44話「友達」


 いつもの昼休み。

 あたしは校舎裏の階段でいつものように昼を過ごす。

 数日前、階段から落ちた怪我もすっかり治って、相変わらずの日常を過ごしていた。

 念のため病院に行ったのだが、頭にも特に異常はなく軽いコブが出来た程度だった。

 お母さんはかなり心配してくれていたが、大袈裟だと思う。

 あたし自身、あの怪我のことはもう全く気にしていないのだから。


「……頂きます」

 

 一人っきりのあたしだけの空間。

 そっと呟いて、ゆっくりとお弁当箱を開ける。


「あー、またここにいた!」

「……天王寺さん」

 

 しかしそんなあたしだけの空間は、いとも簡単に壊されてしまう。

 真っ赤に燃えるような赤いツインテールを揺らして、天王寺さんは遠慮無く隣に腰掛けてきた。

 これでもう何日連続なのか。

 思わずため息をつくあたしに気付いて、天王寺さんは面白くなさそうな顔をする。


「また嫌な顔した…」

「実際、嫌だから」

「……普通、思ってもそういうことは言わないものよ」

「そう?傷付いたなら謝るけど」

「別に。冬香が、あたしのこと嫌いなのは分かってるから大丈夫だし?」

「それは良かった。じゃあなんで隣でお弁当を食べようとしてるのか、説明してくれない?」

「私がどこでお昼を過ごそうが、私の勝手でしょ。ここは冬香だけの場所じゃ無いんだから。それとも、ここは自分だけの場所なの?」

「……それは、違うけど」

「でしょ?じゃあ別に構わないわよね」

 

 ドヤ顔をして隣で昼の準備を始める天王寺さん。

 正直、少しイラッと来てあたしは彼女を睨み付ける。

 それに気が付いたら天王寺さんは、勝ち誇ったような笑みを浮かべるのだ。

 これが、あの怪我から変わった、変わるはずのなかったあたしの日常。

 あの日以来、彼女はこうやって昼休みに必ずここに来て、あたしと昼を過ごすのだ。

 それ以外は、以前と変わらない。

 強いて言えば、天王寺さんたちのグループからの執拗な虐めがパタリと止んだことくらいか。

 これに関してはとても助かるし、天王寺さんも少しは反省してくれたのだと思っていたのだがーー


「どう、今日のお弁当?」

「……相変わらず、味が濃い」

「ええっ、ちゃんと分量計ったのだけれど…」

「はぁ…」

 

 何故かあたしはこうして、毎日彼女のお弁当を味見してはアドバイスをしている。

 断りもなく来た初日こそ、改めて謝りに来たもののそれからはこうやってあたしの貴重な昼休みを邪魔して来るのだ。

 まあそれをこうして受け入れるあたしもどうかと思うのだが。


「使った食材だって、給仕係に言いつけて最高級の物を……まさか、手を抜いたんじゃ」

「あのね、料理ってのは食材で決まる物じゃ無いから。そもそも、この卵焼き焦げすぎ。焦って強火で一気に仕上げるからこうなるの」

「だって、今日少し起きるの遅くなったから…」

「言い訳しない。そんな半端な気持ちだから、こういう結果になる」

「すいません……」

 

 目の前でショボくれる天王寺さんは、中々可愛かった。

 こうやって黙ってれば手塚くんだって、もっと彼女の魅力に気がつくだろうに。

 口を開けば高圧的な言葉の数々。

 これじゃあ、彼女の恋路はまだまだ険しいに違いなかった。


「…まあ、昨日言った点は改善されているから、努力してるのは分かる」

「そうかな?うん、そうよね!うふふ、また一歩前進だわ!」

「はぁ…」

 お嬢様っていうのはどうしてこうもポジティブなのだろうか。

「なんか文句ある、冬香?」

「……強いて上げるならひとつ」

「何よ」

「その‘冬香’っていうの、やめてくれない?」

「なんで?冬香は冬香でしょ」

「そう、だけど…。滅多に呼ばれた事ないから」

 

 家族以外にあたしを‘冬香’と呼ぶ人はほぼいない。

 ふと浮かぶのは、キラキラとした青子さんの姿。

 そういえばあの人には名前を呼ばれても不思議と嫌じゃない。

 何故か、青子さんには憎めない不思議なオーラみたいなものがあった。


「ふーん。それってさ、冬香に友達がいないってことじゃないの?」

「……どういうことよ、それ」

「普通、女子同士だったら名前で呼び合うわよ、高校生にもなったら」

「……悪かったですね、友達がいなくて。でも別にあたしは構わないーー」

「だから、分からない?」

「え?」

 

