63話「兄と姉と」
時計を見ると、いつもならとっくに晩飯を食べ終えているくらいの時間だった。
一応、家には電話して遅くなる旨を伝えてはいるからそこまで心配はさせてはいないと思う。
それでも窓越しに見える真っ暗な空を見ると、少しでも早く帰るべきなのだろう。
でも俺はじゃあさよならと帰れずにいる。
それは目の前にいる、秋空紅音のせいだった。
「……じゃあ、会長は知ってるんですね。穴来命のことを」
「………………うん」
短くない沈黙の後、彼女は確かに頷いた。
自分の心臓が急に跳ね上がるの感じる。ついに俺は見つけた。
ずっと考えないようにしていた、むしろ忘れかけていたこの死に戻りの原因である少女。
穴来命の正体に繋がる手掛かりを、掴んだ瞬間だった。
「教えてくれませんか、彼女のこと。会長が知っていることを」
「………………」
「会長、お願いします。どうしても、必要なんです」
「…………話すのは、構わないよ。もう隠しても無駄みたいだし」
そう言った会長の表情は、とても苦しそうだった。
いつも明るく振る舞ってくれる彼女とは正反対の、見たこともない表情。
いや、正確には俺は見たことがある。
こないだ見た夢で、会長が隣にいるあの夢の中で俺はこんな表情をしている会長を見た。
穴来命が現れたあの時も、彼女は今みたいな顔をしていた。
「でもね、私も1つ聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと、ですか」
「どうして……どうして薫君は知っているのかな、その名前を」
「そ、それは……」
それは会長からすれば当然の質問だった。
しかしその質問に正直に答えることが、俺に出来るはずもない。
答えるということはすなわち、死に戻りのことを全て話すということになる。
そんなこと、出来るはずがない。信じてもらえるわけもない。
言葉に詰まる俺を、会長はその澄んだ青い瞳でじっと見据えていた。
まるで何かを確かめるようにしばらくそうした後、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「……ごめんね、意地悪だったかな」
「いや、そういうわけじゃ……」
「今は話せない、そういうことかな」
「すいません……」
「ううん、気にしないで。これでも薫君とは短くない付き合いだし、私自身これまで君に助けられてきた。そんな君が話せないなんて、それなりの事情があるんでしょ?」
「……はい。今は、話すことが出来ないんです。でも信じてください。俺には必要なんです。穴来命のことを、少しでも知っているなら教えて欲しいんです」
「……信じるよ。そもそも、もし薫君の言う‘みこと’が本当に私の知っている人なのか分からない。けれど、もしそうならきっと私は君に協力しないといけないんだと思うの。家族、として」
「家族……」
会長の手は微かに震えていた。
それでも彼女は逃げることなく、俺の疑問に答えようとしてくれている。
「……私も‘彼女’について、そんなに詳しくは知らないの。だから、もし期待外れだったらごめんね」
「いえ、大丈夫です。むしろ話してくれるだけでありがたいですし。だから、お願いします」
頭を下げる俺を見て、会長は決心したようだった。
もう冷え切った紅茶を一気に飲み干してからゆっくりと一度深呼吸をして、話し始めた。
「私もその名前はつい最近聞いたの。きっかけは長くなりそうだから省くけど、電話があってね。私にはね……その、妹がね、妹がいる、らしいの」
「妹、ですか」
「うん。勿論、今までそんなこと、聞いたこともなかった。でもね、確かに彼女は言ったの。電話越しで、本当にか細い声だったけど、確かに言ったの」
「……言った?」
「お姉ちゃん、って。そう言ったの。私のことをそう呼んだんだよ……」
「……それはつまり、会長には妹がいる?」
「そういうことに、なるね」
会長は困惑した表情をしていた。震えは全身にまで及んでいて、絞り出すように声を出している。
「私、どうすれば良いのか分からなくてね。だって急にそんな話、言われたって。妹?どういうことなのって……」
「会長……」
「多分小さい子どもの声だったと思う。女の子の、かすれた声だった。今にも消えてしまいそうな、声。でもその子はね、確かに言ったの。お姉ちゃん、助けてお姉ちゃんって……。わ、私、こ、怖くなって、何も、何も答えられなくて」
「……大丈夫、ですか」
「…………ごめん。ちょっと、まだ整理が出来てないみたい」
「俺の方こそ、すいません。こんな辛いことを聞いてしまって」
「……ううん、大丈夫。ごめんね、心配させちゃって。後輩に心配されるなんて私もまだまだだなー」
