リブ・ドール

ウゾガムゾル

リブ・ドール

辺りにさわやかな香りを感じ、おれは正方形のワンルームの隅のベッドで目が醒めた。


目をこすりながら、おれは枕元で香りを出している起床装置の電源を切った。そしてベッドから降りて、歯を磨きに洗面所へと向かった。


歯を磨きおわり、部屋に戻ってくると、壁に寄りかかって、眠りこけている「彼女」の姿があった。


「彼女」はおれに気が付くと、はっと体を揺らして、虚ろな瞳のついた顔をこちらに向けた。そうして、きっちり三秒間おれを見た後、再び向き直った。そしてそのまま座り続けていた。


さて、今日もまた仕事をするか。おれはコンピューターの電源を付けた。これはそれぞれの部屋にひとつずつ置いてあるものだ。もっともおれたちが反乱など起こさぬよう、性能は一〇〇年ほど前のレベルにおさえられているが。


コンピューターの画面に出力されたのは、小さなテキストボックスと、短い文だった。その文に書かれたおれの仕事とは、「なにか新しく革命的なアイデアを生み出せ」、というものだった。いつもと同じだ。これ以外の仕事を課されたことはない。おれは二時間ほど考え続けて、ついに何かを思いつくことはなかった。そもそも、何かが思いついたためしなどない。それは、この建物の他の部屋、また他の建物に住んでいるやつらも同じだろう。


AIが人類を超える。かつてはそんなことは不可能だと思われていたらしいが、今となっては笑い話だ。最終的には、全人類を管理するほどになった。そうはいっても、AIにも苦手なことはあるらしく、それは人間に任されているのだ。


仕事をやり終えた頃には、もう夕方も近くなっていた。ちょうどいい具合だ。おれは思い立ち、コンピューターの別なソフトを起動した。それと同時に、ずっと座りっぱなしだった「彼女」は立ち上がった。ドクドクと鼓動が速くなるのを感じる。


今日はどんな設定にしようか。いつものでもいいが、たまには変えてみるか。おれは考えて、「身長」のダイヤルを回した。連動して、「彼女」の身長も上下した。だいたい、一六十センチメートルに設定した。


つぎは、「体重」。これも適当に、五〇キログラムくらいに設定した。さらにおれは、「筋肉量」「声質」「髪型」「スリーサイズ」などの項目を、自由自在に設定していった。操作をするたびに変化する、「彼女」を見ながら。


最終的に、好みのものが出来上がった。だが、このままだと服装は無機質な銀色のままだ。それではつまらないので、服装と属性を設定してやる。


いろいろな服がリストに並ぶ。どれにしよう。選んでいるうちに、気になるものが目に留まった。「セーラー服」とかいうやつだ。教材で見たことがある。昔はこんなものを着ながら学問をしていたらしい。ピンときたので、それを選んだ。いつの間にか「彼女」はそれを着ていた。


属性というのは、こうだ。昔の人間には役割があって、それぞれに対応する行動のパターンがある程度決まっていたらしい。これも教材で見た。「セーラー服」を選んだ場合、「先輩」「後輩」「同期」というのが一番上に表示されていた。「後輩」を選んだ。


「さて、はじめようか」


おれがそういうと、「彼女」は顔を赤らめた。おれはますます気分が高まる。「彼女」はためらいながら、「先輩」と言った。おれは彼女をベッドに連れて行った。おれは彼女の上に覆いかぶさって、その顔を見た。端整な顔立ちに、きれいな黒髪、そして、虚ろな瞳。「彼女」の頬を、やさしくなでて、キスをした。そのままセーラー服に手を入れて、中にあるふくらみを手中にした。おれはさらに深く手を入れて、それをやさしくなで回す。「彼女」は震えながら、あんと鳴いた。彼女の脚に触れ、その曲線を伝うように上へと手を滑らせ、「スカート」の中、さらにその奥へと、進んでいく──。


「ふう」


やり終わった後、しばらくはぼうっとしていた。時間がたつと意識がはっきりしてきたので、後処理をした。「彼女」はまた元の無機質な服装に戻った。そのまま立ち上がって、おれの洗面所で顔を洗った後、部屋の壁にもたれかかって動かなくなった。


このままゲームでもやるのもいいが、今日は何となく落ち着かない気分だった。火照った体を冷ますことも兼ねて、すこし外へと出かけることにした。


出かけると言っても、外に何か面白いものがあるわけでもない。ただ巨大な住居が、隙間なく並んでいるだけだ。それに、必要なものは注文すればすべて、パイプラインで室内にいながらして手にすることができる。外出は気分転換でしかない。


住居の間の狭い道が、ひたすら十字に連なっている。碁盤の目、といったか。そんな光景が、全く変化なく繰り返されている。拡張現実による道案内システムがなければ、帰れないところだっただろう。


しばらく歩くと、例外的に建物がほとんどない場所に出た。せいぜい数十メートル四方のスペースだ。巨大ながらくたがスペースいっぱいに積み上げられている。なんのために存在するかはわからないが、こういう場所はほかにいくつかあるらしい。そこには、二つの人影があった。まだ小さな少年と、もう一つは……。


人形だった。「彼女」と同じ、生きているラブ・ドール。それも、コンピューターで姿を変化させる前の、無機質な初期状態。人口増加を防ぐための、都合のいいはけ口。


彼は、人形と遊びたがっているようだった。友達として。彼は、彼の人形の手を引いて、笑いながら、走り回っている。錆びついたがらくたに登っては、飛び降りて、人形についてこさせようとした。人形はゆっくりと登り、ゆっくりと降りた。少年は無邪気に笑った。


しばらくすると、建物の影から青いランプをつけた警備ロボットがやってきた。警備ロボは「彼ら」を見ると、突然ランプを赤色にして、少年のもとに近づいた。警備ロボはこう言った。


《それを連れて、家に帰りなさい》


少年は寂しそうな顔をして、人形の手を引いてどこかへ立ち去った。警備ロボは一瞬おれのほうを見たが、そのまま向き直ってどこかに消えた。


おれはそのまま歩き続けた。


やがて、眼前に広い道が見えてきた。ここだけ、建物の間のスペースが他より明らかに広い。そんな道が横にずうっと長く続いている。間違いない。ここが、性別で分けられた区画の境目だ。分けないと、いくら規制されていても、勝手に子供を作る奴が現れるのだ。


ふと、そばを挙動不審な男が通りがかった。すると男は、ふらつきながら、その道を奥へと横断しようとしたのだ。


半分くらい進んだところで、男は何かにぶつかった。そこには何もなかったが、目に見えない壁が張られているのだ。


男は姿勢を低め、とぼとぼと道なりに歩いた。落胆しているのだろうか。そうまでしてここを超えたいと思うのだろうか。


いや、落胆しているんじゃない。どちらかというと、何かを探しているように見える。


すると突然、道の向こう側から、そよ風が吹いてきた。その風に乗って、向こう側から、「黒いひらひらとした何か」が飛んできた。うつむきながら歩く男の眼前にそれは落ちた。男はそれを見るや否や飛んでいき、さっと拾い上げると、しばらくそれを見つめた後、顔に押し当てた。そしてどこかに去っていった。


飛んできた「それ」が何なのかはわからなかった。だが、おれにはただのぼろい布切れにしか見えなかった。


ずいぶん遠くまで来てしまった。ふと気づくと、道が地下に潜っている場所があった。トンネルというものだ。こんなものが現実にあったなんて。好奇心でおれはそこに近づいた。すると、何やら物音が響いてきた。


トンネルの中はオレンジ色の薄い光で満ちていた。造りは古びた感じだった。さっきから聴こえていた音は、ちょっと奥のほうから発せられていた。トンネルの入り口から中をのぞくと、その正体が分かった。


トンネルの壁に、「ドレス」という派手な服装の人形がもたれかかっていた。よく見ると、その体は重そうな鎖で縛られている。衣服はボロボロで、ところどころ皮膚が見えている。顔にはいくつもの傷跡と、あざが見えた。


それに対して、背の高い男が蹴りを入れていた。何度も何度も、繰り返し蹴りつけていた。


「やめて!」


人形の大きな声が、トンネルじゅうにこだました。


男はポケットからおもむろに棒のようなものを取り出した。男が何か操作するとそれはトンネルの照明と同じオレンジ色に光り始めた。そして、それを人形の体に押し当てた。明らかに皮膚の露出している部分を狙っていた。ジューっという音が響く。


「痛い……苦しい……」


そして男は服を脱ぎだし、ナイフを取り出し、人形の体のあちこちを切りつけながら、絶頂した。


すると、人形は言った。


《ご愛用ありがとうございます。本個体は死亡しました。コンピューターの「メニュー」→「取り寄せ」から、新しい人形を取り寄せることが可能です》


合成音声が発話された後、人形がそれ以上音を発することはなかった。男は舌打ちし、再び服を着始めた。


おれは果たしてかわいそうだと思ったのだろうか。おぞましいと思ったのだろうか。それとも、何も思わなかったのだろうか。おれはゆっくりとその場を離れ、来た道を引き返した。


おれは自分の部屋に帰った。おれの人形はというと、外出する前と変わらず壁に寄りかかって、おとなしく座っていた。それから、なんということもなしにゲームをやり、そのまま夜になった。夕食としてBD33を取り寄せようとしたところで、おれは人形の様子がおかしいことに気付いた。


人形の目は閉じていて、揺さぶっても起きなかった。胸に耳を当てると、鼓動はどんどん小さくなっていった。


人形は動かなくなった。またか、と思った。どうも最近何かがおかしい。今月だけでもう三回も交換している。


おれの使い方が悪いのだろうか。それとも……?


ふと、いろいろな考えが頭をめぐる。


なんでおれは毎日毎日、人形とセックスしないといけないのだろうか。別に決まっているわけじゃない。でも、せずにはいられないのだ。した後は、なんとも言えない多幸感に包まれる。だが最近は、以前ほどの感動はなくなった。


おれは毎日この人形と交わり、いたぶった。それは「彼女」が望んでいたことなのか。人によっては、相当酷使していたようだ。かわいそうではないのか。しかし、あの人形に心はない。生きている体でできているとはいえ。


少年はラブドールと友達になろうとした。何も知らなければ、確かに、あれは人間にしか見えない。つまり、このラブドールをラブドールたらしめているのは、ラブドールの見た目ではなくて、おれの認識ということになる。


ならば、何がおれたちを興奮させるのか。何がそれを性的たらしめるのか? それはときに、布切れ一枚で十分であることもある。


おれたちが毎日やらされているアイデア捻出。あれはきっと、AIには感情がないから、感情のある人間にしか思いつかないことを思いつかせようとしているのだろう。だが、実際のところ今のおれたち人間に、感情など存在するのか。おれは確かに、この人形に毎日心を揺さぶられ、興奮した。だが、実際目の前にいるのは、欲求を呼び覚ますための、理想化された記号でしかない。人類の欲求を満たすためだけに存在している、道具でしかない。あらかじめ設定された言葉しかしゃべらない。それは偽物だ。実のところ、感情なんてすべて偽物なのかもしれない。


すべては、無意味かもしれない。無意味だからこそ楽しめるのかもしれないし、無意味だからこそ、むなしいのかもしれない。


まあなんにせよ、かまわない。これが壊れても、また新たに取り寄せればよいのだ。それで、すべては元通りだ。


合成音声の後、おれは人形を、部屋の隅のごみ回収口にぶち込もうとした。しかしその前に、閉じている人形の瞼を指で開けてみた。その瞳に光はなく、ひどく虚ろな目をしていた。

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リブ・ドール ウゾガムゾル @icchy1128Novelman

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