午前七時の狂気

豊原森人

午前七時の狂気

 高校に入学して一ヶ月――丸山健人がその子の存在に気づいたのは、友達である博信の一言がきっかけだった。


 健人が通う学校は、街中の川沿いの方にあり、そこに向かう通学路の最後には、川に架かる橋を渡らなければならなかった。おおよそ二十メートルほどの、さして大きくも無い橋だが、通勤、通学の時間帯は、同じ町内にある他の小、中学校の生徒や、街とは反対側にある駅へ向かう会社員でごったがえすのだ。

 毎朝、大体七時半に、入学式以来、何かとウマが合い、時間が合えば登下校を共にするようになった、友人の武藤博信と渡るのだが、その日――橋を渡り終えた時だった。彼は、突然、

「あのさぁ、そこの橋の真ん中で、よく突っ立ってる子がいるじゃん」

 男子高校生らしい、下心のあり気なニヤニヤ顔でそう話す。

「んー? どんな子よ」

「M校の制服着てる子だよ。けっこー可愛くない? あの子」

 そう言われても、博信と共に登校する時は基本的に彼の方を見て喋りながら歩き、また、一人で登校する時は物思いにふけり、あまり他の人間や景色に興味を示さない性質であるため、さような子が橋で立っているとは知る由もないので、

「いやぁ……わからん」

 健人が首をかしげると、

「気づかないのかよぉ。いっつも川見て、ぼーっとしてる子。可愛いからさ、今度声かけてみようぜ」

「バカ、やだよ」

「お前ならいけるって! 顔だけはいいんだからよ」

「僕、そんなタマじゃないし!」

「そしてあわよくば俺にちょっとおこぼれを……」

「何がおこぼれだよ! 結局ソレ目当てか!」

 顔は三枚目のくせに、モテたい欲の強い博信にそんな誘いを受け、健人は笑いながら突っぱねるのであるが――かの橋に立っている女子、というのを、何気なし、頭の片隅にインプットしていた健人は、翌日の朝、それらしい女子を、同じく通学の中で、探してみると、案外アッサリ、それらしい子を見つけるに至った。

 その女は、博信が言った通り――同じ方角の、健人が通う学校よりもう少し先にある進学校の、紺色のブレザーをキチッと着、肩に学校のロゴが入った黒革素材のスクールバッグを掛け、特に携帯電話を操作したり、何かをしているわけでもなく、ぼうっと目線を、眼前の川面に投げているのである。思わず、欄干に寄って歩き、遠めでその横顔を眺めてみると、いかにも大人しい優等生然とした、凛々しい顔つきをしていて、なるほど、確かに可愛らしい子であった。彼女として連れ立てば、周りから羨ましがられそうなビジュアルである。

 健人は何気ない風情で通り過ぎて行ったが――かの女子がなぜ、あの橋でいつも、通学時間帯に立っているのかと考えると、友達、ないしは彼氏を待って、一緒に通学しているのだろうかなんて考え、不意に何ともいえない寂しさに襲われてしまうのだった。


 そこから、さらに一ヶ月ほど経った、ある日の朝――博信と、駅前に新しくオープンしたパン屋に行ってみるべく、三十分早く家を出、焼きたてのパニーニを堪能した後、いつもの通学時間帯よりかは、多少人がまばらな通学路を歩いていると、橋に差し掛かったところで、背中を何かで突付かれたような感覚を覚え、健人が振り返った瞬間――ぶに、と顔にテニスラケットの柄がめり込み、その先には、健人と小、中同級の幼馴染である由香利が、はじけるような笑顔を浮かべながら、ちょこんと立っていた。彼女とは、別々な学校へ進学したため、卒業式以来の、久方ぶりの邂逅に、思わず健人は目を丸くして、

「おお、久しぶり!」

 笑顔でもって答える。

「健! どう元気?」

「元気元気! 何? テニス部入ったの?」

「もー超楽しいよ! これから朝練!」

「そっかぁ……いつもこの時間?」

「そうそう。大会終わったから、ちょっとのんびり目だけど!」

 橋の上を歩く中、暫く二人で笑い合っているが、そこで、一歩後ろで置き去り状態になっている博信に気づいた由香利が、

「こちらの方は?」

 気遣うような目を向けてくるので、

「同じS校のクラスの仲間。博信っていうんだけど」

「あっ、どうもー。武藤博信と申しますぅ」

 紹介され、そう言って仰々しく笑顔でお辞儀をする博信であるが、突如、その顔を鬼のように歪めると、

「なんでぇ。お前もスミに置けねぇな」

 口をへの字に曲げ、裏切り者、とでも言いたげな、僻み根性全開の、ドスの聞いた声を健人に向けてくるので、

「いやいや! ただの幼馴染ですから!」

 実際由香利には、付き合って三年になる、先輩の彼氏がいることを分かっている健人は、笑いながら否定する由香利に乗っかる形で、

「そーだそーだ。ダレがこんな男女と付き合うかって」

 こと幼少時は男子に負けないくらいの暴れん坊であり、今でもスポーツ万能、快活かつどちらかというと我が強いタイプの彼女をからかうように言うと、

「だーれが男女だって!?」

 そう言って、昔からムダに得意技としているコブラツイストをかけてくる。

「あでででで! ギブ、ギブ!!」

 さすがに、通学路たる橋の上でコブラツイストは、周囲の耳目も気になるところだったので、ものの数秒で解放され、そこから三人で笑い合いながら、また、歩き始めようとした時だった。突然、由香利が声を潜めて、

