♰09 王子。



 ルム様の護衛付きで魔法学びをする日課は二日しか続かなかった。

 私は逃げたのだ。

 聖女召喚のおまけで来てしまった居候の私が、百発百中の占い師ルム様と二人で過ごしていることは、城中の噂になってしまっているらしくピティさんが騒いだ。

 メテオーラティオ様とヴィアテウス殿下の贈り物をされた直後に、ルム様と噂になるなんてだめだと言われた。

 事情を話そうとしたけれど、メテオーラティオ様が部屋を訪ねてきたので話そびれる。

 相変わらず、魅力的なルビーレッドの瞳に、睨まれた。


「おい、どういうことだ? 占い師と二人で過ごしているだって?」


 お。怒っている。


「オレをそんな目で見ているくせに、他の男にもその目を向けているのか?」


 頬を潰すように鷲掴みにすると、問い詰めてきた。


「おやめください、メテオーラティオ様!」


 ピティさんが止めようとしたけど、メテオーラティオ様が怖くて近付こうとしない。だから、ピティさんに大丈夫だと伝えるように手を翳した。


「全て誤解です、メテオーラティオ様」

「全て?」

「ルム様の予知で危険が迫っているので、守ってもらうことになったんですよ」

「……予知? それが本当なら、危険は避けられないんじゃないか? どんな予知だよ?」

「まず放してくれませんか?」


 いつまで私の顔を掴んでいるのだ。

 言う通りに、手を放してくれた。


「ルム様の未来予知は断片的ですから、確かなことではないんですが……外で水に溺れるかもしれないそうです。水魔法を使われて、殺されるかもしれないと予想して、ルム様は守ることにしたんですよ」


 メテオーラティオ様は、少しの時間だけ私を見つめる。


「占い師ルムの予知能力は、自分が目にするものを予知すると聞いたことがある。つまり、アイツがいなければ、実現は避けられるんじゃないのか?」

「……でも遅かれ早かれくる未来なら、身構えている時に来てもらうべきでは? そう遠くない未来みたいですから」

「いいや、絶対にアイツを避ければいい。避けろ。今日もアイツといたら、アイツを殺してやる」


 メテオーラティオ様が、そう強く言い放つ。

 かと思えば、部屋を乱暴な音を立てて、出て行ってしまった。


「な、なんで! あなたに従わなければいけないのですか!?」


 メテオーラティオ様の横暴さに、遅れて声を上げる。一理あるかもしれないが、彼に従う理由はない。やめてと言うために追いかけようとしたが、ピティさんに掴まれた。


「占い師ルム様は、国にとっても必要不可欠の存在です! 何かあってはいけません! 今日は会わないでください!」

「えっ、でもっ」

「城の魔導師が占い師を殺すなんて……絶対に避けねばいけない未来です!!」


 ピティさんの剣幕の凄さに負ける。

 そういう事情で、私は逃げたのだ。

 部屋にこもればいいとは考えたが、ルム様が訪ねてきてしまうかもしれない。ピティさんに頼み、手紙で事情を説明。そして、私は……ルム様に会わないだろう庭園の植木の上に居座った。

 枝に乗って読書をするのはきっと気持ちがいいと思い立ち、登った次第である。

 ちょうどそばにベンチがあったので、その上に立ち、本を先に乗せてから、枝を掴みよじ登った。

 ふっ。高校までは運動神経に自信があったのだ。高校時代の身体に戻っているなら、なおさら自信はあった。

 庭園は見下ろせない。木の枝から生えた木葉でよく見えなかった。幹を背にして枝に座り読書をしていれば、下のベンチに人が来てしまう。

 白金色の短い髪と、右サイドに赤いメッシュのある頭。男性なのは、わかった。

 剣を持っている。騎士かしら。


「トリスター殿下!」


 聞こえてきたのは、甘えた女性の声。

 トリスター……殿下……?

 あれ、聞いたことあるぞ。

 確か、その名前は……。

 王子の名前だ。王族が、真下にいる。

 それより、甘えた声の主だ。絶対に偽聖女のレイナ。

 予想は的中して、ミルキーブラウンの頭が下にくる。今日は淡い黄色のドレスで着飾っているようだ。


「やぁ、聖女様。今日も麗しい」

「ありがとうございます、トリスター殿下も素敵です。あたしのことは、レイナって呼んでください」

「じゃあ……そうですね、レイナ様。では私のことも、同じように呼んでください」

「トリスター様! うふふ!」

「あはは、なんだか照れくさいですね」


 わぁ。レイナが猫撫で声で、言い寄っている。

 トリスター殿下も、なんだか満更ではなさそう。

 出来ることなら、私はここから離れたかった。

 しかし、木から下りるなら、二人の前に出てしまう。


「トリスター様の腕、本当に逞しいですね。男らしい。この腕で剣を振るのですね」

「ええ。あなたが来て、ますます稽古に力を入れていますよ。レイナ様を守りたいから」

「まぁ……トリスター様……」


 ボディタッチ。

 他人のイチャ付きは、見ていられない。

 少女漫画も好きだけれど、レイナがヒロインなんて勘弁して。

 他にも、言い寄っているんでしょう?