力なく笑う彼女に、いつもの面影はなかった。
最近ふいに見せていた憂鬱な表情の原因はおそらくこれだったに違いない。
今まで一人で抱えていたものを吐き出すのだ。
それこそかなり心の負担になるに違いなかった。
「……それでね、その妹の名前がそれ、なの」
「それっていうのは、つまり……」
「うん、薫君が言った名前。‘みこと’っていうのはその子が名乗った名前なの。確か苗字も‘あならい’だったと思う。聞いたことない苗字だったから、印象に残ってる」
「そう、ですか」
穴来命は、秋空紅音の妹だった。
だから二人の容姿は酷似していたのだ。
「……でもね、私に妹なんて本来いるはずがないのよ」
「……どういうことですか」
「私の母はね、死んでるの。私が小学生だったときにね。だからあり得ないのよ。私に妹なんているはずないの。だってその時まで確かに私たちは3人家族だった。妹なんていたら、私が知らないはずない」
「…………」
いるはずのない妹。
元からいないはずだった、‘みこと’。
それが今、会長の前に現れて彼女を苦しめている。
やっと掴みかけた穴来命の正体が、今また目の前で霧のように消えてしまうようだった。
会長の言うとおりだとしたら、確かに彼女に妹が生まれる可能性はない。
でもそれは、会長の母親からと言う意味でだ。もし別の母親がいるのだとしたら……。
「……薫君の考えていること、分かるよ?」
「え?」
「父がね、気になることを言ってたの。母が死んだ直後にね」
「気になること、ですか」
「うん、父はね言ってたの。‘もう一人’って、そう言ってた。だからね、きっといるのよ。母以外にね、父と、その……」
そこまで言って会長は言葉を濁したが、言わんとしていることは分かる。
つまり会長の父親は別の誰かと関係を持って、そして‘妹’が生まれたのだ。
父親が同じで、母親が違う二人の姉妹。
その可能性があるということ。
そしてその妹が、穴来命だということ。
「ーーもう、大丈夫です。会長の言いたいことは伝わりましたから」
「うん、ありがとう……」
「……結局どうするんですか」
「どうするって?」
「さっき言ってましたよね。その、妹さんから電話があったって。助けてほしいってーー」
「――分からない」
「……え?」
「分からない。私には、どうすれば良いかなんて分からない。急にそんなこと言われたって、私なんかに何が出来るの?父は私のことなんて見てない。家族なんて、私にはもうない。なのに妹なんて言われて、しかも見たこともない子から助けを求められたって、私には何も出来ない。出来ないの。だってそんな未来、見えない。見えるはずなんてないーー」
「会長っ!」
「……あ、ごめん」
俺の声に我に返ったのか、やっと会長は落ち着いてくれた。
しかし事態はどうやら思ったより深刻なようだった。
このまますんなり‘みこと’に会えるとは思えない。
それは会長の言葉を聞けば、事情をよく知らない俺ですら想像出来ることだった。
なぜなら俺もそうだったから。
急に出来た妹に、どうすれば良いのか分からなくて。
そして変な意地を張って結果的に妹を、春菜を見殺しにしてしまった。
だから俺には困惑する会長の気持ちが痛いほどに分かる。
「…………会長、俺で良ければ力になります」
「え?」
でも俺は知っているから。
そうやって怯えて現実から目を逸らしたことで後悔した過去を。
取り返しがつかなくなって初めて分かる、自分の勇気の無さを。
そして目の前の彼女に、それを味わって欲しくはないのだ。
もうこれ以上、俺のような奴を増やしてはいけないのだから。
「俺も、急に妹が出来て、それでたくさん失敗したんです。会長の場合とは違うかもしれないですけど、それでも俺には分かります。会長の気持ち」
「……か、薫君」
「だから、手伝わせてください。会長が俺を助けてくれるように、俺も会長の力になりたいんです」
「…………あり、がとう。本当に、ありがとう」
会長は俯いたまま、俺の手をきつく握った。
彼女が今どんな表情をしているのか、俺には分からない。
でも折角死に戻りしたんだ。
自分だけじゃなくて、たまには誰かのために頑張ってバチは当たらないだろう。
俺の知っている穴来命と、会長が言っている‘みこと’が同一人物なのかはまだ分からない。
でもそんなことは関係ない。今は目の前の仲間のために、出来ることをしよう。
ちらっと外を見ると、暗闇に紛れてちらちらと白い雪が降っているのが見えた。
ーー冬が、そして運命の日までのカウントダウンが始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます