第9夜「わらじとタイムマシン」(下)

「キョウカ!」

「探したよ! きょうちゃん!」


 カサネとノベルが息を切らせ、キョウカのいるブランコのところまでやってくる。声を荒げた後の「はぁ」という2人の安堵の表情に、キョウカは自分がどれほどの心配をかけたのか、ようやく理解する。

 公園の入口のほうからも誰かの声が聞こえる。自転車が1台やってきてキョウカは目を凝らすが、ライトが向けられていてよく見えない。


「誰? 水城みずきくん?」


 キョウカが家を出てすぐにカサネから連絡が行き、彼もあちこち探し回ってくれていた。「よ」と手を上げるユキに、思わずキョウカも無言で手を振り返す。


「ああ。よかった……。京ちゃん、ここにいたんだ」


 そういってノベルはハンカチで汗を拭きながら「ふー」と手すりに腰掛け、キョウカの頭のてっぺんからつまさきまで、彼女に怪我がないのを確認する。


「ゴメンなさい……。急に、家、飛び出したりして」

「京ちゃん。思いつめた表情だったから。心配したよ」


 ユキはすぐ横から、少し緊張した面持ちでペコリと頭を下げ、ノベルに声をかける。


「本当に申し訳ありません。理科部のこと、自分がお願いしたんです」

「……君が、水城くん? 京ちゃんと、仲良くしてくれてありがとう。でもね、君が謝ることはないよ」


 ノベルはいつもの通りのやさしい物腰のまま「これはね、京ちゃんの問題」と、ユキの謝罪をいなす。その表情は男友達との交際を懸念する父親というよりも、自分の信じる本質から目をそらさぬよう注意を払う科学者の顔である。


「そうだよ。選んで、水城くんにお願いしたんだよ!」

「京ちゃん……?」


 キョウカはブランコを降りてノベルの前に立ち、大きな目を潤ませながらまっすぐにノベルを見た。


「お父さん! 今の私を見てる?」

「?」


 ノベルは不意をつかれ、少し驚いたような表情を見せた。


「私、ちょっとだけ決められるようになった。優柔不断との付き合い方も、少し分かった。うまく手懐てなずけるとね、月面で役に立つんだ……。夜の理科部だって、私が選んで、私が決めたんだよ?」


 過去をいくつも並べて、その線を延長した先にあるのが、現在ではない。

 ノベルの目の前にいるのは、ブランコを押していた頃の幼いキョウカでも、優柔不断でウジウジとしている少女でもなかった。ましてや、それらの過去のキョウカを延長した未来に居る、ノベルの予想の範囲にいるキョウカでもなかった。

 いま彼の目の前にいるのは、もっと大人びた顔で、落ちる涙もそのままに「今の私を見てよ」とだけ訴えかける、凛として、自立した1人の人間だ。


「お父さんはさ、科学者なんでしょ? だったら、過去や未来じゃなく、目の前の今を見てよ……」


 メガネをふきおわったノベルに、ユキがスマホの画面を差し出す。


「あの、これ……」


 それは、2人が訓練した月面ローバーのAIのプログラムが、安全性テストの1次審査に合格したことを知らせる、研究所からのメールだった。


「僕からも、お願いします。もしかしたら、予想してない未来が始まってるのかもしれません。だから、もう少しだけ、このまま続けさせてもらえないでしょうか?」

「水城くん……」


 キョウカがユキに声をかけるが、彼は頭を深々と下げたままだ。その肩をノベルは我が子のようにポンポンと優しくたたき、手すりから腰を上げる。


「――そうだね。君たちの言う通りかもしれない。科学者失格だ。今をちゃんと見ていない僕の予想は、きっと外れるね」


 そう言って、ノベルはゆっくりとキョウカのほうに近づいてゆく。カサネもユキも、黙って親子2人を見守る。


「それに、本当に優柔不断なのは、お父さんの方だね。興味あることに、あれこれ手を出す京ちゃんの無限の可能性を、いつまでも見ていたかったのかもね……」

「お父さん……」

「でも、自分で選んだ道に、賭けてみても良い頃だ。今日、よく分かったよ。ありがとう。ほら、僕なんかより、もっとちゃあんと見てくれてる友達が、そう言ってるんだ。きっと間違いない」


 そう言ってノベルはカサネとユキに目をやった。2人とも、「にっ」と口角を上げながら、ノベルの目を見てうなずくようにした。


「よーし。どこまで行けるのか、試してみよう。その代わり、学校の成績は落とさず、竹戸瀬くんからの課題は完遂すること。困ったことが起きたら、すぐ相談。いいね?」


「ありがとう、お父さん!」


 キョウカは思わずノベルに抱きついた。ノベルは「おいおい」なんて言いながら頭を軽くなでる。キョウカはその、ごつごつしてて温かい、懐かしい手の感触に、また泣きそうになった。


「ねぇ、ブランコやろう? 背中、押してよ。もう1回だけ! ね!!」

「はいはい。わかったわかった」


 そう言うと、キョウカは再びブランコに座り、後ろいっぱいに引いてからこぎ始める。ノベルは慣れた様子で後に回り込むと、キョウカの背中を優しく押した。


 キィーコ、キィーコ―――


「アハハ。なんだか懐かしいな…… ね? お父さん?」

「ふふ。何年ぶりだろうね」


 雨が今にも降り出しそうな梅雨の夜の公園で、夏の青空のようなキョウカの明るい声が響いた。

 カサネは2人のブランコを目を細めながら眺め、手すりに腰掛けるユキの隣に座った。


「フフ。可愛い子には旅をさせよ、だね」

「そうだね。月に、ね。ハハハ」


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