断章5「穴来命の誤算」

 夕焼けに照らされた非常階段の踊り場。

 私はゆっくりとその場に座った。

 もう何度目か数えることも止めた死に戻り。

 その中で得た情報を、改めて頭の中で整理していく。

 これまでの情報を何かに書き残したとしても、死に戻りをしてしまえばそれまで。

 決してそれは次の私に引き継がれる事はない。

 それがこの死に戻りという能力の、大きな欠点の一つだった。

 だからこうして定期的に、得た情報を整理整頓することにしている。

 一回や二回程度ならさほど問題にはならないだろう。

 でも私の場合はもう数え切れない程の回数、死に戻りを繰り返しているわけでこの作業は必須だった。


「……えっと」

 

 用意したノートに要点だけをまとめていく。

 勿論、ノートに書き残す事自体に意味がないのは分かっている。

 それでも何かに書く事で少しでも作業効率を上げられるような気がした。

 ほら、テスト勉強とかと同じだ。

 頭の中で言葉を繰り返しながら同時に手で書いて、そして声にも出す。

 その方が結果として早く、より正確に記憶出来る。

 だから周囲に誰もいないのを確認してから、いつものように独り言を始めた。


「まず、死に戻りの対象について。これはおそらく、私が直接殺した人間にのみ効力が発揮されるーー」

 

 実験体は勿論、あの通り魔。

 名前は……もう忘れてしまった。

 とにかくあの男、そして何より私自身で証明済な事だった。

 私が直接手を下すことで、初めて効果が発揮される。

 これが私の死に戻りの能力の正体。

 ノートに書き出しながら、一つずつ情報を整理していく。


「次に、能力の効果について。これもおそらく、だけど……私の能力は殺し続けなければそこで効果が、切れるーー」

 

 あの男を殺した次の世界で、確かにあいつは私のことを覚えていた。

 でもそこで男を殺さずに死に戻りをすると、あいつは私のことを綺麗さっぱり忘れていたのだった。

 これはつまり、私が殺し続けることで死に戻りと共にその人間の記憶も引き継がれる。

 そういうことなのではないだろうか。

 これについては勿論、仮説の域を出ることはない。

 でも何度も何度も‘実験’で確かめた結果から出た結論だった。

 それに何よりの証明は私自身の記憶だ。

 何故私は毎回死に戻りしているのにも関わらず、記憶をちゃんと引き継いでいられるのか。

 それは私が私を殺すという条件を、自殺という形で満たしているからではないか。

 だからこそ今こうして私は全てを記憶したまま、ここにいることが出来る。


「ここまでをまとめると、私が死に戻りをするには自分で命を断たなければならない……」

 

 ――つまり、そういうことになる。

 私の能力は私に殺されることで、おそらく発現する。

 ならばもし、私が誰かに殺されたとしたら……。

 これを確かめるには私自身が誰かに殺される他ない。

 ただそれを確かめることはあまりにもリスクが高いものだった。

 これまでの結果から、私の能力については概ねの解明はされている。

 わざわざ危険を冒す必要はない。

 それよりも気を付けなければならない点は、死に戻りするには誰かに殺されてはならないということだ。

 たとえ事故だとしても、自殺以外の方法であれば能力は発動しない。

 それならばどこまでが‘自殺’に含まれるのか。

 例えば自分から道路に身を投げ出してその結果轢かれた場合、能力は発現するのだろうか。


「……考えるだけ、無駄ね」

 

 そう、それは無駄な考えだ。

 私が気を付けるべきなのはそうならない様に‘上手く’立ち回ることなのだ。

 常に鞄の中にはナイフを忍ばせておく。

 もし緊急の事態が起きた時には自分で自分を殺せるように。

 それ以外は考える必要はない。


「うん……ここまでは大丈夫。ちゃんと覚えてる」

 

 むしろここまでは結論に至るまで、意外と時間は掛からなかった。

 ‘実験’自体も数回程度の死に戻りで済ませることが出来た。

 大きく深呼吸をして、一回伸びをする。


「そして……死に戻りの、弊害についてーー」

 

 これが大きな問題だった。

 数多くの死に戻りを重ねた今ですら、まだ仮説の域を出ることは決してない不確定な要素。

 ただ、これ以上の実験を重ねることは今となっては不可能に近い。

 少なくともあの男では、もう無理だろう。


「死に戻りを繰り返すことで、対象の精神は大きく削られていくーー」

 

 私はあの男を何度も何度も殺し続けた。

 それは勿論、この死に戻りの能力の検証のためだった。

 しかし回数を数えなくなってからしばらくして……いや、もしかするとずっと前からだったのかもしれないが、あの男に異常が見られるようになった。

 いつものようにあいつのアパートを訪ねた私が見たのは、廃人と化した男の姿だった。

 勿論死んではいない。

 死んではいないがだらんと全身を弛緩させ、虚ろな目で宙を見ている男は完全に廃人だった。

 それを見た時、私は心臓をギュッと掴まれたような感覚に陥った。

 よく考えれば、死んだはずの人間がもう一度その日をやり直すなんておかしいんだ。

 何か代償があったとしてもおかしくはない。


「……一度廃人化すれば、もう、元には戻れないーー」

 

 私は慌てて男を殺さずに死に戻りをしたが、男は廃人化したままだった。

 何度かそれを繰り返したが結果は変わることはなかった。

 つまり一度ああなってしまったら最後、元に戻る事は出来ない。

 私は、あの男の人生を終わらせてしまった。


 ――いや、あいつは元はと言えば四宮薫を殺した殺人犯なんだ。

 ――ああなって当然の人間のはず。


 そう思っても私の心が晴れる事はなかった。

 今更善人ぶる気なのだろうか。

 もう何十回も、何百回も人を殺した私にそんな資格あるはずないのに。


「……私も、ああなる?」

 

 それまで走らせていたペンを止める。

 いつの間にかノートの字は書きなぐったように汚く、乱れていた。

 あの男が死に戻り続ける事で廃人化したならば、もう私はとっくにその域を超えているはず。

 でも未だ、私自身にはその兆候すらない。

 これは一体どういう事なのだろうか、いくら考えても答えは出なかった。


「……考えるだけ無駄よね、きっと」

 

 これもそうだ、考えるだけ無駄だ。

 だって答えは誰にも分からないのだから。

 私にだけ抗体のようなものがあるのかもしれないし、気付いていないだけでもう症状が現れているだけなのかもしれない。

 でもそれは考え始めたらきりがないわけで、今の私にとって考える必要のない事に違いなかった。

 むしろ通り魔という四宮薫を死に追いやる一つの要素が消えた、そう考えた方が良い。


「要素……」

 

 考えてはいけない。

 普通の倫理観なんて私はもうとっくの昔に捨てたのだから。

 今ここにいるのは、ただ四宮薫を救うためだけに存在している‘私’に過ぎないのだ。

 他のことを考える必要は一切ない。

 今はただ、彼を救うことだけに私の全てを捧げるんだーー


「…………もう、これしかないんだよね」

 

 ゆっくりとノートを閉じて、校舎裏の焼却炉に投げ入れる。

 パチパチと小気味良い音を立ててノートは燃えた。

 この結論に至るまで散々悩み、散々試行錯誤した。

 他に何か手は無いのか、何百回を超える死に戻りの中で考え続けた。

 でも結局有効な手段を、思いつく事は出来なかった。

 未だに四宮薫は死の運命に囚われ続けている。

 だとしたらもう残された手段は一つしかない。

 私一人で限界ならば、彼と一緒に考えるしかない。


「……四宮薫を、殺すーー」

 

 それが私の出した結論だった。






















 月明かりに照らされた夜道で、私はじっと四宮薫が来るのを待つ。

 今までも幾度となく来たこの場所。

 けれど今日はいつもとは全く違う気持ちで、私はここにいた。

 予定通りなら彼が現れるまで後数分。

 まだ姿さえ見えていないのに、私の心臓は痛いくらいに跳ね上がっている。

 手汗が止まらずにさっきから何度も拭っていた。 

 緊張している。

 それは火を見るよりも明らかだった。


「……落ち着くのよ、私」

 

 何を今更緊張する必要があるのだろう。

 これまで私は幾度となく人をこの手にかけてきた。

 もう罪悪感なんてはるか昔に捨てたはずなのにーー


「なんで……今更震えてるの」


 いざ四宮薫を殺す、となったらこんなにも動揺するなんて自分でも思いもしなかった。

 彼のことを考えている時だけ、私は普通の女子高生でいられる気がする。

 勿論、そんな感情は今から行うことには一切不要なのだろうけれど。

 彼を殺して、死に戻りさせる。

 そして全ての事情を説明して一緒に解決策を導き出す。

 それが私の出した答えだった。

 もう一人では限界だった。

 やれる事はこの何百回でやり尽くした。

 それでも私はついに彼を救うことが出来なかった。

 だから、もう一人では不可能なんだ。

 もしかしたら彼と協力することで新しい打開策が見つかるかもしれない。

 運命という壁を打ち破れるかもしれない。

 それは何の根拠もない、私の妄想のような願いだった。

 でも今の私にはそれに頼るしかない。それ以外に、方法はもう見つからなかった。


「…………あ」

 