「ねぇ。今のあたしたち、うるさかったかな?」

 と、まるで図書館で会話を交わす中で、誰かの咳払いが聞こえた時のようなことを二人にたずねてくる。

 ちょうど橋を渡り終え、その先の、大通りの横断歩道にさしかかろうかというところだった。

 その顔は、何かに怯えているようにも見え、健人は、

「どしたの急に。あんたらしくもない」

 からかうように笑い、博信は怪訝そうに、

「別にそんな、普通じゃない? なんで?」

 聞き返してみると、

「後ろの子……超睨んでるの、見えちゃった」

 後ろの方へ目線を送るので、そのほうを見てみると、人々の往来の中で、十メートルほどの橋の上――まるでそこだけ時間が止まっているかのように、こちらを直立不動で睨みつけている女がいた。それが、博信が話していた、あの女子であることに二人は気づいた。しかし、整った顔立ちはどこか顔色が悪く、一種の怨念を込めているような、無機質で鋭い眼光を、間違いなく、この三人にロックオンしていて、恐ろしい迫力に、思わず健人も博信も、目を逸らし、由香利を囲む形で、すぐと前を向いて歩き始める。

 この世ならざるものと目が合ってしまったような――ただ事でない、百鬼を背中に纏っているかのような雰囲気に圧倒される思いで、三人は少し、口を開くこともせず、歩行者信号が青になるのを待ち続けた。横断歩道を渡りきったところで、由香利が、

「あの子、別なクラスの子だわ。なんか言われるかなぁ、やだなぁ」

 重い雰囲気を散らすように、無理矢理気味の笑顔を作ってボヤきはじめる。健人と博信が、

「あっ、そうか。同じM校か!」

「そうだよね、同じ制服だった」

 思い出したように声を重ね、そして博信も、いつもの好色な質を全面に出しながら、

「どんな子? なんて名前?」

 興味深そうに聞いてみると、

「名前はね、五十嵐さん。全然喋んないからよく分からないけど……でも、めっちゃ頭いい。全国模試の順位が百位台だったとか、同じ中学だった子から聞いた。物理学とか得意な、めっちゃ理系だって言ってたような……」

 さして親しくないのか、由香利は記憶の根っこを掘るように、顔をしかめて考え込むのだが、博信が、

「うぉーっ! リケジョ、しかも優等生! いいじゃんいいじゃん! こりゃ俺もテストがんばんないとなぁ!」

 何のツボに入ったのか分からないが、一人大騒ぎを始め、それを二人でアレコレ言ってからかううちに、S校に着いてしまい、挨拶を交わして別れるのだが、その後、教室へ向かう道すがら、ふと、博信が思い出したように、

「あの子、明らか俺たち見てたよな」

 そこで、つい、あの鋭い、禍々しい眼光を思い起こして、健人は身震いする思いでうなずくと、

「なんで、あんな感じで見てきたのか分かんねぇ……やっぱ由香利ちゃんのコブラツイスト?」

 そんな事を、ひとり言のように言う。たしかに彼が言う通り、通学路でふざけて笑いあうにしても、そんな周囲を巻き込むような大騒ぎをしたわけではなく、話す音量も特に大きすぎる訳ではなかった。

「コブラツイストが原因かぁ?」

 首をかしげる健人に、

「優等生は見る世界が違うんだよ。こんな優雅な朝にコブラツイストを通学路でかけるなんて、はしたない! みたいな。下品ザマスわねぇ、的な」

 博信はそう言って、頬に手を当て、どこぞのマダムのような仕草を見せるので、それが可笑しく、健人はゲラゲラ笑って、その場を流すのだった。


 その日から、一つの変化があった。

 いつも通学の時間帯、橋の上に立っていた彼女の姿を見なくなってしまったのだ。その変化には博信も気づき、健人と共に通学する時は、今日もいないなぁ、などと話すこともあったが、人の死の悲しみが、年月を経て徐々に薄らいでゆくように、いつしか二人の間にも、たまさかに由香利と会った時でも、話題にはのぼらなくなって行った。

 

 そして、夏休み前――高校入学と同時に、博信はじめ新たな仲間が出来、その友人たちと、休日も放課後も遊び歩いてしまった反動から、前期テストの結果が芳しくなかった健人は、半強制的に、駅チカの塾に通わせられる運びとなってしまった。

 県内でも中々に評判が高いそこは、まず入塾時にテストを受け、その結果に応じて、三段階に分けられたクラスに編入され、あとは主に放課後、土日に、各生徒が都合がつくよう希望を取った上で、振り分けられた時間割を元に授業を受けるシステムになっていた。

