第42話
4月18日
世界にモンスターが出現し始めてから9日目。
内閣総理大臣の伊部三蔵は、テレビ・ラジオ・インターネットをフルに使って、自身が新人族の活躍によりダンジョンより生還したことをアピールした。
そして、突然のダンジョン災害で亡くなった人々の冥福を祈るため、1分間の黙祷を行った。その後、国民一人一人が一丸となって未曾有の国難に立ち向かって行こうと、檄を飛ばした。
国会議事堂ダンジョンが東京をベースにした、超巨大なダンジョンに変貌している事を明かし、国家非常事態宣言を発令した。
手始めに、東京に来る事が出来る有識者へ、明日4月19日から始める会議に参加を呼びかけた。
インフラを守るために、迷宮化防止結界を最重要で設置するとして、その為にダンジョンを討伐する新人族を、国としてサポートする考えがある事を発表した。
現在、試験的に3つのチームをサポートしている事を明かし、その成果が出れば、順次サポート数を増やしていくとした。
これにはちゃんとした理由があり、昨日の如月薫の『ダンジョンクリア講座』で奮起した勇者たちが、戸建ダンジョンをそれぞれクリアしたからだ。
その結果、1人1人がレベル11へと至り、個人毎に10万SPを入手するという結果に当事者たちは歓喜し、伊部たちもダンジョン攻略に確かな希望を抱いたからだ。
政府は、1個1億円で迷宮化防止結界(中)をチームそれぞれから2個ずつ購入し、合計6個を、早速皇居と作戦司令部となっていたキャピトルに設置した。
2個ずつしか購入出来なかったのは、3チームにもSPでの装備強化を図るという明確な理由があったためである。余談ではあるが、須田官房長官は理知的に対応していた。
一方で、警察はダンジョンに入らず、暴徒の鎮圧に全力を注ぐようにと指示をした。抵抗する者は、殺しても構わないと言い切った。
自衛隊はテント生活者へ給水等のサポートをするようにと指示を出した。
意外な事に、殺人に対しての批判は少なかった。拘束しても拘留する場所もなく、マンパワー不足や衣食不足に治安悪化、止めとばかりにモンスターの跋扈するダンジョンの存在が、国民の心に大きく影響した為であった。
多くの国民は、川の近くでテント生活を送っている。理由は、排泄物の処理だ。
水は、近くの家から拝借しているが、トイレは何処も屋内にあるので、怖くて使えない。いつダンジョン化するか分らない建物内は、自殺するようなものだからだ。結果として、野外で処理する事になるのだが、穴を掘って埋めるのも限界がある。
当初は、排泄物をゴミ袋にいれて決まったゴミ置き場に出していた者たちも、ゴミの回収業者もこないので、ゴミは溜まる一方。カラスなどによりゴミ袋が破られ周囲に悪臭が漂い彼方此方に散乱している。
特に人口の多い地域は、みんなが同じような場所に穴を掘るのだからブッキングも多くなり、水の流れる川という発想に辿り着いたのだ。そのため、都市部では河川の汚染が酷い物となっている。
4月18日正午過ぎ。
内閣総理大臣の伊部は、補佐官の今井や護衛らと共に、如月薫の自宅を訪れていた。今回は、きちんとアポを取ってからやってきたのだ。
伊部らを出迎えたのは、如月薫本人のみであった。両親と春人は、近場のダンジョン討伐に行っているので、政府としては推奨すべき行為であり、非難など出来ようもなかった。
春香は、娘の面倒で忙しくなったので、しばらくダンジョン探索は中止する事になった。
伊部らが如月家の中に通される事はなかった。案内されたのは、何の変哲もないこじんまりとした庭であった。
伊部も今井も特に気分を悪くはしなかったが、薫の意図が読めなかった。
そんな彼らに、薫は声を掛けた。
「今から、6名だけ僕の別荘に案内しますので、そちらで人員を決めて下さい」
「別荘だって?」
「そそ。急いで決めて下さいね」
薫の別荘という発言に驚いた今井は、思わず声を出してしまった。対する伊部は、流石は内閣総理大臣にまで至った人物らしく、内心はともかく、その表情には微笑を浮かべたままであった。
話し合いは直ぐにまとまり、伊部と今井以外の4名が決定した。
「これが僕の別荘の1つです」
薫は、掌の上に[安らぎのコテージ]を取り出した。見た目は、単なるミニチュア模型である。
その場にいた者の大半が、間抜けにも口を開けていた。
「これは、[安らぎのコテージ]という魔道具です。これを設置できるスペースさえあれば、屋内屋外問わず、さらにダンジョン内だろうが暮らす事が可能です」
薫の説明に、伊部は興味津々といった表情となる。他の者は、今井も含め懐疑的な表情を浮かべている。
しかし、薫は淡々と説明をして、庭の地面に[安らぎのコテージ]を置いた。
「では、招待します。僕について来て下さい」
薫の姿が突然消えた。残された者たちが驚きの声を上げる。許可された6名以外には、[安らぎのコテージ]さえ消えたのだ。
伊部は、今井と選出した4名に声をかけると、[安らぎのコテージ]へ向かって歩みを進めた。その伊部に連なるように、今井らも歩みを進めた。
すると、伊部らの姿も忽然と消失した。少なくとも、残された者たちには、そう見えているのだ。だが、如月家まで同行を許された精鋭ゆえに、彼らがそれ以上騒ぐような事はなかった。
伊部たちは、玄関ホールと思しき建物内にいた。
伊部たちの前には、階段を背にした薫が待っていた。
「先程も説明した通り、ここはさっき見せた魔道具[安らぎのコテージ]の中です。取り敢えず、あちらへ移動しましょう」
