断章8「穴来命と四宮薫」
さっきから心臓が痛いほど跳ね上がっているのを感じる。
真っ暗な暗闇に、窓から差し込む月の光でおぼろげに室内の様子は見えた。
ちらっと横目で見ると、そこには確かに四宮薫が眠っている。
私は彼のベッドで、そして彼はすぐ横の床に布団を敷いて寝ている。
さっきから何度も確かめているが、やはりこれは現実のようだった。
『今日はとりあえず休もう。穴来さんも色々あって疲れただろ?考えもまとめないといけないだろうし……。それに、俺も少し疲れたからさ』
きっと彼にとっては純粋な厚意からの申し出だったに違いない。
でも私には今までの人生で他人の、しかも異性の部屋で二人っきりで寝るなんて経験はしたことがなかった。
それに相手はどうでもいい人ではない。
少なからず、私の人生を大きく変えた彼が段差はあるもののすぐ隣で寝ているのだ。
彼の厚意に甘えたことを、部屋の電気が消えた瞬間に少し後悔した。
「…………っ」
といっても今更他に当ては無い。
最近までの私は、長くても数日以内には死に戻りを繰り返していた。
その間、私は漫喫や安ホテルで夜を過ごしていた。
決して自分の家には一度も帰っていない。
彼に布団まで用意させて、今更出て行くなんて四宮薫の性格からして許してくれるはずもないだろう。
月の明かりでぼんやりと見える彼の姿。
気になって仕方が無いが、しっかりと見たらそれこそ寝れなくなってしまいそうだった。
何度か身体を動かして寝やすい位置を探そうとするが、いつも彼が寝ているベッドだと思うと余計に眠れなくなる。
今まで生きてきて感じたことがない感情に、私はただただ戸惑うしかなかった。
「……穴来さん?」
「ひ、ひゃいっ!?」
急な呼びかけにまたしても素っ頓狂な声を出してしまい、思わず赤面する。
そんな私を気遣うかのように、四宮薫は優しい口調で話しかけてくれる。
「……寝れない?」
「……う、うん。まあ……そう、かも」
「それはそうだよな。無理もないよ。君からしたら、本当に色々なことがあったわけだからさ。今まで誰にも話せなくて、それがどれだけ辛いことだったのか……きっと俺には想像も出来ないと思う」
四宮薫の声は、少しずつ私の緊張を解してくれるようだった。
理由は分からないけれど、彼の声を聞いていると何故か安心出来る。
心が満たされていくように感じる。
「……そんな大袈裟なことじゃないよ。私がしてきたことは、そんな綺麗な……貴方に褒めてもらうようなことじゃないもの」
「そんなことーー」
「――あるんだよ、四宮薫」
私は身体を起こして、そして闇夜の中で彼を見つめる。
四宮薫がどんな表情をしているのか、暗くて私にはよく分からない。
でもそれがかえって良かったのかもしれない。
もし彼の表情がしっかりと見えていたら、もう私は何もいえなくなってしまっていただろうから。
「私はね、何度も人を殺して来た、最低の人間なんだよ。最初はそんなことなかった。ただ貴方を助けたい。私のこと救ってくれた貴方を、何とかして救いたい。ただそれだけだったのに……」
「今だってそうだろ?君は、俺をずっと助けようとしてくれていたじゃないか」
「私もそう思ってた。だけど、だけど……もう今は分からない。もう純粋な気持ちだけじゃない。途中から私は、きっと間違えたんだ。貴方以外の命なんてどうでもいい、貴方さえ幸せになってくれれば、それでいい。そう思うようになっちゃったんだもん」
私はこの死に戻りの過程で、あの通り魔を精神的に完全に殺した。
‘実験’という名目で何度も何度もそこら辺の蛆虫のように殺し尽くした。
心は、もう痛まなかった。
私にとってはもう、四宮薫以外のものはどうでも良い。
本気でそう思い続けていた。
「貴方と話して、ようやく分かったんだ。私が今までやって来たことは、貴方の為なんかじゃない。自分のためだったんだって。貴方の死を理由にして、私はきっと自分の存在意義を確かめたかっただけなんだ、って……」
「そんなことない。穴来さんは確かにーー」
「そうなんだ。私は、誰にも愛されなくて認められなくて、惨めで……そんな自分が大嫌いだった。こんな自分、死んでしまえってずっと思ってた……」
「穴来さん……」
震える身体を、抑えようとはしなかった。
一度吹き出した感情はたちまち流れ出て、もう自分自身では制御することは出来なかった。
目の前が滲んでいく。
汚い、ずっと隠していた私の本心。
誰にも打ち明けることのできなかった心の叫びだった。
「でも貴方がいた。四宮薫を救えば、私が生きてきたこの人生にも意味があるんじゃないかって、心の何処かでずっと思ってた。私は初めて、生きるべき‘希望’を見つけられた。そう、思ったの。最低な、どうしようもない考えだよね……」
こんなことに今更気が付くなんて、本当にどうしようもなかった。
四宮薫の表情は、まだよく見えない。
「初めて与えられた玩具みたいに、どんどん貴方に執着していった。だって貴方は私を見てくれた、ただ一人の人だったんだから。好きとか、そういう次元じゃない。この何百もの死に戻りを繰り返して、もうそんな感情はとっくに……とっくに通り越してるんだよ…」