 一番下のコースを割り当てられた健人は、毎週の月、水、木は放課後に塾でミッチリ学習することとなったのだが、ある日――授業が終わり、教室から出ようとした時だった。机の中に、自分の物ではない、ファスナー付の分厚いクリアファイルの存在に気づく。

 忘れ物だろうか、と手にした瞬間、心に不穏なさざなみが立つ。

 ファイルには、M校一年六組という所属名、そして、五十嵐香奈という名前が記載されていた。学校、名前、ボールペンで書かれた細く、綺麗な書体は、以前の、橋の女子の存在を思い出させるには十分だった。

 誰もいない教室で、健人はつい、興味本位でファスナーを開く。どうやら、複数のノートをまとめていたものらしく、几帳面にも、それぞれの大学ノートに“数学Ⅱ Vol.3”とか、“物理関係 重点まとめ”などと書かれていて、ページをめくると、健人にはおおよそついていけそうにない数字や記号が、整然と記されていた。

 盗み見の罪悪感を覚え、すぐと落し物として届け出ようとした時、ファイルの後ろに、“計画”と記されただけのノートを見つけてしまう。夏休みのスケジュールでも書いてあるのだろうか、などと考えた健人は、つい興味がひかれ、これが最後、という思いで、覗いてみる。

 

 そこには、物騒にも程がある、実に不可解な文章が並べられていた。


 まず、文字からしておかしかった。他のノートで書かれていた、シャープペンシルで細く丁寧に書かれたものと違い、ボールペンで書かれたそれは、いやに歪で、文字の跡が次のページに薄く刻まれており、相当に強烈な筆圧で書かれたものとわかった。

 最初のページには、

『爆破計画』

 と書かれ、難しい単語や方程式こそ、健人にはまるで分からなかったが、橋の図が描かれており、その橋を爆破させるためにどれほどの火薬がいるか、一体どこに爆弾を仕掛けるのが効率が良いかというのを、計算で解いているようで、所々に、そうした意味合いの言葉が、メモのようにぎっしり細かく書かれていた。

 さらにページをめくると、そこには、

『※別の記録より引用』

 補足めいたものが最初に書かれており、その下には、今年の四月十一日から、六月十八日までの日付と、おおよそ七時半台の時間が記載されていた。そして、その下に、

『結論:平日午前七時二十八分から七時三十三分』

 これまた、意味深な時間が書かれている。


 この内容を読んでいくうちに、健人は背筋が凍ってくる。

 書かれている時間は、間違いなく、健人が通学時、橋を渡る時間だった。最後の日付となっている六月十八日は、不自然に視線を向けられた日と同一で、時間も、七時八分と、合致していた。

 描かれている橋の距離なども、健人が毎朝学校へ通うときに渡る――この、五十嵐香奈が毎朝立っていた、あの橋と極めてよく似ていた。


 そして、ノートの最後のページには、さらに強烈な筆圧で、

『一年二組 武田由香利 テニス部』

 と書かれており、六月十九日からの、午前七時前後の時間が書かれており、その記録は、今日までしっかり続いていた。


 このノートの意味するところを直感で理解した健人は、すぐとノートをファイルに戻し、何事も無かったかのように、机の下に入れると、椅子から立ち上がって、教室から出ようとした。

 その時だった。

 入り口の扉が開き、ついこの間まで、毎朝見ていた、の姿が現れた。彼女は、健人の存在に気づくと、明らかに目を丸くし、そして僅かに頬を緩ませる。

 その表情は、さようなノートを作っていたとは思えない――少なくとも、あのノートのことを知っていなければ、恋に落ちたかもしれない、と思えるほど、美しく、可憐だった。

 しかし、その笑顔は健人にはあまりにも恐ろしく、蛇に睨まれた蛙の如く固まってしまい、心臓の動悸を必死に抑えながら、つとめて何も無いように、

「どうも……」

 声をかけながら、机の間を縫い、横を通り過ぎると、彼女もまた、言葉こそ発しなかったが、ちょこ、と、上品に会釈をしつつ、間違いなく、健人が先ほどまで座っていた席へ、一直線に向かっていった。


 そして、健人が室を出る時だった。

 

「順番、違う」

 

 ほんの小さい、つぶやき程度の言葉に違いなかったが、確かにその声は、健人の耳に届き、思わず教室を出た二、三歩のところで立ち止まってしまう。

 そして、を、元通り、 と、必死に記憶のページを辿ろうとしたが、その答えが出るのと、五十嵐香奈の、狂的な笑いが、教室内より聞こえてくるのは、ほぼ同時だった。

 

 健人は、走った。とにかく懸命に走った。

 脳内には、今まで通学路で、通り過ぎざま、愛情の視線を、自身に対して送る彼女の姿が映し出されていた。

 

 いずれ――いや、明日かもしれない。

 通学路を振り返った時、彼女が、今しがた教室内であげているような、狂ったような笑い声とともに、爆破スイッチめいたものを押す、恐ろしい光景が、否が応でも浮かんでくるのだった。

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