薫に促されるまま、伊部たちは彼の後ろを付いて行く。
リビングへと案内され、円卓を囲む椅子へと皆が着席する。今井は、室内から窓の外を窺うと、緑豊かな丘とその先には森が見えた。外の景色は、明らかに先程までいた如月家の庭ではない事が分かる。
今井以外も、外の景色に驚いている様を見て、薫が声を掛けた。
「ああ、外が気になります? でも、外の景色が一体何処にあるのか、僕にもわからないんですよ。理由は、ここから出ると入った時の場所に戻ってしまうから。窓は開けられるし風も入ってくるけれど、指先がある領域を超えただけで元の場所に戻る仕様になってます」
薫の説明に、納得したように頷く者もいれば、首を傾げる者もいる。薫にとっては、どちらでも構わないのだが。
「これ([安らぎのコテージ])は、ダンジョンコアを討伐してドロップする迷宮核の宝箱から手に入れたものです。まあ、ショップでも購入できますが、その場合は1兆SP必要になるので、現実的ではないですね」
「1兆! それは、本来の価格なのかい?」
「そうですよ」
「ということは、100兆円!?」
余りにも高額過ぎる価格に驚きを隠せない一同。流石の伊部も、目を見開いている。
薫は、さらに[安らぎのコテージ]の説明を続ける。
「これは、設置できるスペースさえあれば、何処でもいいので。外が暑かろうが寒かろうが、室内の温度は一定に保たれるし、所有者と許可を得た者以外は、その存在を見る事も入る事も出来ない。食料はないけど、水とお湯は問題ない。室内の明るさも念じれば思い通りで、調理場は電気もガスもないけど、使用可能。そう、僕のような新人族やあなた方のような人類も使用可能? ……なのかな? まあ、出入りが出来る事は確かですし、物資の持ち込みだって可能です」
「薫くん。最後の方は、重要な気がするんだけど」
今井の質問に頷く一同。
彼らには、[安らぎのコテージ]の有用性が、良く理解できたからだ。
「ん? 持ってないのに重要も何もないと思いますが。それより、今日の要件を伺いましょう。あっ、これどうぞ」
円卓の上に、茶菓子とお茶が現れる。円卓前に座るそれぞれが、手に取りやすい場所に。
薫は、お茶を1口飲んでシュークリームにも口を付けてから、「どうぞ」と、再度促した。
伊部はなれたもので、お茶を1口啜り、ほぉぅと息を吐き、リラックス出来た事をアピールする。
今井も伊部に倣い、[安らぎのコテージ]に熱中していた思考から、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ありがとう、薫くん。お茶のお陰で落ち着けたよ」
「如月少年、昨日は大変世話になった。私も含め31名もの命が君によって救われた。救助に来てくれて、本当にありがとう」
今井の言葉に続けて、伊部は感謝の言葉とともに、薫に深々と頭を下げた。
「どういたしまして。その分、お礼は貰ったのでもう良いですよ」
「そう言って貰えると助かる。これで、今回の目的の1つは達成できた。ここからは、この国の首相として話をするので、聞いてもらいたい」
「聞くだけなら、構いません。対応するかどうかは、話の内容次第です」
「うむ、それで構わない。今井君、説明を頼む」
伊部の言葉に今井は頷くと、表情を引き締め言葉を紡ぐ。
「薫くんの情報のお陰で、件の3チームが最弱のダンジョンを昨日3つも攻略できた」
「件の3チームって、自称勇者たちのことですか?」
「ああ、その認識で間違いない」
「これからは彼らが頑張ってくれるから、僕たちの所に来る必要もないですね。でも良かった、これからも新しい漫画とか小説とか読めるって事だから」
「実はね、彼らから迷宮化防止結界(中)を6個購入出来たんだよ。お陰で皇居と臨時作戦本部の安全は確保できたんだけど、問題があってね」
「問題ねぇ……また部位欠損になる様な怪我を負ったとか? でも、今なら5万SPだから自分たちで買えるはず」
「ああ、薬があったおかげで彼らは五体満足だよ。問題というのはね、彼らが空間収納スキルなるものを習得するのに、途方もない時間が掛かるらしいんだ。それで、薫くんに迷宮化防止結界(極)を1つだけでも政府に売ってもらいたいんだよ。政府として、20兆円用意できているんだ」
「うーん、ダンジョンコアを討伐したんだから、50Pとレベル上昇分のスキルポイントを入手してるはずだから、結構すぐじゃないのかな?」
「そうなのかい? でも、彼らからの報告によると、最低でも3万必要らしい。だから、空間収納スキルというのは、容易に覚えられないそうだ」
「そういえば、昨日の異変があってから、必要スキルポイントが100倍になったんだ」
習得する為の必要スキルポイントが100倍になったのは、称号が関係するのではと、薫は思っている。
勇者たちは、迷宮核討伐者の称号を得ているだろう。もしかしたら、大物殺しの称号も持っているかもしれない。
結果は、迷宮核討伐者では必要スキルポイント100倍は、緩和されない事が確定した。
ならば、初級到達者の称号が必要になるという事だ。ただ、初級到達者のみが必要なのか、初級到達者プラス迷宮核討伐者なりの称号が必要なのかは分からないが。
少なくとも、薫たちがスキルを習得するぶんには変化は起こっていないのだから、関係ないと言えば関係ない。
雫にしても、新人族になってからスキル習得のポイントが100倍なんてペナルティーはなかった。
では、勇者たちやSNSで100倍になったと騒ぐ輩と自分たちの相違点はどこなのか?