 うっとりしたように見つめていても、聖女のフリした悪女って感じだ。やはり、レイナとは友だちにはなれそうにない。

 聖女の立場を利用して、王子にもすり寄る。

 そんな聖女、嫌だ。

 王子も、よくやる。ヴィアテウス殿下も女たらしみたいだから、血筋を感じた。

 ……このまま息を潜めていよう。気付きませんように。……盗み聞きしたって、不敬罪にされないよね?


「聖女様、訓練の時間です」


 誰かが呼びに来た。


「行かなくちゃ。トリスター様、また」

「訓練頑張ってください、レイナ様」


 魔法の訓練をするのかしら。

 よかった。レイナが去る。

 じゃあ、トリスター殿下もいなくなる。そう期待した。


「何がまただよ、ごめんだ。アバズレめ」


 さっきとは違う、低い声を吐き捨てるのは、間違いなく真下にいる王子だ。

 目が飛び出るくらい驚いた。

 聖女をアバズレ!? あんなイチャ付きをしておいて、いないところではアバズレ呼ばわり!? 腹黒! 腹黒王子だ!

 落ち着け私。きっと聖女だから、王族として袖に出来なくて……いや、アバズレはないな。この王子、腹が黒い。

 ん? 男漁りしているレイナといい勝負かもしれない。


「はぁー、いつまで相手しなきゃいけないんだか」


 トリスター殿下がベンチにもたれて、空を仰ぐ。

 青い視線と、合ってしまった。

 怪訝な顔付きで木の上にいる私を見上げるトリスター殿下。どうしよう。見付かった。

 一部始終を見てしまった私を、この腹黒王子はどうするんだろうか。


「……」


 にこり、ヴィアテウス殿下の色気が過ぎる笑みが、向けられた。

 寒気が背中を舐めるものだから、震えてしまう。

 ベンチから立ち上がったトリスター殿下は、何をするかと思えば、木の幹をドガッと蹴った。私を落とすには十分な揺れを起こす。

 着地をしようとしたが、その前にトリスター殿下にしっかり抱き留められた。

 長くは抱えてない。

 すぐに私を木の幹に押さえ込んだ。

 か、壁ドン。


「君は……聖女様と一緒に来た異世界人ですね?」


 わーぁ、レイナと話していた時の優しい感じの声音だけど、目が笑ってない。


「幸華と申します、殿下。申し訳ありません、盗み聞きするような形になってしまいました」


 頭を下げたいが無理なので、俯く。

 そうすれば、顎を掴み上げられた。


「盗み聞き、ね。聖女様に告げ口をしたら……どうなるかわからないよ?」


 アバズレって言った件かしら。

 腹黒い感じの微笑みを浮かべている。


「告げ口をするも何も、聖女様とは関わりがないので無理です。心配はご無用ですよ」


 顎から手、離してくれないかな。


「関わりがない? 同じ異世界人じゃないか」


 トリスター様は、困惑するように眉間にシワを寄せた。


「そうですね……同じ出身ではありますが、別に仲間意識もありませんし友だちでもありません。聖女様は私の存在すら忘れているかもしれませんよ?」


 その方がありがたい。

 自分が聖女じゃない可能性に気付き、真の聖女である私を殺そうとするよりは、ずっと。


「……ふむ。そう言えば、君といたところは見たことがないし、話題にも出たことないな」

「だから解放してもらえませんか? 告げ口の心配はありませんので」


 私はにっこりと笑ってみせて、まだ顎を掴む手を指先でつついた。

 トリスター殿下は、手を離すと身も引く。


「……トリスター殿下は、剣士、なんですか?」


 落ちた本を拾ったあと、ベンチに立てかけた剣を見て、思わず尋ねてしまった。


「そうだ」

「そうなんですね。えっと、では、盗み聞きをして申し訳ございませんでした。ここで聞いたことは他言しません。失礼しますね」


 腹黒王子と話していないで去らねば。

 私は本を抱えて、小走りで去る。

 剣。少し学びたいなぁ。なんて思った。



 

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