第30話

 4月15日


 世界にモンスターが出現し始めてから6日目。


 その日、如月家には次々と来訪者があった。

 朝食を終えた時間に来たのは、自治会の会長とその取り巻き連中であった。


「やあ、如月さん、おはようございます」


 そういって、如月武彦へ朝の挨拶をしてきたのは、自治会長だった。

 挨拶をされた如月武彦も当然ながら挨拶をする。


「おはようございます、城井自治会長。それと、皆さんもおはようございます」


 如月武彦の挨拶に、自治会長の後ろにいた幹部連中も挨拶の言葉を返す。


「それで、幹部の方々もご一緒とは、今日は一体どのようなご用件でしょうか?」

「決まってるでしょう! お宅の息子さんが安全装置を持ってるそうじゃないですか。それを自治会のみんなで使わせて貰えるよう、こちらへ伺ったのですよ」

「なるほどなるほど。モンスターが現れて数日経ちましたが、我が家には避難誘導や安全確認に誰一人寄こさなかったのに?」

「それは……それぞれが対処に忙しかったわけです。みんな全力で、この訳の分らない状況に対処してるんです」

「ほー、そこにいる佐藤さんは、我々の班長のはずですが? 緊急事態に対して、班長は班員全員にメールを送り、全家を回って安否確認をすると決まっていましたよね?」


 如月武彦の指摘を受けた佐藤は、怒りで顔を紅潮させると反論した。


「それは、地震や火事などの場合じゃないか。それに、政府は緊急事態なんて発表してないぞ」

「うんうん。お前ら、2度と家の敷地内に入るな。ちゃんと警告はしたからな。それと、我が家は今年度から自治会を退会する。理由は、先程の不手際だ。これは、お宅らが法的には契約不履行になるだろ。互助組織とはいえ、組織で決を取り、決めた事を守るという、会員への最低限の対処をしていないのだからな」

「!? 先程も言ったとおり、みんな忙しくて」

「もう口を開くな。さっさと出て行け。でなければ、退去勧告無視でつかまえる。そして、警察が引き取りに来なければ、この場で処分する。どんな処分かは、わかるだろ」


 如月武彦は、侮蔑の籠った視線で自治会連中の顔を見た。


「あんたっ、何を言って」

「10」


 ――!?


「9……8……」


 ――!


 如月武彦が10を口にした時、意味が分らなかった連中は、続く9や8で、自分たちをとらえるまでのカウントダウンだと理解し、苦い表情となる。

 連中が理解したことを察した如月武彦は、玄関脇の砂利を掌に掬うと、合掌して磨り潰す。


「4」


 ――化け物だぁぁぁぁぁ


 ――殺されるぞ、逃げろ


 砂利とはいえ、石を手で磨り潰す様を見せられた自治会連中は、叫び声をあげながら走り去って行った。

 美玖が出て来た時には、玄関には武彦だけが佇んでいた。話を聞いた美玖は、「案の定、こういったのが出てきたわね。あ~やだやだ」と、あっけらかんと口にした。


 ダンジョン探索熱に浮かれている両親にとって、連中は邪魔にしかならない存在であったようだ。両親は、準備を済ませるとダンジョン探索へと行ってしまった。流石は夫婦、阿吽の呼吸とも呼ぶべきか、シンクロしていた。

 むろん、春人と春香の2人は、両親にドナドナされていった。


 4人が向かったのは、モンスターレベル11以上が出現するダンジョンである。しかし、実際にモンスターを視認しないとレベルが分らない4人は、事前に薫が鑑定を済ませているダンジョンへと向かったのだ。何と言っても、昨日は自分たちでモンスターレベルを確認しながらのダンジョン探索だったために、外ればっかりだったのだ。それでも、5つのダンジョンコアを討伐したのだが。


 両親たちのダンジョン探索理由は、主に歯ごたえのあるモンスター討伐だ。

 しかし、薫の理由は、【称号】の初級到達者が気になったからだ。


 昨日、薫は同じダンジョンコアを81個討伐した。しかしながら、レベルアップしなかった。

 薫は、マメにレベルアップに要したダンジョンコアをカウントして、メモしているのだ。

 薫は、レベル15からレベル17までダンジョンコア1個でレベルが1上昇した。レベル17からレベル18までに要したダンジョンコアは3個であった。さらに、レベル18からレベル19に要したダンジョンコア数は、9個であった。そして、レベル19からレベル20までは、なんと27個が必要であった。

