45話「個性的な彼女 -真白台冬香の場合ー 」
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あたしは天から授かった能力は、世間では‘瞬間記憶能力’と呼ばれるものだった。
それは読んで字の如く、見た映像や聞いたことをそのまま記憶出来るもの。
あたし自身、小学校低学年くらいまでは気が付くことはなかった。
学校の成績が優秀なのも記憶力が良いくらいにしか周りも、あたし自身も思っていなかった。
『お母さん、昨日は連れて行ってくれるって言ったのに!』
『仕方ないでしょ?それに時間があればって、そういう約束だったでしょ』
きっかけは、どこにでもあるような些細な親子喧嘩。
その日もいつも通り、喧嘩していたあたしとお母さん。
『違うもん!お母さんは‘今週は時間が取れたから、お昼から遊園地に一緒に行こうね。パパも久しぶりにお休み取れたからね’って、そう言ったもん!』
『えっと、冬香……?』
『あたし、覚えてるもん!』
きっとお母さんからしたら、その時のあたしはさぞ不気味に見えたに違いない。
たかが小学生の記憶力を超えたその言葉は、あたしを異質なものと疑うには十分なものだった。
それから、病院やいくつかの施設を回って出た結論が瞬間記憶、ということだった。
まるでカメラのレンズのように、そのまま映像を記憶に残すことの出来る。
それは側から見れば、夢のような才能だった。
その能力を聞いた時、あたし自身はよく分からなかったが、両親や周りからすごいと言われて悪い気はしなかった。
何より、小学校高学年になって嫌でも分かった。
勉強という分野において、この力がどれほど凄まじい結果を残すのか。
クラス、いや同じ学年であたしに勝てる子はまずいなかった。
それがあたしはとても誇らしくて、いつも自信満々だった。
両親の言い付けで、あたしが瞬間記憶が出来ることは言えなかったが、それでもあたしは見る見る天狗になっていった。
将来は偉い学者さんになるとか、お金持ちになるとか、散々持ち上げられてあたしは有頂天にいた。
だからなのだろうか。
神様は、そんなあたしに罰を与えたのだろうか。
小学校6年生の時、あたしは交通事故に巻き込まれた。
お母さんを迎えに行くため、お父さんと2人で車に乗った時だった。
居眠り運転をしていたトレーラーに巻き込まれて、運転していたお父さんは即死だった。
そして助手席にいたあたしも、生死の狭間を彷徨った。
燃え盛る炎の中で、あたしは決して消えることのない記憶を、そこで植え付けられた。
煙の臭い。
熱い炎の温度。
コンクリートを流れる血の感触。
そして真横で絶命している、お父さんの変わり果てた姿。
一命を取り留めたあたしを待っていたのは、そんな地獄の記憶の繰り返しだった。
ふとしたことで急に目の前が真っ赤に包まれる。
それがいつ起こるかも分からないまま、怯えて眠れない日々が続く。
そして少し眠りにつけばたちまちあたしは真っ赤な海に飲み込まれて、自分の叫び声で目を覚ます。
退院しても、決して治ることのない傷があたしを苦しめる。
そしてさらにもう一つの変化。
『……髪の毛が、白い』
気が付けば、精神を病んだあたしの髪の毛は、真っ白に染まっていた。
眠れない日々がもたらしたのか。
それとも飲んでいる薬の副作用か。
真っ黒だったあたしの髪の毛は、いつの間にか色が抜け落ちていた。
黒く染めることも出来た。
でも、あたしはそうしなかった。
だって黒く髪を染めれば、またあの日のことを思い出す。
黒髪に染み付いた、お父さんの血を思い出す。
染めなければあたしは、別人になれるかもしれない。
あの夢を、見なくて済むかもしれない。
そう思った。
でも神様はそんなあたしを許してくれるはずもなかった。
交通事故から2年ほど経って、あたしは身体の異変に気がついた。
『……どうなってるのよ、これ』
小学6年生のあの日から、あたしの成長は止まってしまったのだ。
背も全く伸びず、身体も全く変わらない。
いつまで経ってもあの事故の日のままの姿だった。
病院を回ったが、理由は全く分からない。
結論は出ず、結局心の問題だという曖昧な答えが出るのみだった。
あたしはあの日にずっと捕われてしまっている。
深い眠りにつけば、今でも真っ赤な海が鮮明に蘇る。
真っ白な髪だけが、唯一あたしに残されたあの日との相違点だった。
そしてお父さんが死んだことで、お母さんは女手一つであたし達を育てなければならなくなった。
それが、あたし達に残された現実だった。
それからただ必死で勉強をした。
お母さんを、弟達を守るためにはあたしが稼ぐしかない。
もうこれ以上皆に辛い思いはして欲しくなかった。
だから友達も作らず、ひたすら勉強したのだ。
皮肉にもあたしに唯一残されたのは、瞬間記憶という能力だった。
だったら使うしかない。
あたしにはこれしかないのだから。
