば、特に結婚にこだわる必要はないと思うけどな。現に衣食住の内、食と住に関して問題はないし、贅沢しなければ一生暮れしていけるだけの余裕があると思うんだけど?」
春香は混乱していた。自分と結婚しても構わないと、薫が即答したからだ。
最愛の娘である雫を、片親という環境で悲しませていたのかと思っていたのに、もしかしたら全くの勘違いという可能性を薫が言い出した。
たしかに、いわれてみればその可能性も無いとも言い切れない。だが、春人の追及はそこで終わらず、春香と薫の結婚という話になったからだ。
薫は可愛くて綺麗な従魔にしか興味がないと思っていたのに、未婚で子持ちの自分でも構わないという。お世話になっている如月家の長男である薫に、自分のような人間が相応しいわけはないと分かっていても、嬉しさが込み上げてくる。
しかしそれは同時に、春香の心を苦しめる。愛娘をだしに薫を縛り付けること、恩人一家への不義理になると。
「春香さん、ダンジョンコア討伐をそろそろ始めるから、雫を連れてきて」
薫の言葉に現実へと戻った春香は、「あっ、うん」と返事をすると[寛ぎの温泉宿・小島]へと移動していった。
春香は自分の従魔であるミケ、コスモス、リリムから頑張って薫を落とせと応援を受けた。ミケたちは、薫の従魔であるタマたちと仲が良いので、2人がくっつくことに大賛成である。それに、命を預けている春香の心の痛みが従魔であるミケたちには伝わるので、応援するのは当然である。自分の主である春香には、幸せでいて欲しいと、3体の従魔は心から願っているのだ。
春香はいつから薫の事を好きと思うようになったのか自問自答する。しかし、具体的にいつからなのわからない。
よくよく考えれば、なぜ薫だけにお礼をしようと考えていたのか。一緒に住もうと誘ってくれた美玖、受け入れてくれた武彦に春人。この3人へのお礼を考えてもいなかったことに今更気付く。自分は何て薄情なのかと思うも、春香は無理矢理理由を作り出す。
貴重な魔道具やマナコインを提供してくれた一番の恩人は、薫だからだと。それを言えば、やはり最初に誘ってくれた美玖が最大の恩人であるのだが、好きになると、否、恋をすると偏光フィルターが掛かるのは人類共通であり、新人族になっても変わらない様で、春香の中では薫が一番になるのだ。
春香は従魔の応援を受け入れ、ポジティブに薫と付き合っていくことに決めた。ミケの情報(タマからの情報)によると、薫にはストレートに質問することが大切だと言う。さらに、最初よりも情熱的(エッチ)な視線は感じなくなったが、大切に思われているのは確かであるそうだ。
リリムからの情報によると、薫には魅了が効かないらしい。何をやっているのかとリリムを叱る春香であるが、リリスが自慢する薫を自分が誘惑して優越感に浸りたかったそうだ。結果は、問題になっていない事からも分かる通り失敗。薫の耐性は異常だと主張するリリム。
春香はここでピンときた。自分の魅了耐性、現在は全状態異常耐性となっているが、効果は80%である。しかし、薫にはスキル改造スキルがある事を思い出したのだ。どこからでも攻撃できるスキルに目が行きがちであるが、薫はスキルを改造できるのだ。
春香は思考する。耐性の効果が高くなっているから、魅力を感じにくくなっている? そう考えれば、アインスたちへの塩対応も納得できる。彼女たち真祖エルフは、女性の春香から見ても大変に美しい存在であるからだ。
そこで以前薫が言ったことを思い出した春香。
「レベルアップする毎に、春香さんも輝きが増してるから、今後は分からないけどね」
このままレベルを上げて行けば、薫の眼鏡に叶うのか。否、見た目だけでは無理だ。やはり、薫との継続的なコミュニケーションをしつつ、頃合いを見てボディタッチを増やしていこうと決めた春香であった。春香も薫の持つ雑多な本から沢山の情報を入手しているのだ。自らと雫の為にも、幸せは勝ち取るものだと固く決意した。
まだ雫の答えを聞いていないにも関わらず、春香とその従魔たちの早とちりについて教えて上げられる者は、この場には誰も居なかった。
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