 であるならば、次のレベル21には同数か3倍の81個が必要となるだろうと、薫は考えた。


 残念ながら、薫の予想は外れた。

 薫がこれまで討伐してきたダンジョンコアが存在していたのは、レベル10未満のモンスターばかりがいるダンジョンであった。


 ダンジョンから帰ってきた4人と情報交換も交えた会話をしながら、モンスターのレベルが11以上のダンジョンを討伐する事に決めた薫であった。

 同様に、父親の武彦たちも、レベル11以上のモンスターがいるダンジョンを探索したいため、薫に協力を要請したのだ。

 結果的には、互いの利益と確認ができるのだから、薫にとってはあまり問題ない。あまりというのは、4人が負傷などをしないか心配があるからだ。

 ちなみに、春香の心配というよりも、春香が死んだ場合に残されることになる、赤ちゃんが心配であるためだ。

 売買システムでは、蘇生可能なアイテムが未だに確認できていないのだから、薫の心配も間違ってはいない。


 なお、薫は1200万SP以上を保有している。魔道具の[安らぎのコテージ] も4個。家族と春香に1個ずつ渡しているにも関わらず。

 さらに、迷宮核の宝箱(小)から、スキルが手に入る事も判明した。

 出現したのは、[スキルオーブ](千里眼)という無色透明な6cmほどの球だった。所有者は、ジャンケンに勝利した春香となった。光の演出は虹色であったと記しておく。


 これほど大量に貴重な物を獲得できた理由は、招き猫レベル3の恩恵だといえる。

 前回の失敗を忘れていなかった薫であった。




 両親が自治会の連中を追い払った後、薫はダンジョンコアの討伐を始めようと自室へと戻っていると、来訪者を知らせる音が聞こえた。


 途中まで登りかけた階段を降りて、玄関へと移動する薫。

 用心スキルによると、緑の点表示であるため、相手にこちらを害する気は今のところ無さそうだ。

 千里眼で確認すると、紋付き袴姿の老人を守るように、黒スーツに身を包んだ強面の男たちが複数いる。道路には、黒塗りの高級車が止まっているのも確認できた。


 薫は自身の記憶を探るが、記憶の中に老人と男たちに関する情報は全くなかった。

 記憶力に絶対の自信があるわけでもない薫は、要件を聞けば済むことだと頭を切り替えた。決して考えるのが面倒とかではない。


「どちら様ですか? うちに何かご用ですか? 生憎と両親は出かけてしまいまして、伝言があれば承りますが?」


 薫は玄関のドアを開くと、早口で捲くし立てた。

 老人は驚いたのか眼を見開きはしたものの、それもほんの一瞬で、マジマジと薫の顔を見てきた。

 30秒ほども薫を観察した後、懐からスマホを取り出し眺めた後に口を開いた。


「お初にお目にかかる、儂はこう 鳳鳴ほうめいという者だ。この家に、如月薫という少年がいる事は調べが付いておる。儂の孫を助けたくれたそうでの、今日はそのお礼と頼みごとに参った。失礼だが、君は薫君かな? それとも弟の春人君なのか?」


 薫には、老人の言う人助けをした覚えが全くない。おそらく、SNSの情報で薫を知った人物だろうと考えた。

 老人は身形みなりもよく、それなりの人間を動かせる人物のようだが、今の薫にとっては、荒事になろうとも全く問題ないと考えている。


「僕が薫ですよ。でも、人助けをした覚えが全くありません。他人ひと違いじゃないですか?」

「複数人の証言を集めたから如月薫という高校生に間違いはないぞ。お主が4月10日に、暴漢から儂の孫娘を助けたとの証言を病院関係者から聞いておる。その日がお主の退院日であったので、孫娘を託された者がはっきり覚えておった。氏名と住所を聞き出すのに苦労したぞ。最近は、プライバシーだの守秘義務など面倒でいかん」


 ここで薫には、老人の話す孫娘に見当がついた。

 薫的には、助けたつもりなど全くないのだが、恩人となってしまっているようである。

 さきほど、勝手に野次馬的な輩と思いこんでしまった自分にちょっと凹む薫であった。


「どうだ、お主に間違いないのだろ?」

「あー、思い出しました。あの時のか。わざわざお礼を言いに来られるほどの事をしたつもりはないですよ」

「如月薫殿、孫娘を助けて頂き誠に感謝する。本当にありがとう」


 そう言うと、老人は薫の両手を自身の両手で包みこみ、拝むように額を擦り付け感謝の言葉を口にした。

 それから、眉根を少し寄せ困った表情になった。


「ああ、実は……孫がお主の写真が欲しいとせがんでの。恋をしてしまったようでの」

「はい? コイ? コイって恋? 恋愛とかの? 顔も知らない相手にですか?」


 恋という単語に動揺してしまう薫。クラスの女子とは話せても、クラスメートなだけでお友達とは言えない関係と思っている薫。女性から告られた経験ゼロの薫には、俄かには信じられない言葉で衝撃を受けている。


「最初に気に入って声をかけたそうだが、手元が狂ったとか言っておってよくわからんが、付き合えなくても写真で我慢すると言ってきかんのだ。だから、孫娘を助けてくれたお主に感謝している手前頼み辛いのだが、写真を数枚撮らせて貰えぬか?」

「数枚!? 1枚じゃなくて数枚も」

「済まんのう。顔に怪我をしておるから、人と会うのも嫌とか言って、テントに籠っておる。それも理由でストレスが溜まり使用人に八つ当たりして自己嫌悪に陥るという、悪循環を起こしておってな。写真程度で気が紛れるのならと、儂も安請け合いしてしまっての」