 またイラッとして言い返したあたしを、天王寺さんは少し恥ずかしそうに見ている。

 何か、愛の告白でも始まるのだろうか。


「私は貴女を‘冬香’って呼びたい……ってこと」

「……ああ、そういうことね」

「そ、そういうことよ」

 

 もう呼んでますよね、なんて無粋な突っ込みはしなかった。

 どうやら天王寺さんは本気で、あたしに近付いてこようとしているのだ。

 こんなことは滅多にないので、あたしは思わずたじろいでしまう。

 あの時から、あの事故の時から心に決めていたこと。

 他人と必要以上に親密にならない。

 思い出を、作りたくない。

 それを四宮センパイに打ち破られてから、あたしの周りはおかしくなってる。

 こうやってあたしに近付いてくれる人が、次々と現れていく。

 それはとても嬉しいことで、でも同時にそれはとても恐ろしいことだ。

 もうあたしは思い出したくないのだ。

 親しい人を失う記憶を、これ以上持ちたくないのだ。

 戸惑うあたしを、寂しそうに見る天王寺さん。

 違う。

 あたしが言いたいのはそういう事じゃない。

 彼女は勘違いをしている。

 でも、これ以上踏み込まれたらーー


「……ごめん、図々しかったわね。私なんかと、仲良くしたくないに、決まってるもの。今の話は忘れてーー」

「――何か勘違いしてない?」

「えっ」

「あたし達、もう……と、友達でしょ、ま、真理亜…」

「……あはは、顔真っ赤よ、冬香」

「……う、うるさい」

 

 嬉しそうに笑う天王寺さん……真理亜は、とても可愛かった。

 きっとこの笑顔なら手塚くんもイチコロに違いない。

 そしてそんな笑顔を見れて、あたしは思い切って良かったなと思うのだった。

 未来のことを、失うことを気にしても仕方がない。

 今は、センパイが作ってくれたこの流れを、大事にしよう。

































「あ、真白台さん!」

「あ、手塚くん」

「今帰り?」

「そうだけど、手塚くんは…大変そうね、文化祭の準備」

「あはは、自分で決めたことだからね。精一杯やってるよ」

 

 放課後。玄関口であった手塚くんは、模造紙の束を両腕に抱えていた。

 彼はクラス委員もやりながら、自分で来週末にある文化祭の実行委員も兼ねてやっているようだ。

 本当に絵に描いたような好青年。

 同じ高校生なのに、あたしとはこうも違う物なのか。


「あのさ、真理亜のこと、本当にありがとう」

「……別に、お礼を言われるようなことは何もやってないよ」

「あはは、そういう真白台さんの謙虚なところ、俺は好きだよ」

 

 優しい笑みでそう言ってくれる手塚くん。

 あたしは思わずため息をつく。

 こうやって無意識に女子のハートを射止めるわけか。

 これは真理亜も気苦労が絶えないに違いない。

 本人に悪気がないのが、またタチが悪いのだ。

 でも残念でしたね、ラブコメ主人公さん。

 あたしは少女漫画のヒロインなんかではないのだ。


「……あのね、手塚くん。ひとつ大事なことを教えてあげる」

「ん?何かな」

「最近ね、真理亜、誰かのために手料理を作ってあげてるみたいよ?練習して、美味しいお弁当を食べてもらうって」

「へ、へえ、そうなんだ…」

 

 一瞬だけど、その爽やかな笑みが崩れるのをあたしは見逃さなかった。


「一体、誰だろうね?そんな幸せな男子は?」

「えっと、もしかして真白台さんは知ってーー」

「じゃあ、また明日ね」

「あ、ちょっと真白台さん!?」

 

 両手に模造紙を抱えて慌てる手塚くんを尻目に、あたしは足早に玄関から遠ざかる。

 これでいい。

 恋愛っていうものはフェアでなきゃね。

 女の子だけやきもきする展開なんて、あたしは認めない。

 これも全ては‘友達’のためだ。

 あたしはなんて友達思いなのだろう。


「ふふ…」

 

 きっとあの手塚くんの焦った表情を、あたしは永遠に覚えているのだろう。

 それは、意外と悪くないなと思った。


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