6章「試される絆、4つ」

61話「秋の終わりに」


「んー……」

 

 季節は11月に入り、段々と肌寒くなる今日この頃。

 窓から見える空は既に夕焼けを通り越して、少しずつ暗くなっていた。

 外から聞こえる学生の声も以前と比べ疎らなものになっていて、いよいよ本格的に冬が始まるんだなと思う。 

 今年は例年に比べ、寒くなるようで既にマフラーや手袋をしている学生もちらほらと見かける。

 幸い、この生徒会室は冷暖房が完備されている為室内は快適だ。

 これが生徒会役員の特権というものなのだろうか。

 もし、今目の前で会長が読んでいる演説文に、‘全教室に冷暖房を完備する’なんて公約を追加したら余裕で当選出来るのかもしれない。

 勿論、そんな事は実現不可能なので誰も相手にしないに決まっているが。


「ど、どうですか…」

 

 真剣な表情で黙々と読み込む会長。

 いつもは飄々としている癖に、やるべきところはしっかりとやる。

 数週間、毎日放課後にこうやって顔を合わせていた結果分かった彼女の一面だった。

 この生徒会選挙が始まる前は、一体どうなるのかと心配したが蓋を開けてみれば親身になってサポートしてくれる彼女のおかげで、かなり順調に進んでいた。

 やはり1年間、この陵南高校で生徒会長をやってきただけはあるんだな、と改めて感心する。


「……うん、かなり良くなったかな!先週言ってたところも上手く直してあるし、本文は大体こんな感じで良いと思うよ」

「そ、そうですか。良かった……」

「で、細かい部分なんだけどーー」

 

 そのまま細部の修正に入る会長は、やはり俺が知っているいつもの会長とは全く違っていた。

 そういえば白川先輩が以前言っていた気がする。

 会長はよく父親の手伝いをしているとかなんとか。

 詳しい話は知らないが、会長の父親といえば日本でも有数の大企業に数えられる秋空グループの取締役社長だと言う。

 そんな父親の仕事を手伝っているなんて、今までは全く信じられなかった。

 でもこうやって真剣にアドバイスをしてくれる彼女を見ていると、その話もあながち嘘ではない気がしてくるのだった。


「それで、この部分をもう少しーー」

 

 長い金髪に澄んだ青い瞳、そして整った顔立ち。

 死に戻りなんてしなければ決してこうやって話す事も、おそらく顔見知りになる事すらなかった存在、秋空紅音。

 彼女の容姿を見て、今までどうして気が付かなかったのだろう。

 長い金髪と、青い瞳。

 こんな特徴的な外見を前にして、俺は今まで全く考えもしなかった。

 少なくとも、この前見たあの不吉な夢がなければ、この先も考えることはなかっただろう。


「後はね、また些細なことになっちゃうんだけどーー」

 

 ーー似ている。

 あまりにも、似過ぎている。

 あの夜俺を殺した少女、穴来命に目の前の先輩、秋空紅音はそっくりだった。

 確かに細かい部分は少し違う。

 体格もおそらく違うだろうし、顔の造形も正確には違うだろう。

 ただ、遠くから見ればおそらく見間違えるくらいには二人の少女は似ていた。

 なぜ今まで気が付かなかったのか、不思議なくらいだ。

 でも俺が直接穴来命と対面したのは、死に戻りのきっかけになったあの一度だけだ。

 それに暗くで、そこまで鮮明に顔が見えたわけでもない。

 だから本当だったら俺はこのまま気付かずにいたに違いない。

 しかし、俺は気付く事が出来た。

 それは三度も見た‘夢’のおかげだった。

 あの夢で見た穴来命が、目の前の会長にそっくりだったのだ。

 そう考えると、あれは本当に夢だったのだろうか。

 青ねえが、真白台が、会長が。毎回俺の側にいる人は違っていた。

 でも共通しているのは妹の春菜の死と、穴来命の登場。

 元々この死に戻り自体、ありえない事なんだ。

 だったら俺の想像を越えることが起こっていると考えた方が良いのではないだろうか。

 つまり、意味があるのだ。

 今まで見てきた不可思議な夢、そして穴来命と秋空紅音の酷似には、何か重要な意味がある。


「――くん?」

「……………」

「薫くん?」

「あ…す、すいません!」

 

 会長に顔を覗き込まれて、俺はようやく我に返った。

 今考えるべきではないのに、どうも最近はおかしい。

 あの夢を見てから彼女、穴来命が頭にちらつく。


「もう、聞いてなかったでしょー」

「すいません…ちょっと、ぼーっとしてたみたいで……」

 

 ぷくっと顔を膨らます会長に、俺は平謝りをする。

 どんな理由があれ、こうやって会長は俺の為にわざわざ放課後残って面倒を見てくれているのだ。

 不義理を働いてしまった俺が完全に悪い。

 頭を下げると、何故かその頭を会長は優しく撫でてくれた。


「えっと…?」

「ふふ、別に怒ってなんてないよ?むしろ毎日こうやって原稿を直してきてくれてるんだもの、疲れも溜まってるよね。元々は、無理矢理引き込んじゃった私のせいでもあるんだし……」

「いや、そんなことは……」

 

