有象無象の傑作
白川 燈ル
殺人です。
十月十三日。休日。俺は何もない一日を過ごしていた。休みの日は全くと言っていいほど動く気力が出ない。休日は何もせずに家でいるのが一番だ。
自宅でゴロゴロし、たまにゲームをしたりするぐらいが丁度いい。一人暮らしなので何にも縛られない。
「俺にとって休日とは、至福のひとときなのかもしれないな……」
そんな意味不明な事を言っていると、突然、扉の向こうから呼び鈴が聞こえた。
「なんだ? 人が休日を優雅に満喫しているんだぞ?」
俺は軽い文句を呟きながら、玄関の方に足を運ぼうとする。
いや、でも待て?
今日は特に用事はなかったはずだ。それに、普段この家で呼び鈴が鳴ることは滅多にない。
「なら出なくてもいいか」
また変な宗教勧誘だろう。俺に神を崇める趣味はない。直感的に怪しい人だろうと思い、呼び鈴に出るのを辞めて、俺はリビングに戻った。
しかし幾ら居留守をしても、鈴は俺を呼びかけてくる。
「しつこいなぁー」
キリがないので、俺は渋々呼び鈴に応えることにした。だが、宗教勧誘だったりすると面倒なので、とりあえず扉越しに返事をしてみる。
「はいー、どちら様ですか?」
「○○でーす。お届けに参りました」
…………?
なんて言ったんだ?今のは気のせいか?
何かは聞こえなかったが、お届けに来たってことは宅配当たりだろう。
少し、いや大分違和感を感じたがとりあえずいいだろう。
「分かりましたー、すぐ出ます」
そう言うと、俺は配達員のいる玄関へと向かった。
それにしても何の宅配なのか。ここ最近、ネット通販で何かを買った覚えはない——という事は、両親からの贈り物だろうか……。
俺は、机にあったペンをポケットにいれて、短い廊下を歩いた。玄関で靴を履き、家の扉を開けた。
「こんにちは! 宅配です!」
「ご苦労様ですー」
配達員は、大きな声で挨拶をしてきた。はっきりとした口調で綺麗な笑顔。嫌な顔ひとつしない活き活きとした振る舞いで長方形の荷物を持っている。好印象だ。まるで聖人君子のようである。
本当に気立ての良い人は、外見と声で分かると言われるが、まさしくそうだろう。
配達員は優しい声音で、続けて確認を取ってくる。
「住所にお間違いはないでしょうか?宜しければサイン頂けますか?」
「はい、大丈夫です」
配達員が手に持っていた伝票を見ると、住所は間違いなく俺の家だったので、ポケットからペンを取り出し、サインして荷物を受け取った。
……ん?
俺は宅配物に違和感を感じ、愕然としてしまった。
その荷物は、あまりにも軽過ぎるのだ。何が入っているか、まるで見当がつかない。しかし、疑問点はそれだけではない。
依頼主の住所を確認しようと、荷物を見たのだが、肝心の伝票が一切記載されていなかったのである。
そればかりか、伝票があるべき場所には変になぞられた円と手書きの文字のが書かれていた。
——【MORS Ⅹ・ⅩⅢ】——
なぞられた円の真ん中に、このような全く意味のわからない文字と数字が並べられていた。
俺はこの文字の意味が理解できなかった。もしかしたら、配達会社側の識別IDなのかもしれない。
とりあえず、両親からの贈り物ではないようだ……
ネット通販で海外の輸入品の物を買って、偶然俺が忘れているのか……?
しかし、こんなに軽すぎる荷物を買った覚えはない。でも、配達伝票の住所は紛れもなく俺の家だ。一体、何が入っているのだろうか……
……思い出せない
「最近、涼しくなりましたねー」
俺が頭の中で思索していると、遮るかのように柔らかな口調で配達員が他愛ない話を始めた。
「そうですね。蒸し暑さがなくなって、風が気持ち良い季節になりましたね」
俺は深く考えるのをやめて、配達員の会話に軽く相槌を返し、横に荷物を置いた。
まぁいい。配達員が帰った後にでも箱を開ければわかるだろう。
……しかし、三分ほど会話を続けても、一向に帰る気配がない。
——大丈夫なのか仕事は。
このままではキリがない気がしたので間を挟んだ。
「あのー、仕事に戻らなくても大丈夫なんですか?」
「大丈夫です!仕事はもうすぐ終わりますので!」
——本当か? まだ昼なのに……?
それに、もうすぐ終わるとはなんだろうか……
違和感はあったが、気にしても仕方ないだろう。この配達員は気立ての良い人柄だから、俺が変に詮索しなくても、仕事を問題なくこなしているはずなのだから。
俺は、変な妄想をやめて話を続けようとした——
……すると何故だろうか。突然、俺は配達員と合わせていたはずの焦点が合わなくなった。
そして、俺は禍々しい得体の知れない何かに呪縛された感覚に陥った。
あらゆる感覚が、強制的にログアウト状態にさせられたかように、その場に佇んでしまった——
◇
……だが、それは一瞬の出来事だった。
俺は直ぐに元の意識を取り戻した。おそらく、三十秒も経っていないだろう。
経験した事のない恐怖を感じた俺は、自分の胸に手を当てた。
……鼓動が聞こえる。
そして、胸以外の身体にも触れてみた。いくら確かめても驚くことに、何の異変もなくいつも通り。まるで、夢を見ているようだった。
「なんだ、気の所為か」
俺はただ、疲れているだけだろうと少し安堵した。
しかし何故か、なんとなく自分が変わり果てた姿になったような気がした。
気が付けばおかしなことに、さっきまでいたはずの配達員がいない。
もしかしたら、俺が変な夢でも見ている間に帰ってしまったのかもしれない。
しかし、今はどうでもいい。何も起きていなかったことへの安心感が一番強い。
数分後。落ち着きを取り戻した俺は、ふと気になった事があった。
「そういえば、今日は何日だ……? 十三日か……」
今日は十月十三日。世間にとっても、俺にとってもただの普通の平日である。
「明日は、仕事か」
憂鬱なことを考えつつ、横に置いてあった荷物をリビングに運ぼうとする——
しかし、ついさっきまで横に置いたはずの荷物が、完全に消えていた。
あの——【MORS Ⅹ・ⅩⅢ】——と書かれた箱がなくなっていたのだ。
その瞬間、俺は全てを理解した。暗号のような文字と数字の意味に——
俺は、今まで沢山の色で彩られていた綺麗な世界から、モノクロで誰もいない無色の混沌とした別世界にきてしまったのだ。
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