第24夜「優柔と不断」(下)

 キョウカは困った。こんな出だしのところで、モタモタと優柔不断している時間はない――。これはシミュレータだから何を失敗しても大丈夫。やれるだけ、やってみるより他はない。

 キョウカは今にも喉の奥から出てきそうな優柔不断をぐっと飲み込み、頬を引きつらせた無理矢理の笑顔で言った。


「分かった。待ってて。私、やってみる!」


 VRゴーグルを覗くとそこは縦孔たてあなの底、月の地下洞窟。扉が出すクロスワードパズルを即座に解いて開錠し、アルミ格子の中へ入る。ライトに照らし出された1番コンテナから、暗闇の奥にある9番コンテナまでの距離はゆうに50メートルはある。

 基地の保守部品として用意された量子通信グレードの光ファイバーは、最も長いものでも20メートルだ。これじゃ全然足りない。レネが「量子データの移動に中継器を使っちゃダメよ」と言っていたのがボディーブローのように効いてくる。コンテナからコンテナにバケツリレーしてる場合じゃない。

 そうなれば残る道は1つ――移動させるしかない。


 キョウカが静かに「9番コンテナ」と指示すると、ローバーはゆっくりと通路を進む。レネのデータが入るブレードをラックから引き抜き、1番コンテナまで運ぶつもりだ。

 得意のロボットアーム操作でコンテナ扉を器用に開けると、無数の緑色LEDがチカチカと点滅するサーバーラックが現れた。一体どのブレードを抜きとればいいんだろう?


「……」

「キョウカさん! 〈火鼠ひねずみ皮衣かわぎぬ〉だよ。思い出して!」


 38万キロ彼方から聞こえるユキの優しい声にハッとする。

 

 ――そうだ、これはレネさんの〈課題3〉と同じ状況だ!


 レネがデータに取り付けた識別タグは、決まった周期でアクセスを繰り返す自己修復プログラムとして機能していた。こうしておけば、ブレードの緑色LEDがビーコンのように決まった周期で点滅するから、迷子になっても見つけ出せる。ノイズからデータを護りながら一緒に助けを待ち続ける、まるで山岳救助犬みたいだ。なかなかよく考えられた仕組みである。

 竹取物語のかぐや姫は、炎に入れても決して焼けることのない幻の衣を求めたのだが、月面基地のはちょっと違った。燃え盛るように点滅する無数のLEDの中から、決まった周期で点滅しているものを探し出すのだ。


「よし。上手くサンプリングできた! えーと……あれ? 3番と……30番のスロットにも反応?」


 キョウカが解析プログラムを呼び出すと、お目当てのブレードに蛍光オレンジの印がオーバーレイ表示される。おかしい。レネのデータは1箇所のはずだ。

 ローバーの優柔不断AIは「この2個から先は決められないから、あとはよろしくー」とばかりに判断を停止し、キョウカの決定を待っている状態だ。


「えええ!? こらー、ちゃんと働けぇ!」

「キョウカちゃん、少し急いで」


 焦るアヤがたまらず声をかけた。

 キョウカの優柔不断が試されていた。シミュレーター上の時刻は23時を回り、月食が始まっている。キョウカのコントローラーを握る手も少し汗ばんできた。

 どちらもそれっぽいけど、どちらでも無いような気もして、キョウカはなかなか決められない。

 

 ――どっち? どっちが正解? 優柔と不断のどっちがダメなの?


「ねぇ、どっち? どっちにする!?」


 ゴーグルをかけたまま「ねぇアヤちゃん!」「羽合はわい先輩?」「得居とくい先生、ショーコさん……」と呼ぶキョウカの声は、地球にいるみんなには届かないみたいだ。誰の返事もなく、そのまま虚しく宙へと消えた。あまりの想定外の事態に、皆シミュレーターであることを忘れ、反応できないのだ。


「――だめだ、決められないよ……」


 見かねたユキが「落ち着いて」とキョウカの耳元で優しく声をかける。


「大丈夫だよ。この世界は、キョウカさんが選んだ世界なんだから。誰も文句は言わないさ。思ったとおり、やってごらん」


 キョウカは大きく深呼吸して、コクリとうなずいた。


 ――バイバイ、優柔。さよなら、不断。


「……」

「どうする? キョウカさん?」

「――両方とも、抜く」


 キョウカはすぐさまロボットアームを操って3番と30番の2つのスロットの停止ボタンを押し、慎重にブレードを引き抜いた。

 吹付けコンクリートのデコボコした足場。なんとも把持はじしにくい取っ手。ブレードを両手に持つ無防備なローバーにコンテナの扉が閉まりかけてぶつかるなんていう意地悪トラブルも、ぜんぶ想定済みだ。

 これは『課題1〈つばめ子安貝こやすがい〉』と『課題2〈たつくびたま〉』で訓練した通りだ。ローバーは音もなく作業を進め、一路1番コンテナへと戻る。

 

 この日のために準備したとしか思えないほど、レネの5課題すべてが符合していった。きっとレネさんは9番コンテナから出たくて仕方なかったんだよね、なんてキョウカは納得し、慎重に操縦を続けた。


 1番コンテナの空きスロットに2本のブレードが差し込まれ、息を吹き返したようにLEDが点灯する。鼓動のような点滅が始まったのを見届けると、キョウカはゴーグルを外して「ふぅう」と深い息をついた。緊張の糸が、緩やかに解けていく。


「ユキくん、あとお願い」

「ご苦労さん。頑張ったね」


 優しく声をかけられ、キョウカは乱れる髪もそのままにエヘヘ顔をした。彼はすぐにプログラムを再実行する準備にかかった。

 アヤは計算機班のテーブルにやってきて、2年生に混じってモニターを食い入るように見つめた。ユキから「月面望遠鏡、準備OKですよね?」と聞かれ、彼女は手をふるスバルに微笑んだ。


「OK」


 皆既月食が始まり、暗闇に包まれる月面基地。月面望遠鏡が通信衛星〈かささぎ〉からのレーザーをキャッチすると、その観測データが地下の1番コンテナに送られた。

 スバルとアイコンタクトを取りながらユキは静かにエンターキーを押す。その瞬間、量子コンピューターでベル測定プログラムが走りだす。

 5%……10%……15%……20%……。


「今度は大丈夫?」

「おそらく」


 進捗バーはゆっくりと100%まで伸びきり、ようやくレシピの出力が通知される。ほんの10秒ほどの時間が、とても長く感じられた。

 

 ――さあ、地球に帰っておいで。


 シミュレーターによる演習はここまでだ。

 あとは、通信衛星〈かささぎ〉からの「材料」レーザーと、月面基地からの「レシピ」レーザーが屋上の望遠鏡に届けば、作戦完了まで残りワンクリックだ。

 宣言通りショーコが持ち込んだ検出器ディテクターに光を集め、分析プログラムにかければいい。


 キョウカはこの夜、優柔も不断も、何もかも抱きしめてもらったような気分で、ユキに家まで送ってもらった。



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