 会長は申し訳なさそうな顔をして、すっと俺に身体を近付けて来た。

 思わずたじろいだ俺に構わず、会長は更に俺との距離を詰めてくる。


「ごめんね、私のせいで。お詫び、させて……?」

「い、いや会長、その距離が近いーー」

「ね……いいこと、しよ?」

「えーー」

 

 会長の整った顔が目前まで迫る。

 決して見慣れることのないその顔に、あの夢が思い出される。

 そういえば、あの夢で俺たちはどんな関係だったんだっけ。

 急な展開にあたふたしている俺の肩を、会長はゆっくりと掴んだ。

 そしてーー


「か、会長ーー」

「――うん、お茶にしよ!」

「…………は?」

 

 元気にそう言い放った。























 窓を見ると、外はすっかり暗くなっていた。

 さっき見回りに来た依田ちゃんが言った通り、もう殆どの学生は活動を終えて帰宅しているようだ。

 静かな生徒会室にポットのお湯が沸騰している音だけが聞こえてくる。


「もう、そんなに怒らなくたっていいじゃんかー」

「別に、怒ってません」

「すごいムッとしてるけど?」

「…元々、そういう顔なんですよ俺は」

「またまたー。薫くん、結構格好良いと思うけどなぁ」

「……別にお世辞とかいいんで」

「あ、顔赤くなった?」

「か、会長……!」

「あはは、冗談だってー!そんなに怒らないで、ね?」

 

 思わずむきになる俺を宥めながら、会長はゆっくりとティーカップにお湯を注いでいく。

 入っていた茶葉入りのパックは、注がれたお湯を段々と染めていた。

 微かに香ってくる良い香りに、むきになっていた自分を落ち着かせる。

 そう、元々目の前の少女はこういう性格なんだ。

 最近の真面目さに気を取られて、彼女の本質をすっかり忘れてしまっていた自分が憎い。

 また今回も会長にまんまとからかわれてしまったというわけだ。

 死に戻りして、少しは落ち着いたと思った自分の精神年齢が、まだまだ未熟なことを今更ながら痛感する。


「はい、どうぞ?」

「……ありがとうございます」

「いつもはみーちゃんが淹れてくれるから、自分でやるのなんて久しぶりなんだけど…どうかな?」

 

 十分に染み渡ったパックを取り出して、軽くスプーンでかき混ぜる。

 湯気が出ている紅茶を、ゆっくりと口に運ぶととても良い香りがして、味も申し分ない。

 今の季節にはぴったりの、身体が温まる紅茶だった。


「美味しいですよ、とっても」

「良かったー。失敗したらどうしようかって思ってたから…」

「いや、これパックなんだから絶対に失敗しないですよね」

「そういうツッコミは聞きません。こういう時は、素直に褒めてくれるのがモテる男子の秘訣、だよ?」

「そ、そうなんですかね?」

「そうなんです。薫くんもまだまだだね、ふふ」

 

 何故か嬉しそうに自分も紅茶に口をつける会長。

 とりあえず上機嫌なようなので深くは突っ込まないことにした。

 おそらく熱かったのだろう、ふぅふぅと紅茶を冷まそうとする彼女は確かに可愛かった。


「まだ熱いなー。もう一回かな」

「…………」 


 そしてそれ以上に、見れば見るほどそっくりだった。

 あの少女、穴来命と会長は本当に似ている。

 会長は何か知っているのではないだろうか。

 穴来命のことを会長に聞くべきなのではないか。

 そう考えると、急に自分が緊張するのが分かった。

 今まで考えたこともなかった、会長とあの少女との繋がり。

 もしかしたらこの死に戻りの答えが、この先にあるのかもしれない。

 あの不可解な夢の正体も、分かるかもしれない。


「うーん、やっぱり美味しい。私も紅茶を淹れる才能があるのかも」

「……会長、ちょっと良いですか」

「ん?どうしたのかな、薫くん。あ、さっきアドバイスした所ならもう書き込んであるから、大丈夫だよー」

「いえ、それは有り難いんですがそうじゃなくて…」

「んー?そんな真剣な顔してどうしたの」

「あの……変な質問に、なるかもしれないんですけど…」

「別に構わないよ。むしろそんな勿体ぶると、逆に気になっちゃうし」

 

 会長は興味津々といった感じで、俺の話に耳を傾けてくれている。

 もし会長が何も知らなければ、それまでのことだ。

 特に問題はないはず。

 出来るだけ不自然にならないように、自然な形で聞くにはどうすれば良いのか。

 少し考えて、俺は覚悟を決めた。


「……会長、‘穴来命’って名前に、聞き覚えはありませんか」

「…………え?」

 

 単刀直入な俺の質問。

 それを聞いた会長は戸惑った表情をしていた。

 それはそうだ、いきなり見ず知らずの他人の名前を出されて知っているか聞かれているわけなのだから。

 しばらく痛い沈黙が続く。

 やはり俺の早とちりだったのだろうか。


「……えっと、すいません。変なこと聞いちゃって――」

「なんで」

 それは絞り出されるような声だった。

 そして会長の顔を、苦しそうな彼女の表情を見た時、俺はもう冗談では済まされないところまで踏み込んでしまっていることに気が付いた。


「あ……」

「なんで、君からその名前が、出てくるのよ」

 

 いつもの彼女からは想像も出来ないようなか細い声で、それでも確かに肯定を意味する言葉を、秋空紅音は口にした。

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