「激甘おじいちゃんかよ」


 薫は思わず突っ込んでしまった。

 ざわっと老人の後ろに控える男たちの気配が動いたが、老人の笑い声で霧散した。


「今や璃桜りおうは儂の宝だからの。隠し撮りも考えたが、恩人に対する義理を欠くわけにはいかん。だから、頼みに参ったのだ。もちろん、礼はあるぞ。おい」

「はっ。これに」


 孔老人の言葉に、すぐさま反応するお付きの人。人を使い慣れている人間と使われ慣れいる人間。

 薫とは住む世界が違う人間だと理解できた。


「詰まらん物だが、受け取ってくれ」


 そう言うと、孔老人が分厚い茶封筒を渡してきた。

 薫は迷うことなく受け取る。遠慮はしないようだ。中身はかなりの重量がある。期待に胸が膨らむ薫であった。


「開けても?」

「もうお主の物だ。好きに使ってくれ」


 非常識な薫であるが、送り主に許可をもらい中身を確認する。

 茶封筒の中身は、少女の写真であった。ランドセルを背負った小学生からブレザーに身を包んだ少女。どうやら、同じ人物らしい。


「あの、これをどうしろと?」


 期待外れの物を渡された薫の声のトーンが下がる。

 しかし、孔老人は気にせずに、ニヤリと笑みを浮かべて答える。


「可愛い璃桜の成長の記録だ。これでお主も、璃桜に興味を持つだろう。もし付き合う事になった時は、儂の許可が必要になるがな」


 薫は額に手を当て天を仰ぎ「とんだ孫馬鹿だな」と、呟いた。

 すると、孔老人は、薫にもう1つの茶封筒を差し出した。


「こっちは、撮影料だ。最低10枚撮らせてもらうぞ」


 そう言うと、孔老人は茶封筒を強引に薫に渡してきた。

 薫は、今度は無言で中身を確認した。万札がたくさん入っていた。数えるのが面倒な薫は、ポケットに仕舞う振りをして空間収納にいれて金額を確認した。中身は50万円入っていた。


 50万ならまあいいかと、薫は撮影する事を許した。ただし、「ポーズなんて取らないから」と、事前に言質を取ってから。高1とは思えないほど、薫は抜け目なく成長しているようだ。


 スマホで撮影を済ませた孔老人が、別れの挨拶をしてきた。それに合わせて、薫は見た目が小さな栄養ドリンクのような物を1本、孔老人へ渡した。


「これは?」


 手にした小瓶のラベルを見た孔老人は、薫に問いかける。

 晴れた空色で淡く発光する澄んだ液体の入った小瓶。その小瓶にはラベルが貼ってあり、飲める傷薬(小)と書いてあるからだ。


「怪我が一瞬で治る魔法の薬だよ。飲むじゃなくて飲める薬だから、患部にかけても問題なく効果を発揮する……メイビー」

「魔法の薬?」

「世界が変わっちゃったから、こういった物も手に入るようになったんだ。50万も貰ったから、そのお返し」

「ふむ。悪戯だったらお礼参りに来るからの」

「じゃあ、返してくれ」

「拒否する。貰ったからには、もう儂の物だ」


 そういうと、孔老人は男たちを引きつれて、さっさと帰って行った。

 薫は、迷宮化防止結界(小)でも要求しに来たのだと疑っていたが、完全な思い違いだったようだ。


 薫の渡した飲める傷薬(小)は、現在10SPで購入できる物である。俗に言うポーションだ。

 そんな物を1本だけとは、薫はやはりケチであった。否、財布のひもが固いのは良い事なのだろう。


 飲める傷薬(小)は、今なら5レベル以下のモンスター1体の討伐で購入可能なものだ。だが、SNSで情報を探っても販売どころか情報さえ出ていない。新たに情報を開示するか考える薫であった。


 飲める傷薬には、微・小・中・大・特・極と6ランクがある。微と小は手軽な価格設定だが、中から価格が跳ね上がる。

 理由は、シンプルに薬の効果にある。

 中からは、肉体の損傷を回復するだけでなく、HPの回復効果がつくためだ。

 なお、HP回復薬やMP回復薬やHPMP回復薬もあり、それぞれにランクがある。病気には病気が治る薬も当然あるのだ。

 専用の病気に効く特効薬ではないようだが、最高ランクの高価な薬ならば、あらゆる病も治せるらしい。説明が正しければ。

 残念ながら薫の望む蘇生薬は、現在のところ売買システムには存在しないが。


 孔老人の相手をしてちょっとだけ気疲れした薫は、自室へ戻るため階段を上がっていた。

 すると、数十の緑と赤の点が如月家へ近づいているのを確認し、深い溜息を漏らした。

 薫は、さっさと隠れ蓑になる人物か組織でも作るべきかと、ようやく考え始めた。

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