8話「個性的な彼女 ー桃園春奈の場合ー 」

 仕事が休みだった親父の提案で、今日は出前で寿司を取ることになった。

 なんでも‘新しい家族になった記念’らしいが、正確には昨日だよな。

 まあ奮発してくれた寿司は中々美味かったし、奢ってもらえるのでありがたく頂戴した。

 ただ、子どもがいる前でイチャコラするのだけはやめて欲しい。

 俺が孝行息子でなければ、下手したらグレますよ、いやほんとに。

 親父は普段は寡黙で気難しい感じなのだが、あんな一面もあるのだなと認識を改める。

 息子としては知らなくても良い一面ではあるのかもしれないが、両親が仲が良いのは悪いことじゃない。

 そんなに強くない癖に飲んでべろべろになった親父を、明子さんが寝室に連れて行ったところで、本日のパーティはお開きとなった。

 夕飯の片付けを手伝っていると明子さんがそっと近付いてくる。


「…薫くん、今日はありがとね」

「えっと、俺何かしましたか」

「春菜のことよ。学校で助けてくれたみたいじゃない」


 台所で洗い物をしている春菜には聞こえないくらいの音量でひそひそと話す明子さん。

 別に聞かれて困ることでもないと思うが、俺も付き合ってひそひそ声で話す。

「ああ…それ、春菜が?」

「さっき準備してる時に話してくれたわ。あの子、前の学校で上手く行かなくて、落ち込んでたのよ」

「そうだったんですか…」

「だから、今日のこと、すごく喜んでたし、すごく感謝もしてたわ。ありがとう薫くん」

 

 よしよしと頭を撫でられる。

 誰かに頭を撫でられるなんて何年、いや何十年ぶりのことなので恥ずかしいがなんだか悪い気はしなかった。

 ――どこかで元気一杯の先生が「私も撫でただろうが!」なんて言ってくる声が聞こえてきたが気のせいだな、うん。

 あれは乱暴すぎるしノーカウント。


「これからも、春菜のことよろしくね」

「わ、分かりました」

「ちょっと二人とも、サボってないで片付けてよねー!」

「はいはいー!」


 俺にウインクして台所に戻る明子さんは実年齢よりだいぶ若く見えた。

 こういうところがあの先生との違いなんだろうな、女性の魅力というか。

 ――また抗議の声が聞こえた気がしたが、気のせいだな。

 俺も春菜に怒られる前に、片付けに戻ることにした。







「ふぅ……」

 

 風呂上がりの火照った身体を冷ましながら、ベットに寝転がる。

 ぼーっと天井を見ていると、今日1日のことが脳裏を駆け巡った。


「これから、だよなぁ」

 

 今日の出来事で全て解決、というわけじゃない。

 とりあえず春菜が孤立してしまう最初のきっかけを変えることは出来たと思うが、人間関係なんてどう転ぶか分からない。

 結局、最終的には彼女自身が切り開いていくしかない訳で、俺に出来るのはそれのお手伝いくらいだ。


「うーん…」

 

 それでもやはり引っかかることがある。

 まず朝の距離の件。

 佐藤からしたらこれくらいの年齢の兄妹にはありがちなことらしいが、少し不自然に感じる。

 放課後はあの距離ではなかったわけだし。

 今日の一件で少し心を開いてくれた、ということなのか。


「そうなのか…?」

 

 そして教室でのあの一件だ。

 いくら人見知りだとはいえ、あそこまで緊張してしまうものなのだろうか。

 価値観の違いと言われればそれまでなのだろうが、追い詰められた、あの表情は普通ではなかったような気がする。

 …考えすぎなのだろうか。

 明子さんが言っていた「前の学校」のことを、俺はよく知らない。

 上手くいかなかったことと、今日の件は何か関係があるのだろうか。


「…さっぱり分からん」

 

 とりあえず今日は疲れた。

 ビール、は無理なので麦茶でも飲んで早く寝ようと思い、起き上がった瞬間、コンコンと控え目なノックが聞こえて来た。


「はーい」

「わ、わたし…春菜だけど」

「ど、どうした?」

「…ちょっと、話したいことがあるんだけど」

「あー…ちょっと待ってな!」

 

 いくら妹と言っても相手は女子高生なわけで、紳士の俺としては部屋のチェックをしなければならない。

 速攻で部屋の確認していく。

 服などは散らかり過ぎていないか、使用済みのティッシュはそこら辺に落ちていないか、大切なお宝本はちゃんと隠してあるのかエトセトラエトセトラ。

 数十秒の確認の後、招き入れる準備が整ったので、自信を持って扉を開ける。

 ――いらっしゃいませ、我が妹よ!