因果関係を知っておきたいのは、薫の
初級到達者の称号を得れば、スキルポイント100倍も緩和されるとは言い切れない可能性もあるので、不確かな情報を与える事を避ける事にした薫である。
今井は、考え込む薫を見て話すのを止めている。思考の邪魔をしないよう、空気を読める男である。伊達に内閣総理大臣補佐官に選ばれたわけではない様だ。
思考が纏まった薫は、伊部らをぐるりと見てから今井に問いかける。
「えーと、政府の望みというか要件は何ですか?」
「1つは、先程も言った迷宮化防止結界(極)の購入。もう1つは、明日東京で開かれる有識者会議への参加依頼だよ」
「うーーん、迷宮化防止結界(極)を何処に設置する予定か聞いても?」
「東京に設置することに決まっているよ。何せ、天皇陛下のお住まいになられる皇居もあるし、この国の首都だからね」
薫は今井の回答を聞いて、バカじゃんと思ってしまった。いや、口に出ていたらしい。顔を引きつらせている今井を見た薫は、そう認識した。
「えと、バカって」
「つい、口が滑ってしまいました。でも、この前説明した事、覚えてますか?」
薫に問われて、しばらく思考する今井。
そして、あっと声を上げると項垂れた。どうやら、薫の言う事に辿り着いた様で、重要な事を思い出したらしい。
「伊部総理、どうしましょう?」
「ん? どういう事かね今井君。分かりやすく説明して欲しいのだが」
「申し訳ありません。昨日設置した迷宮化防止結界が無駄になります」
「その件は承知しているよ。結界の範囲が広くなるのだから、問題ない」
「後から結界を設置する場合は、先に設置した結界を排除しないと、後から設置する結界が消滅してしまうのです」
「ふむ。では、今ある結界を移せば良いではないか」
「1度設置すると移動できませんし、壊さない限り消えません」
「……6億の税金が無駄になるのか。しかし大は小を兼ねるのだから、壊すのも致し方あるまい」
「それが、あの結界はとても丈夫でして……薫くん、結界の破壊も受けて貰えないかな?」
「破壊する結界の正確な数は? もし、他に設置された結界があった場合は、折角の(極)が消えちゃいますよ」
正確な数と問われた今井は、ハッと気付く。政府が購入したのは6個であるが、あの3チームが他に設置していないとも限らない。それに、他の新人族PTがダンジョンを攻略して設置している可能性もゼロとは言えない。
なにせ、東京は人口が一番多いのだから、新人族の数も多いだろうし可能性としては大いに有り得ることだ。
昨日までは、とてもとても低い可能性であったが、薫がSNSに情報を上げた事で、他にもダンジョンをクリアしているPTが誕生している可能性は大いに上がり、その者たちが安全を確保する為に結界を設置している可能性はさらに高い。
迷宮化防止結界(極)の範囲は、直径20kmとかなり広い。この中に1つでも結界が設置されていた場合、薫の指摘通りに巨額な税金が本当に霧消してしまう。
迷宮化防止結界(極)が手に入りさえすれば、設置は簡単だと思っていた。
世界に誇る東京が、完全とはいえなくても復活できると思っていた。だが、ダンジョン討伐の希望が出来たことによって、設置しても無為に消えてしまう可能性が出てきた。
今井以外も、腕組みしたり渋面を作ったりと、それぞれに大変な問題が持ち上がったと頭を悩ませている。
薫本人は、迷宮化防止結界(極)を売るとは、一言も言ってはいないのに。
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