淫魔の国盗り戦争!

かんなぎ

淫魔の国盗り戦争!

これは私の壮大な野望と戦いについての話なのだが、全てを理解して頂く為には一から説明していく必要があるだろう。

暫しお付き合い願いたい。


私は兄弟姉妹の中でもいっとう変わった淫魔だった。

快楽に対する認識は、正しく食事に対するそれだったのだ。

綺麗な男を何人か餌として家族から与えられていたが、そのどれにも執着心を抱く事はなかった。

兄弟姉妹が熱中するそれらに対して食事の時以外は一切興味を抱けなかったのである。

たかが餌に一体どんな感情を抱けと言うのか。

私からすれば餌の表情やら感情やらに一喜一憂する兄弟姉妹はどうにも馬鹿らしく、滑稽だった。

彼等も一線を引いて馬鹿にしたような目で見てくる家族など嫌いだったのだろう、その頃の家族仲はあまり宜しいものではなかった。


私はそんな冷めた淫魔ではあったが、美しさに対する理想だけは高かった。

もう少しだけ鼻が高ければ。

もう少しだけ目が大きければ。

もう少しだけ睫毛が長ければ。

もう少しだけ頬骨が出ていれば。

もう少しだけ唇が厚ければ。

鏡を見れば見る程自分に足りない美しさを考えては溜息を吐いた。

餌の持つ美しさを見る度に劣等感を抱き、どうせこいつらはすぐ老いるからと自分を慰めるだけの日々だった。

そんな毎日を送っていれば当然の話なのだが、次第に私の美醜に対する理想は増々高まっていった。


成人の歳を迎え、私は家を出た。

これからは自分の力で餌を手に入れなければならなかったが、生き方は自由だ。

生きるも死ぬも、誰かを従えるも従うも個人の自由だ。

自分の価値観を持って生きていく。

それだけだ。


私は、転生の魔術を自分に掛ける事にした。

生まれてから数十年と付き合ってきた顔だったが、もう自分のそれに耐え切れなくなっていたのだ。

たとえどれだけ時間がかかっても、新しく、美しい、理想の顔が欲しい。

そこで転生先は腹に宿した自分の子供――つまり、自分が納得出来る程度の顔の良い男の種で出来た子供にする事にした。

まあ時間はかかるかもしれないけれど、理想の顔を造る為には仕方あるまい。

兄弟姉妹には魔族の身体を捨てるという選択を嗤われた。

人間という種族は毎日食事をしなければ肉体を維持出来ず、付いた傷は治るのに物凄く時間がかかり、空一つ飛べない脆弱さに加え、短命だ。

確かに種族としては最悪な程の性能だが、ただ一つ世代交代の速さだけは大層魅力的だったのだ。

淫魔のみならず魔族は全般的に子が出来にくい種族だ。

長命である事がその理由だろうが、それ故に一度その形に生まれたら長い時間をその形で過ごさなくてはならない。

短命だが繁殖能力が高く、術を使えば次々と身体を交代する事のできる人間は、私の希望にマッチしていたのだ。


そこで早速私は子を作る為に行動を起こし始めたのだが、最初は暗澹たる結果だった。

私は淫魔にあるまじき不器量だった為に、道行く旅人に魅了の魔法をかけて深夜に寝込みを襲うぐらいしか出来なかったのだ。

魔族の中でも低位に位置する淫魔の下流階級に生まれた私では、淫魔の最大の特徴と言っていいはずの容姿も特段美しくはない。

魅了の術こそ一級品ではあったが、容姿が微妙では相手が醒めるのも早く、種を手に入れるのすら難しかったのだ。

だからこそ寝込みを襲っていたのだが、そんな事繰り返していれば下手すれば私が淫魔だと勘付かれて討伐されかねない。

魔族の身体ではやはり何度も何度も繰り返さなければ子供を孕む事もなく、終いには私を嘲笑っていた兄弟姉妹に泣きつく結果となってしまった。

まあ、それで兄弟姉妹との間にあった溝を解消出来たし、結局三十年程の時間で人間の子を孕めたのだから良かったと言えるだろう。


人間の子供として生まれてからは色々と波乱はあったものの、順調に自分の容姿を磨いていく事が出来た。

人間の身体は脆いし弱いしで不便な事ばかりだったが、同時に魅了に掛かりやすく、子供が出来やすい。

どんなに身体に流れる血が薄まろうとも魂は淫魔なのだから、自分が納得出来る顔に到達した時点で本性を顕現すれば良いだけだ。

そうすれば今度は理想の顔のまま淫魔として永遠の生を楽しめるといった寸法だ。

兄弟姉妹には面倒な手順を踏みたがる変わり者として呆れられたが、何だかんだと色々と協力してくれた。

その甲斐あって、最初は孤児だったが村娘から町娘、商人の娘に役人の娘、海賊の娘に魔術師の娘、それから貴族の娘へと様々な人間の子供として転生を続け、私はついに社交界というものにまで進出した。


田舎貴族の娘として社交界デビューした日の感動は今でも忘れられない。

煌めく灯りに、美しいドレス。

扇の合間から覗く美しい顔に、華やいだ声音。

最高の音楽に、軽やかなステップを踏む男女。

全てが理想の世界だった。

興奮した私は田舎者らしく失敗をしてしまい、身体の年齢と同年代の娘達から嘲笑われて大層恥ずかしい思いをした。

その時に私をこっぴどく責め立てる形で同年代の娘達をドン引きさせ、自らが悪役となってその場を収めた男の顔を見て、私はまた大層興奮した。

理想の容姿に物凄く近かったのである。

この男の冷たい印象の蒼い瞳が欲しい!、と私は意を決した。


お礼を言いたいと言って何度も何度も近づき、その度に冷たい言葉と侮蔑の視線を頂戴したが、その程度でめげるような生易しい精神では淫魔なんてやっていられない。

何度も何度も接触を試みようとしたり、色仕掛けをしてみたり、嫉妬を煽ってみようとしたがその何一つもが男の心を揺さぶらなかったようで、ただ単に鬱陶しがられて終わった。

このままでは男の種を手に入れられない!

そう思い悩んで泣きそうになった時、ふと思い出したのだ。

そういえばこの男、貴族の娘達に苛められている私を助けた経験がある、と。

か弱い田舎貴族令嬢を演じる方面で攻めてみたところ、大分時間はかかったがどうにか男を陥落する事が出来た。

魔族の基準から言うと強さが全てであるからなよなよとした女に何の魅力も無いのだが……人間は征服欲より庇護欲優先なのだろうか。

田舎貴族の娘が大恋愛の末に公爵と結婚をした、と美談な噂が兄弟姉妹の耳に入ったらしく何度か祝いの言葉を貰った時には、一体いつ私がこの男に恋をしたのだといつかの冷めた瞳で彼等を睨みつけてしまい、大喧嘩へと発展してしまった。


そんなこんなで結婚生活は順調だった。

しかし、この男。

私の前の身体も、その前の身体も、そのまた前の身体の事も調べたらしい。

勿論どの身体も十代半ばから二十代半ばまでの間に女児を一人産み落として死んでいる。

子作りするにあたり、何かの呪いを受けてるんじゃないかと散々調べられた時には本性が淫魔である事がばれるのではないかとヒヤヒヤしたが、結果はその正反対で、むしろ神聖な身体云々言われてニヤニヤした。

確か前の前の身体を作る時に将来有望そうな聖職者を魅了で落としたのだった。

あの時は何度か途中で浄化されそうになり、本当に死ぬ思いをした。

その男はその後出世したらしく、教会のお偉いさんになっていた。

おかげさまで高貴な方の落とし胤云々と言われ、貴族との接点を作る事が出来る地位にまで行き着いたのだ。


そういう経緯で、私は何かの呪いを受けた訳ではないけれど、何故か第一子を産む際に必ず死んでしまう家系の女なのだという結論が出された。

それを受けて、男は私との間には絶対に子供を作らないし、離婚も絶対にしないと言い張った。

けれども子を作りたくないと言う割りに、対策を練った上でしっかりとする事はするのだからたまったものではない。

食事も出来なきゃ子供も出来ない行為だなんて、疲れるだけで何にもなりゃしないだろうが!

全身全霊の魅了をかけ、酒を盛り、薬を盛り、ようやくどうにか種を手に入れたけれど、それ以降こそ大変だった。

子は産ませないと凄い勢いで妨害してくる男に対して泣きに泣いて泣き落とし、ついに私は新しい身体へと移る事に成功した。

事情を知らない男は私の脱け殻を抱き締めて咽び泣いていたが、まあそれはどうでも良い。

兎に角私は新たな身体を手に入れたのだ。


男は妻(私だ)を愛していたらしいから入れ替わりでこの世に登場した娘(これも私だ)を疎むかと思っていたし、実際六歳くらいになるまで殆ど屋敷に寄る事はなかった。

それでも大貴族の娘として恥ずかしくない程度の暮らしを与えられた。

私は一人気ままに優雅に生活し、すくすくと成長する新しい身体を眺めては満足の溜息を吐いた。

チャームポイントの泣きぼくろに大きな蒼い瞳、長いまつげに艶やかな唇。

まだ幼さは残るものの、あと数年もすれば魔性の女となるだろう。

幼さを残しながらも美しく成長していく私を見ては、誰もが父親であるあの男をせっついていたらしい。

いい加減自分の娘に会いに行けと。

実にお節介な話だったけれど、そろそろ新しく美しい男を見定めにかかりたかった私にとって、公爵という地位を持つ父親は大変有難い後ろ盾となるだろうから渡りに船な話でもあった。