最低の告白だった。
こんなこと、言うつもりはなかった。
この気持ちはずっとこの先もしまっておくはずだったのに。
彼が、四宮薫が悪いんだ。
こんなに優しくされて、私が耐えられるはずがないのに。
実の家族にも見捨てられた、私が我慢できるわけないのに。
「さっきだって、そうだった…。貴方の妹のこと、心のどこかで分かってた。貴方にとってはそれが‘希望’なんだって、なんとなく分かってたのに。それなのに、私は今でも思ってる。貴方の妹なんて、どうでもいいって。私は貴方さえ生きてくれていれば、幸せでいてくれればそれでいいんだって。そう思ってるの」
「……そうか」
「私には、貴方しか見えない。でも、それと同じで、きっと今の貴方には妹さんしか見えてないんだよね……。私と貴方は、似た者同士だったんだね。だから、だか、ら……」
「穴来、さん……」
頬が燃えるように熱かった。
涙が、止まらなかった。
理由なんて、分からなかった。
もう私に残されたのは、言葉を吐き出すことだけだった。
「わ、私……あ、貴方を、こーー」
「もう、いいんだ」
涙でぐちゃぐちゃの私に構わず、四宮薫は私を抱きしめた。
温かかった。こんなにも誰かの温もりを、感じたことはなかった。
「や、やめて、よ…」
「ありがとう、こんなにも俺のことを考えてくれて。俺を救おうとしてくれて、ありがとう」
「わ、私、は…」
「よく頑張ったな。一人で、本当に頑張った。嬉しかったよ、俺のことを好きって言ってくれて。俺もずっと探してたんだ、生きる目的をさ。だから、本当に嬉しかった。穴来さんに、出会えて良かった……」
私の声は、もう言葉にはならなかった。
私は泣いた。
ただ、泣き続けた。
まるで今までの人生で我慢して来た分全てを吐き出すように、泣いた。
彼はずっと私を抱きしめてくれていた。
彼の温かさが、私がここにいることを認めてくれているようだった。
そして、私は気が付けば泣き疲れて寝てしまった。
誰かの温もりを感じながら寝たのは、これが生涯で初めてだったーー
「ん……」
ぼやっとした視界で見慣れない天井を見つめる。
回らない頭で周囲を見回すとーー
「あ、起きたのか。おはよう」
「……お、おはよう」
台所に立つ四宮薫と目が合った。
そしてその瞬間、私は昨日のことを思い出してまた赤面した。
よくもまああんなことが言えたものだ。
我ながら正気の沙汰とは思えない。
でも、そのおかげで私は決心することが出来た。
ようやく、私は本当に私自身がしなければならないことに気がつく事が出来たのだから。
「四宮薫、聞いて」
「……ああ」
「私は、貴方を殺す。殺して、死に戻りさせる」
「……穴来さん、無理はーー」
「無理なんかしてない。これは私が真剣に考えて出した答えなの。貴方が死に戻りをして、妹さんを救いたいと言うなら、私はそれを叶えたい。ただそれだけ」
ちらっと時計を見ると、既に朝になっていた。
つまり私はずっと願い続けていた、四宮薫が死んでしまうあの夜を乗り越えたことになる。
でもそんなことは最早問題ではなかった。
彼は言った、自分を犠牲にしてでも妹を救いたいと。
「……本当に、いいのか」
「うん、もう大丈夫。貴方のおかげで、大切なことに気が付けた。もう私は迷わない。必ず貴方が妹を救える過去へ、私が導くから」
私はそう言って、四宮薫をきつく抱きしめた。
結局のところ、私は彼が好きだった。
いや、好きなんてとうに越えた感情を、この死に戻りで彼に抱いていた。
普通は、きっと好きな人と結ばれたいってそう思うのかもしれない。
愛する人と人生を共にして、一緒に幸せになることが多くの人が望むことなのだろう。
でも私は違った。
私にとっての幸せは、彼が幸せになることなのだから。
私のことなんてどうでもいい。
元々死んでいた私の人生に、四宮薫は希望を与えてくれた。
私に生きる意味を与えてくれた。だから、私は決めたんだ。
「いいのか、本当に……」
「うん、決めたから」
――ねえ、四宮薫。
私は貴方を愛してる。
でもそれは言えない。
だってこれ以上貴方を困らせたくないから。
もう、迷って欲しくないから。
貴方が望むなら、私は貴方だって殺してみせる。
そして必ず、貴方が妹を救う過去を掴み取って見せる。
この力が尽き果てるその時まで、私はずっと貴方を見てる。
その世界に私がいなくたって、いい。
もう私は十分だから。
歪んでるかもしれないけど、これが私の愛なんだ。
「ありがとう……すまない、穴来さん」
「……命」
「え?」
「命、でいい。苗字は、好きじゃないから…」
「……分かった。じゃあ俺も、薫でいい」
「うん、薫……」
貴方は決めたんだね。
死んでしまった妹の為に全てを捧げようって、そう決めたんだよね。
だから私も決めたんだ。
短い人生かもしれないけど、ろくな事がなかった青春時代だったかもしれないけれど。
――死に戻りしたから、この人の妹のために命を捧げようって、そう決めたんだ。
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