それに、楽しい思い出なんて、もういらない。
きっとあたしはもう耐えられない。
これ以上の不幸に、あたしの心は耐えられないんだ。
あの事故を思い出すたびに、心は静かに軋んでいく。
もうこれ以上、あたしに関わらないで。
今のあたしには家族のことで精一杯なのだから。
だからお願い、もうこれ以上は踏み込まないで。
真っ赤に燃える炎が、またあたしを包んでいく。
ああ、お願い。
誰か、誰か……助けてよーー
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「――あ、起きた。冬香、おはよう」
「……あたし、寝てた?」
夕陽に照らされた教室を見回すが、目の前でニヤニヤしている真理亜以外はいないようだった。
また寝てしまったのか。
少しだけと思っていたのに、どうやらバイトの疲れが溜まっているのかもしれない。
「それはもうぐっすりと。大丈夫?最近なんか疲れてるみたいだけど」
「別に、大丈夫。っていうかそっちこそ、大丈夫なの?教室であたしなんかに構ってたら不味いんじゃない?」
「そういうの、もう気にするのやめたから。それに友達に話し掛けて、何か悪いかしら」
「……本当、強いね、貴女は」
「真理亜」
「え?」
「貴女じゃなくて、名前。ちゃんとありますけど」
「……ごめん、真理亜」
「うん、それじゃあ帰ろ、冬香」
そう言って真理亜は軽やかに教室を出て行く。
よく考えれば、同学年の友達が出来たことなんて本当に久しぶりだ。
あの事故の日から、あたしはなるべく周りと距離を取るようにした。
これ以上、余計な記憶なんていらない。
その時は本当にそう思っていたんだ。
「ねえ、今週末の文化祭、冬香は誰か呼ぶの?」
「文化祭?……ああ、そういえば何人か招待できるんだっけ」
「私たち特進クラスは出し物とか出来ないんだから、誰か呼んだりして回らないと1日暇よ。まあ、冬香にそんな友達がいれば、だけど」
「うるさいな。あたしだって呼びたい人くらいーー」
そこまで言って、あたしは口を閉じる。
思い浮かぶ人はいた。
でも呼んでどうするのか。
あたしはこれ以上、彼に望むことなんてない。
「……何よ。言いなさいよ」
「……別に。それより、真理亜だって、いるんでしょ。一緒に回りたい人」
「それは……まあ、その、いなくもないっていうか」
「あー、もじもじしなくても分かってるから。手塚くんでしょ?頑張ってね」
「は、はぁ!?べ、別に言ってないんですけど!?」
「じゃああたしが誘っちゃおうかな、手塚くんのこと」
「い、いやそれは駄目っ!!……冬香の、意地悪」
「あはは、ごめんごめん」
「……絶対に許さない。冬香もその‘呼びたい人’を連れてくるまで、絶対に許さないから」
「ちょっと真理亜…」
「許さないから」
「もう、参ったな……」
そのまま真理亜はあたしを置いて、どんどん先に行ってしまう。
ちょっとからかっただけなのに、面倒臭いことになってしまった。
ため息をつきながら、センパイのことを思い浮かべる。
いつもお世話になっているわけだし、ウチの文化祭に招待するくらい、しても良いのかもしれない。
別に特別な意味は、ない。
そう何度も自分に言い聞かせているのに、変な気持ちになる。
すごく変な気持ちになっている自分がいた。
「――文化祭、ねぇ」
「はい、その…いつもセンパイにはお世話になっているので、そのお礼にどうでしょうか」
夜。
真理亜の再三の脅しにより、あたしは仕方なくセンパイに電話をしていた。
いや、真理亜を言い訳にするのは卑怯だ。
あたしはただ、センパイに来て欲しいだけなのかもしれない。
「今週の土曜日か」
「……あの、難しければ別に」
「うん、せっかくだし行くよ。桜陽附属の文化祭なんて、滅多に行けるものじゃないからな」
「そ、そうですか。良かったです」
「良かった?」
「いえ、こちらの話なので。それで時間なのですかーー」
平静を保って、連絡事項を伝える。
センパイが来てくれる。
それだけでこんなにも胸が高鳴るなんて、やはりあたしは変だ。
最後にお礼を言って、あたしはセンパイとの電話を終える。
ふと目の前の鏡を見れば、小学生のままのあたしの姿がそこにはあった。
あの時と変わらない、あたし。
「……なんでよ」
鏡をそっと撫でて、鏡の向こうの自分自身へ語りかける。
真っ白な髪に、小さな身体。
あたしの出来過ぎた才能の、その代償。
「お願いだから、もう許してよ…」
目の端に、ちらりと炎が揺れる。
まずい、心を平静に保たないと。
深呼吸してゆっくりと目を閉じる。
一生付き合っていかなければならないもの。
あたしはどこまで行ってもあたしでしかない。
まぶたの裏でちらちらと揺れる炎は、いつまでも消えることはなかった。
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