39話「同じ結末だとしても」
「――はい、そうです。いえいえ、全く迷惑ではありませんので。はい、いつもお世話になっております。はいーー」
リビングで明子さんは丁寧な口調で電話していた。
会話内容は正確には分からないが、聞こえて来る会話の端々から、上手くやってくれている事が分かる。
やはり明子さんに、事前に相談していて正解だったな。
「…ねえ、どう?上手く行きそう」
「ああ、まだ分からないけど、聞いてる感じ手応えは悪くない。というか、明子さん、凄いな。押しまくりだよ」
「意外とおっとりしてそうに見えて、お母さんはやる時はやる人だからね」
ぐっと親指を立てる春菜。
確かに春菜の言う通り、今までの電話のやり取りのほぼ8割くらいは明子さんが喋っている。
そう思わせるくらい、電話口での彼女のマシンガントークは凄まじかった。
そういえば、酔った親父から以前一度だけ明子さんとのことを聞いた事がある。
なんでも明子さんが猛烈アタックして結婚まで漕ぎつけたんだとか。
あの時は酔っぱらった親父の妄言だと決め付けていたが、今思えばもしかしたらあの話は本当だったのかも知れない。
普段は親父の一歩後ろをついて行くタイプの明子さんだが、いざと言う時の行動力は凄いようだった。
今も電話越しの相手が可哀想になるくらいの勢いで話し続けている。
「…やっぱり正解だったな、明子さんに相談して」
「でしょ?お母さんは、いざと言う時には本当に頼もしいんだから」
そう言って胸を張る春菜の提案で、俺たちは前日の夜に今日の‘夏合宿’のことを、明子さんに相談した。
急な話、しかも3人友達を泊めるなんて、渋る親が多いと思う。
でも明子さんは二つ返事で了承してくれた。
そしてそれだけではなく、断られないように自分が会長の家に電話してくれると言ってくれたのだ。
確かに子どもが電話するより保護者が電話した方が可能性は高いとは思う。
それでもこれ以上は迷惑を掛けられない。
そう思って遠慮する俺に、明子さんは笑顔で「任せて!」と言ってくれた。
その幼さがまだ残る春菜とそっくりな笑顔を見て、やっぱりこの人は彼女の母親なんだなと、俺は再認識するのだった。
「――終わったわよー、2人とも」
「あ、すいません…」
「あれ、バレてた?」
「バレてるも何も、扉から丸見えよ、二人とも」
「「あはは…」」
揃って苦笑いする俺たちを、明子さんは優しい笑顔で迎えてくれる。
なんだかんだ言って、この人には敵わないんだよな、結局。
「あの、どうでしたか…」
「うん、バッチリ!向こうのお父様にもしっかり許可は取ったわ。娘をよろしくですってー」
「お母さん、やるぅ!」
「でしょー?さ、晩ご飯の準備するから、春菜も手伝って!薫くんは、秋空さんに了承得たって伝えてくれる?」
「はーい。じゃあ、後はよろしくねお兄ちゃん!」
「おう。明子さん、ありがとうございます」
「ふふ、お安い御用よ」
そう言って屈託のない笑顔を見せる明子さん。
それを見て、俺はなんとなく親父が明子さんと再婚した理由が分かった。
何はともあれ、これで無事に夏合宿を行う事が出来る。
さっき話した時は、会長もかなり狼狽していたが、これでもう後には引けないはずだ。
別に会長だって年頃の女子高校生なのだから、これくらい良いじゃないか。
青春ってものは人生に一度しかないわけで。
それならば自分が心を許せる友達と過ごす夜は、きっと生涯の大切な宝物になるはずだから。
二度目の青春を送っている俺が言うと、説得力はない気もするが。
「いやぁ、美味しかったねあのハンバーグ。桃園さんも手伝ったんだね、すごく美味しかったよ」
「いや、わたしはそんな大した事はしてないですよ。タネはお母さんが作ってくれてましたし」
「それでも作ったことに変わりはありません。もっと自分を認めて良いんですよ、桃園さん?」
「…なんで大塚さんは、上から目線なのかな」
「…雅?お仕置きが、必要なのかな」
「わ、私は元からこういう言葉遣いなんです!ちょ、先輩やめーーああっ!?」
明子さんの特製ハンバーグを皆でご馳走になり、風呂も入って着替えた俺たちは、再度俺の部屋に集合していた。
これからは少し勉強して後は寝るだけ、なのだが最早誰も勉強なんてしていなかった。
それもそうだ。
昼あれだけ勉強はしたわけだし、夜は皆で談笑して過ごす。
これが合宿の醍醐味なのだがら。
テーブルの方では白川先輩が春菜と協力して、大塚さんをこれでもかといじめていた。
