48話「告白・2」


 大講堂は入り口が真後ろと左右に分かれてあり、席は一列ごとに段々になっていた。

 正面には壇上があり、講演者はそこでマイクを使って話をするようだ。

 映画館の構造を思い浮かべるのが一番分かりやすいだろうか。

 そして俺たちは後ろの方の列の、丁度真ん中の席に座ることにした。


「…センパイ、大丈夫ですか。別に無理して見て行かなくても、良いんですよ」

「いや、大丈夫だ。むしろ悪いな、気を遣わせて」

「いえ、あたしは大丈夫ですけど…」

 

 真白台は俺を心配してくれているが、詳しい理由を聞こうとはしなかった。

 戸惑った表情はしていたし、おそらく俺と青ねえの関係を、本当は知りたいと思う。

 それでもそこを抑えて俺を心配してくれている彼女は、本当に出来た後輩だった。

 真白台は、青ねえと知り合いだという。

 それなら余計に知りたいはずなのに、我慢しているのだろう。

 でも今はその気遣いがありがたい。

 勿論、説明するつもりだが今は急過ぎて頭が整理出来ないのも事実なのだ。


「……ごめんな、真白台」

「謝る必要ありませんよ。センパイと青子さんがお知り合いだったのには驚きましたが、意外と世間は狭いですし。こういうことは、なくはないと思いますから」

「本当、肝が座ってるな真白台は」

「……あたしだって、本当は気になりますけど」

「ん?」

「いいえ、今のは褒め言葉として受け取っておきますね。ほら、もう始まりますよ」

 

 真白台の言葉と、壇上に司会者が現れるのは同時だった。

 司会者役の学生は、毎年この桜陽附属に所縁のある有名人を呼んで、講演会をやっていることなどを軽く説明した。

 そしてまもなくして紹介と共に、青ねえが壇上に現れた。

 穏やかな笑顔を浮かべながら、促された席に座る彼女はやはり間違いなく俺の幼馴染だった。


「それでは今年のゲスト、現在桜陽学院に通う現役女子大生モデルの真夏川青子さんです!」

「どうも、ご紹介に預かりました。真夏川青子と申します。本日はどうぞ宜しくお願いします」

 

 会場からの拍手を受けながら、青ねえは一礼して席に座る。

 講演会というよりは学生主導のインタビューのような形を取っており、予め用意された質問に答えると言ったものだった。

 質問は学生が考えたものらしく、青ねえはそれらにそつなく答えている。

 どうやら真白台が言った通り、若い人、特に女子には絶大な人気があるようで前列にいる学生は皆、憧れの眼差しで青ねえを見つめていた。


「――なので、特にモデルになりたいとか、そういう目標があったわけでないんです。スカウトがなければ、今も普通の学生として過ごしていたでしょうし。あ、別に今だって普通の学生なんでしょうけどね」

 

 壇上にいる青ねえはとても落ち着いていて、大人のお姉さんだった。

 でも俺は知っている。

 そんな彼女だって人前にはしゃいで、むしろどこか子供っぽくって。

 簡単に傷付いてしまう、ただの女の子だってことを、俺は知っている。

 きっとここにいる誰もが知らない彼女の表情を、俺は知ってしまっているんだ。

 それが何を意味するのか、俺にはそれに応える義務がある。


「はい、ありがとうございます。それでは次の質問ですが…ええと、ずばり、好きな男性のタイプはどんなタイプですかーーこれは結構踏み込んだ質問ですが…」

 

 その質問に講堂中が騒つくのが分かった。

 皆、興味津々のようだがそれはそうだろう。

 俺だって、青ねえじゃなければこういう話には興味がある。

 特にモデルをやっている女性のタイプなんて、聞いてみたいと思うに違いなかった。


「あはは、分かりました。と言っても、この手の話題はよく聞かれますし、雑誌とかでもいつも答えてるんです」

「そうだったんですね」

「ええ。嫌味とかではなく、私自身異性を好きになったことが無いので、タイプを聞かれてもよく分からないんですよね。好きな男性芸能人とかがいるわけでも、ないので」

 

 それは当たり前といったら当たり前。

 当たり障りのない答えだった。

 安心したような残念なような、そんな気持ちになっていた俺は、見た。

 一瞬、確かに俺の方を見てウインクをした彼女を、見た。


「あ……」

 

 青ねえは気が付いていた。

 俺がここにいることに、気が付いていたのだ。

 そしてウインクをしたその理由はーー


「でも、実は最近、その考えが覆されたんです。あの、ここからは今ここにいる皆だけの秘密に、してほしいんですけど」

「も、勿論です。聞きましたか皆さん、これからする話はオフレコ!他に話すのは厳禁ですからねー!」

 

 先程の数倍騒つく生徒たちを一瞥して、青ねえは深呼吸した。

 そしてゆっくりと立ち上がってマイクを握りしめる。

 少し震える身体を抑えてから、話し始めた。


「……私、人を好きになるってとても下らないことだって、そう思ってました。好きっていう感情は、結局独占欲や支配欲を綺麗に言い換えているだけだって。そして私はきっと死ぬまで、誰かを好きになることはないんだろうって、そう思ってました」

 

 先程までと打って変わって静まり返った講堂に、青ねえの声だけが響く。


「でも初めて誰かを好きになって、恋をして…。初めはすごい戸惑って、でもすごい嬉しかったんです。私にももしかしたら恋をすることができるかもって、嬉しかった…。でも、途中から急に苦しくなって、辛くて。自分でもコントロール出来ない感情があることを、そこで初めて知ったんです」

