第6話 心の傷


 しかし、適当なところで会話を切り上げようと何気なく駆の放った言葉が、話の流れを大きく変えることになる。


「じゃあ、家族とかにはさぞかし優しいんだろうね」

「うるさいわね! たかだか母親を亡くした程度のあんたに、私の何が分かるって言うのよ」


 文音は再び声のトーンが上がってしまったが、それを聞いた駆はまともに顔色を変えた。


「志度さん? ……まさか、志度さんも……?」


 駆が驚愕しているのを見た文音は、怪訝そうな表情になる。


「何よその顔は! そうよ、私の家族は今年の春に自動車の事故に巻き込まれてみんな死んじゃったの! 笑いたいなら笑いなさいよ!」

「笑うだなんて……そんなことできないよ……」


 駆はようやく文音の態度の意味を理解した。どうしてこんなに人に対して刺々しい態度なのか、その答えが見つかったのだ。

 文音も大切な家族を失ってしまっていたのだ。そして、そのショックで文音は半ば自暴自棄のような状態になってしまい、家族を失ってしまったやるせなさを一人で抱え込んだまま、今日までずっと生きてきたのだろう。

 文音が自暴自棄になるのも無理もない、と駆は思った。

 病気によって母親を亡くした駆は亡くなるまでにある程度の時間があったが、事故で家族を全て失ってしまった文音にはそうした時間も与えられず、いきなり一人きりになってしまったのだ。そのショックは、両親を亡くしてしまっている駆といえども、とても推し量れるものではない。

 文音が人と付き合うことを避けているというのも、つまりはこれ以上自分に関わる親しい人たちをこれ以上失いたくないという心理の裏返しに違いない。

 文音は怯えている。これ以上、自分と親しくなった人たちが離れていってしまうことに耐えられない。だから、必要以上に人と仲良くなりたくない。大切な人と離れ離れになってしまうくらいなら、ずっと一人で構わない。

 程度の差こそあれ似たような境遇の只中にある駆には、その気持ちが痛いほど理解できた。

 だから、駆は表情を強く引き締めると真っ直ぐに文音のことを見る。対する文音の方は、急に駆の態度が変わったことに戸惑いの色を見せていた。


「……ちょ、ちょっとどうしたのよ。急にそんな改まった表情になって」

「志度さんは俺にたかが母親を亡くしただけだ、って言ったよね?」

「……ええ、確かに言ったわ。でも、だからどうしたの? それで私のことを分かったつもりになったとでも?」

「そうは言わない。志度さんの心の痛みは多分志度さん以外には理解できないと思うから……」

「なら……何なの、一体?」


 それまで一方的に駆のことを見下していた文音が、初めて正面から駆の視線を受け止めた。まだ少し侮っているようなところもあるが、文音が自分のことをしっかりと見てくれているだけでも駆には十分だった。


「俺の父親ももういないんだ。子供の頃にやっぱり車の事故に巻き込まれてね。だから、母さんが亡くなるまで俺は母さんと二人きりだった」

「え……?」


 駆の言葉を聞いた文音は大きく目を見開く。完全に意表を突かれた、という表情だった。


「……嘘でしょ? だって、お父さんが亡くなっていただなんて、道生くんも担任の先生も、誰もそんなこと言ってなかったじゃない?」

「もう大分昔の話だしね。それに皆にとってはもう周知の事実だったから、先生もわざわざもう一度話すことでもないって思ったんじゃないかな?」

「じゃ、じゃあ、道生くんは今どうやって暮らしているのよ?」

「母方の叔父さんのところに引き取られた。それなりに気を使ってもらってはいるんだけれど、やっぱり本当の親子じゃないところが出ちゃうこともあるんだよね。難しいよ」


 駆は苦笑いを浮かべながらそう言ったが、文音はそれを聞いて黙り込んでしまう。意外な事実に直面して驚愕し、必死に状況を整理して何か適切な言葉を探している。そんな感じであった。

 ややあって、文音は静かに口を開く。伏し目がちではあったが、表情は真剣であった。


「道生くんも……本当は私と似たようなところにいたのね……」


 それから、文音は家族を失ったときのことを、わずかに躊躇いながらも駆に語り始める。駆は静かに文音の話に耳を傾けた。


「……あの日、たまたま私だけ友達と映画に行く予定があったの。お父さんとお母さん、それに弟はそれなら三人で遊園地にでも出かけようって話になって、私が出ていった後に車で家を出たらしいわ。だから、私達の家族が最後に揃っていたのはその日の朝が最後だった……」

「お父さんたちが事故に遭ったのを知ったのは?」

「……映画から帰ってきてすぐ。家に帰ってきたら、電話がけたたましく鳴り響いてて、まだお父さんたちが帰ってくるには早い時間だったし、一体誰からだろう? って思ったのを今でもはっきり覚えてるわ」


 文音の口調には力が無かった。その当時の虚脱感がフラッシュバックしているのかもしれない。


「その後は?」

「……よくは覚えていないんだけど、電話を受けてからかなり長い間放心状態になっていたみたい。かなり経ってから警察からの電話がとっくに切れていることに気が付いて、そこから混乱しながらとにかく電話番号の分かる親戚全部に電話して事情を話して、一番早くに駆けつけてきてくれた父方の叔母さんと一緒に連絡のあった警察署に行ったの……」


 文音はそこまでを一息でしゃべり切ると、そこで再び黙り込んでしまう。そこから先のことを語りたいけれど、どうやっても言葉が出てこない。駆にはそんなように見える。


「……ありがとう、そこまで話してくれたら十分すぎるよ」

「もういいの? ……まだ話したいことがいっぱいあるんだけど」

「今日は止めておく。また追々、話してくれれば良いさ」


 駆はそこで話を止めることにした。文音の表情は真っ青で、生気というものが感じられない。これ以上無理はさせられないと思ったのだ。

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