流石の大塚さんも二人がかりでは太刀打ち出来ず、好きなようにされてしまっている。
しかし、会長以外はちゃんと着替えを持って来ていたとは。
裏で春菜が白川先輩と大塚さんに連絡してくれていたらしい。
確かによく考えれば、事前に相談していた方が外堀は固められる。
夕方、いきなり夏合宿のことを話した時も、最初から二人は協力的だった。
我ながら出来る妹を持ったものだ。
そんな事を考えていると、部屋に戻ってきた会長がゆっくりと俺の隣に腰掛けた。
会長は勿論、着替えなんて持っていなかったので春菜のパジャマを借りている。
「……今日は、やられたよ」
「はは、驚いてもらえましたか」
「…後輩のくせに、生意気だぞ?」
「すいません」
「…ううん、ありがとう。本当に、嬉しかった」
「それなら、良かったです」
「…ちょっと、ベランダ行かない?ここ、暑くって」
会長に促され、俺たちはすぐ側にあるベランダに出る。
二階であるこの場所からでもはっきりと見えるくらい、今日の夜空には星々が輝いていた。
会長はそんな夜空を眺めながら、ぽつりぽつりと話し始める。
「……これは、独り言なんだけどね」
「はい」
「独り言なんだから、返事しなくて良いよ」
「あ、すいません…」
「ふふ……こんな風に友達の家で勉強して、遊んで、ご飯もご馳走になるなんて、思いもしなかった。予想も、出来なかったよ。本当に今日はびっくりする事ばっかり。ドーナツもお泊まりも、私が描いていた夢そのもので…」
夏の夜風がそっと彼女の髪を撫でる。
その長い金髪が、夜空の星に負けないくらいキラキラと輝いていた。
「私ね、これからびっくりする事なんて、起きるわけないと思ってた。私の人生は、もうこれ以上変わる事がないって、そう諦めてた。でもね、今日薫くんが、皆が教えてくれた。ほんの少しの努力でも、未来は変えることが出来るって。未来に従う必要なんて、ないんだって」
そう言って、会長はゆっくりと俺を見つめる。
いつもとは違う、真剣な表情の彼女に俺は思わず目を逸らしてしまう。
澄んだ青い瞳がじっとこちらを見つめていた。
吸い込まれそうな淡い青色だった。
「……情けないな。こんな簡単なことに、気が付かなかったなんて。何も諦めることなんて、無かったんだよね。未来なんて、幾らでも変えられる。たとえ結末は同じだとしても、努力することにこそ、意味があるんだね。そんなこと、思いもしなかった…」
「会長…」
独り言だったはずの会長の言葉に、思わず応えてしまった。
彼女の言っていることはよく分からない。
でも何かを吹っ切ったような清々しい彼女の笑顔は、とても美しいものだった。
「私、頑張るね。私は負けない。自分自身なんかに、負けたくない。父さんにも、そして母さんにも、負けないよ。だから、見ててね薫くん。私を本気にさせたんだから、責任取ってくれないと、困るよ?」
「……見てますよ、会長。俺は生徒会役員の一人なんですから」
「あはは、ありがと」
朗らかに笑う彼女はいつも通りの秋空紅音だった。
会長が抱えているものは、俺にはよく分からない。
それでも少しでも彼女の役に立つ事が出来たなら、俺は嬉しい。
ふいに会長が間合いを詰めて、小声で俺の顔を覗き込みながら囁いてきた。
「――で、ね。実は今、ノーブラなの…」
「はい……はいっ!?」
「だって、急だったでしょ?パジャマと下は春菜ちゃんのを借りたんだけど、ほら、上はその、サイズが合わなくて、ね?」
そう言って頬を赤らめながらギュッと俺の右腕に抱きつく会長。
何やら柔らかい感触が右腕を通して伝わってくる。
自分が急に変な汗をかき始めるのを感じた。
落ち着け、落ち着くんだ、俺。
素数をか、か、数えるんだっ……!
「だから、今はノーブラなの。薫くんの、せいだよ?ねえ、責任、取って…」
「っ!!!!!!!」
その瞬間、抵抗も虚しく俺の思考回路はショートした。
20代も後半のオッサンには、女子高生の柔肌が少し刺激が強すぎたようだ。
さようなら、皆――
「――なーんて、冗談だよ、冗談!でも少しびっくりしたでしょー!これでおあいこなんだからね?」
「…………」
「薫くん?」
「…………」
「ちょっと、薫くん!?」
「あれ、どうしたんですか会長?」
「薫くんが、立ったまま気絶してる…」
「ええっ!?ちょっとお兄ちゃん!お兄ちゃんーー」
――結局、俺が目を覚ましたのは、次の日の朝だった。
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