久しぶりに会う男に目いっぱい甘えて見せると、私の前の身体の名前をしきりに呟いて男は涙ぐんで私を抱きしめた。

――これ以降、男は娘を大層愛する親馬鹿と成り果てた。


物凄く高価な宝石も、物凄く華美なドレスも、強請れば何でも買い与えられて私は有頂天になった。

公爵家というものは素晴らしい。

財産が有り余っているから私一人程度簡単に養えるらしい。

美しい物で飾られた美しい私。

溜息が出てしまう程に美しい世界だったけれど、何故か私はまだ先があるような予感がしていたのだ。

それは見事に的中し、渋る父親に連れられて社交界デビューを果たした日、私は国王に挨拶をする場で運命的な出会いを果たした。


線が細い身体、憂いを帯びた薄青の瞳。

低く滑らかな声に、きめ細やかな肌に金糸の髪。

私は一目でその男の種こそが最後の仕上げとなるだろうと悟った。

理想の顔をついに見つけたのだ!

帰宅の途中で父親に金糸の髪を持つ男が何者かを聞きだし、私は目を丸くした。

―――なんと、王太子殿下だったのである。


その日の夜。

久しぶりに遊びに来た兄弟姉妹に近況報告ついでに今度の私の標的の名を教えてやると、彼等は歓声をあげた。

この国は王位継承権は出生順に付与される。

更に言えば、結婚外交を強力に推し進める大きな王国だ。

だから私の次の身体が王女となれば、そのまま王位を継承するにしろ他国の王に嫁ぐにしろ一国の頂点を手に入れる事となる。

淫魔が一国の主となる。

人間を好きなだけ食い荒らせるハーレムが出来るのだ。

私にとっては理想の美貌の副産物でしかなかったが、まあそれも悪いものじゃない。

次の身体が手に入ったあかつきには、しばらく快楽に浸って遊びに興じるのも悪くないかもしれない。

そう思って、私をおだてて褒め称えゴマをする兄弟姉妹達にニヤリと微笑んであげた。


さて、私は翌日に早速王太子殿下との間を取り持つように父親へと甘えた。

今までどんな願いだって叶えてきてくれた父親であるからこそ、今度も何としても接点を作ってくれるだろうと考えていた。

接点さえ作れれば後は簡単な話だ。

兄弟姉妹も全面協力してくれると言ってくれたのだから、王太子殿下の心は簡単に掴めるだろう。

あちらの方も初対面ながら私の美しさに興味を抱いていたようだから、あとはちょくちょく接点を持って、魅了の魔法をかけて結婚まで漕ぎ着ければ良いだけだ。

理想の顔まであとほんの少し!


だがしかし、そう簡単には事は進まない。

今までどんな無理難題だろうが叶えてくれた私に甘すぎる父親が、何故か頑として首を縦に振らなかったのだ。

何故なのか、と私は目を丸くして問い質した。

お前は子を産むと命を落としてしまう血筋の娘なのだ、と深刻そうに告げた上で父親は重々しく口を開いた。

私と妻(つまり前の私の身体なのだが)を愛しているから、お前に結婚をさせる気はないのだと。

亡き妻もお前の幸せを願っていたから、結婚する事を望まないだろうと。


おいやめてくれ!

望んでるから!私結婚したいから!

私はお前の愛なんかより、理想の美貌が欲しいんだよ!


貴族社会は家父長制社会だ。

家の主たる父親が頷かなければ何事も認められない。

娘が何と言ったところで、父親を納得させられなければ希望一つ叶わない。

たとえ身分の釣り合う公爵令嬢と雖も、王太子と恋愛ごっこをする事すら叶わないのだ。

……甘やかされて育った私はそれを忘れていたのである。


お父様はお母様(私の前の身体)と大恋愛の末結ばれたのでしょう、私もそんな恋愛をしたいのだと涙を浮かべ、鳥肌を立てながら訴えても父親は首を縦には振らない。

それならば亡き妻に対する愛情を薄れさせれば私に対する愛情も薄れるはず!と考え、かつては旦那であり、今では父親である男に姉妹を何度もけしかけたが指一本触れようとしなかった。

もしかしたら趣味が変わってしまったのかもしれないと兄弟を差し向けたが、危うく殺されるところだったと彼等に殴られた。


淫魔の魅了にすら抗ってみせる私に対する愛は見事だけど、私は愛より美貌が好きだ。

繰り返すが、私は愛より自分の美貌が好きなのだ!

目の前に吊るされた人参の為に走らない馬は居ないように、理想の顔を目の前にして諦める私なんて存在しない。

父親などという壁を前にして夢半ばで諦めるような生半可な覚悟は持ち合わせていないのだ。



そして私は父親に涙目で宣戦布告をした。

絶対に、私と王太子殿下との仲を取り持たせてみせると。



嫁に行きたい娘と、嫁に行かせたくない父親。

これだけ言えば諸君らにも事態の深刻さが分かるだろう。

ここに結婚(と一国の未来)を賭けた親子戦争は勃発したのだーー!

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