 

 誰も口を挟む者はなく、ただ彼女の言葉を聞いている。


「それで、後悔したんです。こんな風になるなら、やっぱり誰かを好きになるんじゃなかったって。私だけの日常にいた方がずっと良かったんじゃないかって…。そのままずっと悩んで、苦しくて、でもどうしようもなくて。そこでやっと気が付いたんです。ああ、やっと私は、皆と同じ、スタートラインに立てたんだなって」

 

 青ねえは、すっと目線を上げて、俺をしっかりと見据えた。


「ねえ、私、今でも貴方が好き。理由なんて分からない。でも考えるのも煩わしいくらい、好き。何度だって、告白するよ。振られたって構わない。今は振り向いてくれなくたって、構わないの。貴方が教えてくれたんだよ?だから、お願い…貴方を、好きでいさせて」

「……あお、ねえ」

 

 そうやって青ねえは、静かに微笑んだ。

 しんと静まり帰る講堂で、まるで彼女だけしかいないようだった。

 そしてまたゆっくりと深呼吸してから、椅子に座り元通りの笑みを浮かべる。


「――まあ、こんな感じですかね。もし、私に好きな人が出来たら、ですけど?」

「え…えっとじゃあ今のは……」

「ふふふ、実は最近ドラマに出てみないかって誘われてまして。どうでしたか、私の‘演技’。少しは様になってましたかね」

「……あ、ああ!そういうことなら早く言ってくださいよ!」

「あはは、ごめんなさい!でもさっきも言いましたけど、ドラマの話はまだはっきりしてないので、ここだけの話にしてくださいね?」

「も、勿論です!皆さんもお願いしますねー!」

 

 あれは、あれは演技なんかじゃない。

 彼女の、二度目の告白だった。

 俺と、青ねえにしか分からない、告白。

 一気に騒つく講堂の声は、俺に届くことはなかった。























































「ねえ、さっきの真夏川青子の、ヤバくなかった?」

「私、思わず本当かと思っちゃったよー!」

 

 講演会は、あっという間に終わった。

 そして流れ出てくる生徒に混ざって、俺たちも講堂を後にする。

 周りからは興奮気味の学生の声がちらほらと聞こえてくる。

 どうやら青ねえの講演会は中々の評価を得ているようだった。

 でも今の俺には、そんなことを気にする余裕はなくて、少し離れたベンチに座り込むのがやっとだった。


「……大丈夫、じゃなさそうですね、センパイ」

「…悪いな、真白台。変な心配かけちゃって」

「……こないだ言ってた、‘友達’って青子さんのこと、ですよね?」

「はは、まあ、分かるよな」

「はい。センパイは、本当に分かりやすいですから」

 

 俺が青ねえと口走った時点で、真白台はある程度想像出来ていたのだろう。

 あの夏の終わりに俺が真白台に相談した‘友達’の正体を。


「センパイ、あたし実はーー」

 

 真白台の言葉は、携帯の着信音で遮られる。

 真白台はどうぞというジェスチャーで、俺に携帯で出るよう促してくれた。

 相手の名前を見て、俺は一度深呼吸をする。

 そしてゆっくりと通話ボタンを押した。


「……もしもし」

「久しぶりだね、薫」

「青ね……えっと」

「良いよ、青ねえで。無理することないから」

「ごめん…」

「私の方こそ、ごめん。それでね、この後直接話せないかな。さっきの、聞いてたでしょ」

「…えっと」

「無理なら来なくて、良いよ?その時は、もう諦めるから。でも来て欲しい。場所はね、覚えてるかな。2人で昔よく遊んだ公園」

「ああ、覚えてる…」

「じゃあそこに…もうすぐ仕事終わるから、4時で。もし来るならだけど」

「青ねえ、俺さ」

「待ってるからね、薫」

「あ、青ねえ!…切りやがった」

 

 言いたい事だけ言ってから、青ねえは通話を一方的に終わらせた。

 場所については分かっている。

 家の近くにある、昔よく遊んだ公園だ。

 後は行くか、どうか。


「……気をつけて、行ってきてくださいね」

「真白台…」

「分かってますから。センパイがどういう人かっていうのは。1ヶ月一緒にいたんですよ?当たり前です。今から帰って、一回自分の言いたい事を整理したらどうですか」

「……悪いな、真白台。せっかく招待してくれたのに」

「あたしのことは気にしないで下さい。センパイももう十分満喫したでしょうから。残りは、また来年にしましょう」

「でも真白台はどうするんだ」

「あたしはさっきの友達に混ぜてもらいますから、気にしないでください。それよりセンパイは、センパイにしか出来ないことをしてください」

 

 真っ直ぐに俺を見据えて、真白台ははっきりとそう言ってくれた。

 俺にしか出来ない事。

 青ねえの想いに、ちゃんと真正面から向き合う事。

 それが今の俺にしか出来ないことに、違いなかった。


「……ああ、行ってくる。ありがとな、真白台」

「はい、いってらっしゃい、センパイ」

 

 俺はそれだけ言って、広い校舎を入り口へと戻っていく。

 もう逃げるわけにはいかない。

 これ以上、青ねえの悲しそうな顔を見たくない。

 ただその想いだけで、俺はあの公園へ走っていくのだった。


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