 そして、月明かりに導かれるようにして四宮薫は私の目の前に現れた。

 いつもと同じ、生気のない疲れた顔だった。

 これから私は彼を殺す。殺さなくては、いけないんだ。

 救うために殺す、そんな矛盾を抱えたまま私はゆっくりと彼に近づいていった。


「……こんばんは」

「えっと……こ、こんばんは」

 

 急に声を掛けられて、四宮薫は困惑していた。

 今なら隙だらけ、いつでもいける。

 ポケットに入れたナイフをそっと右手で確かめる。

 冷たい金属の感触が、私の意識をよりはっきりとさせてくれた。


「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

「い、一体何をーー」

「――さよなら」

「がっ!?」

 

 彼が応えるよりも早く、私は無心でナイフを突き刺した。

 生暖かい感触と共に、目の前の彼はゆっくりと崩れ落ちていく。

 一体何が起きているのか分からない、そんな表情で私を見ていた。


「は……あ……」

「ご、めんな、さい……」

 

 真っ赤に広がる海の中、四宮薫は悶え苦しんでいく。

 見たくなんてなかった。

 でも私は目を背けるわけにはいかない。

 これが私のしたことなのだから、逃げるなんて許されない。

 全身の震えを必死に抑えて、私は彼の最期を見届けた。


「…………」

「……大丈夫、大丈夫だからね」

 

 そして私も真っ赤な海の中に入っていく。

 きっと最初は反発される、拒絶される。

 でも絶対に何とかしてみせる。

 だから安心して逝ってほしい。

 まだ暖かい彼の温もりを感じながら、私はゆっくりと自分にナイフを突き立てたーー
















― dead end ―






















「もうすぐ、かな」

 

 月明かりに照らされた夜道で、私は四宮薫を待っていた。

 彼と一緒に死に戻りをしたその朝に、私は彼の携帯に電話を掛けた。

 間違いなく混乱しているだろうから、一から事情を説明したかった。

 おそらく拒絶されるに違いないと思いながら電話した私が言われた言葉は、予想外のものだった。


『会えないか、前にあった場所で今日。頼む……!』


「こんなにすんなり行くなんて、思わなかったな…」

 

 私の懸念は杞憂に過ぎなかったのだろうか。

 携帯越しに聞いた彼の声は、まるでずっと前から私からの連絡を待ちわびていたような印象すら受けるものだった。

 仮にも自分を刺し殺した相手からの電話だ。

 嫌悪はすれど、喜ぶことなんてあるのだろうか。

 嫌な予感が、さっきから拭えない。

 事態はこうして好転しているはずなのに、私は取り返しの付かない間違えを犯してしまったのでは。

 そんな気持ちにすらなって来る。


「……考え過ぎだな、私」

 

 すぐに後ろ向きに考えてしまうのは、私の昔からの悪い癖だ。

 大丈夫、少なくとも彼はもうすぐここに来る。

 彼と会って意思疎通が出来れば、後はどうにでもなるのだから。


「あ……」

「はぁはぁ……や、やっと会えた……!」

 

 月明かりに照らされて、四宮薫は姿を現した。

 急いで来たのか、びっしょり汗をかいており息もかなり荒い。

 それでも私を見るその目は今まで見てきた彼とは全く異なる、希望に満ちた目をしていた。

 やっぱりおかしい、自分を殺した張本人を見る目じゃない。

 激しい違和感を覚える私に、彼はとどめの一言を言い放つ。


「頼む!もう一度、俺を過去に戻してくれ!」

「えっと……え?」

「次こそは救ってみせる…だから頼む!」

「す、救う…?な、何を言ってるのーー」

「――あるんだろ君には!?もう一度俺を10年前に戻す力が!だから俺を呼んだんだろ!?」

「………………え?」

 

 ここで私はようやく、自分の力を正しく理解出来ていなかったことを思い知らされた。

 この時まで私は、なぜ私がいつも四宮薫が死んだ日の朝に戻れるのか。

 その理由について考えることをしなかったし、疑問にも思わなかった。

 私が戻りたいと願ったから、戻れたと単純に思っていた。

 それならば四宮薫が一番戻りたいと願っている過去が一体‘いつ’なのか、考えようともしていなかったーー


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