「どうぞー」

「ありがとう、ってなにその顔」

「別に、なにも」

「自信ありげなところ悪いけど、大して綺麗じゃないからね、アンタの部屋」

「そ、そう、ですか…」

 

 辛辣な言葉をぶつけられてうなだれる俺に構わずに、春菜はベッドに腰掛けて俺にも横に座るよう合図した。


「ほら、立ってないで座ったら?」

「ああ、どうも……ってこれ、俺のベッドだけどな」

「正確には、アンタのお父さんが買った、でしょ」

「ぐぬぬ…」

「なによ」

 

 お互いにじっと睨み合う。

 この生意気な妹め、どうやって兄の偉大さを分からせてやろうか。


「…くすっ、ごめん、冗談だから」

 

 そんな俺に、春菜は意地悪い笑みを浮かべる。

 くそ、妹ながら可愛いじゃないか、この野郎。

 春菜はお風呂上がりなのだろうか、昨日と同じく赤縁の眼鏡を掛けており、前髪を少し上げていた。

 そのためか素顔がしっかり見えるのだが、俺が控え目に見ても美少女であることに間違いはなかった。

 やはり俺の推測は正しかったわけだ。

 これでこの妹は「普段は前髪で素顔を隠しているが、実はめっちゃ美少女でした」の典型的な例であることが証明されたことになる。

 兄としては嬉しいような、寂しいような、そんな複雑な気持ちになる。

 …感傷に浸るのは後にして、一旦春菜の話を聞くことにするか。


「…で、話ってなんだ」

「う、うん…今日のことなんだけど、さ」

「ああ、あれはもう良いって言ったろ?」

「ううん、良くない……わたしが良くないの」

 

 俺を見つめる春菜の眼差しは、眼鏡越しでも分かるくらいに決意に満ちていた。

 どうやらその‘話’ってやつに関係するらしい。

 彼女が話しやすいように、俺は黙って春菜が言葉を紡ぐのを待つことにする。


「……じ、自己紹介のときのわたし、ちょっとおかしかったでしょ」

「…まあ、緊張し過ぎてるな、とは思ったけど」

「気を遣わなくていいよ。わたし自身自覚してるし」

「そうか…」

「は、話せないの…」

「それは…人前でってことか」

「それもあるけど……だ、誰かと触れ合うことが、出来ないの。しようと努力するんだけど、すごく難しくて。それで前の学校でも失敗して…」

 

 前の学校。おそらくさっき明子さんが言っていた話だろう。


「だ、駄目なの。努力するんだけど、頑張ろうとするんだけど話すことが、輪に入ることがどうしても出来なくて…怖いの」

 

 どうして、と聞こうとしたとき、春菜が震えているのに気がつく。

 本当は今すぐにでもこんな話はやめて逃げ出したい、そんな気持ちを必死に抑えて我慢しているのが、隣にいる俺に痛いほど伝わって来た。

 世の中には人見知りや話し下手な人なんて幾らでも居ると思う。

 だが、春菜にはそれらとは異なる、何か別の原因があるように思えてならなかった。

 部屋は痛いほどの静寂で支配されていたが、急かすことなく春菜を待つ。

 しばらくして、春菜はゆっくりと話を続けた。

 一体どんな理由があるのだろうと考えを巡らせる俺が聞いたのはーー


「…………き、聞こえるの」

「聞こえる?」

「うん。誰かの心の声が、し…自然と聞こえてくるの」

「えっ、と……えっ?」




「…た、他人が考えていることが、分かるの。無意識のうちに」




 ――予想を遥かに越える答えだった。

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