レストラン始めました

すでおに

レストラン始めました

 僕は以前レストランでアルバイトをしていました。夫婦で営むこぢんまりとした店でしたので「洋食屋」といった方が収まりがいいでしょうか。


 新規オープンの店で、店長と奥さんが調理担当。僕を含めて3人のアルバイトはホール係でしたが、開店の1週間前からアルバイトがスタートしました。PRのチラシ配りです。店の前や駅前で道行く人にチラシを配った。見向きもしない人もいたけれど案外楽しくて、アルバイト同士打ち解けることが出来ました。


 そしてオープン初日を迎えました。小さな店なので、プレオープンなんて気の利いたものはありません。通常アルバイトは一人体制で、ランチタイムとディナータイムを交代で担当することになっていましたが、初日は特別に全員出勤。5人で店に立ちました。


 チラシの効果があったのか、開店前から並んでくれたお客さんもいました。


 10時半になり、開店の時を迎えました。

「いらっしゃいませ!」

 スタッフの明るい声が店に響きました。


 僕は以前喫茶店で働いていたので、ホールの経験はありましたが、初日は若干緊張しました。お水を出して注文をとる。厨房に伝え、料理が出来上がったら席に届ける。難しい事ではありませんが。


 お店は順調なスタートを切った。はずでした。


 開店時に並んでいたお客さんの一人が食事を終え、会計しようとしたレジで事件が起きました。


「申し訳ない。財布を持ってくるのを忘れてしまった」

 年の頃は60代半ばのご老人が頭をかいて言いました。

 ミックスフライ定食の代金850円の持ち合わせがないとのことです。レジ打ちをしていたアルバイトの近藤さんは困惑して店長に報告しました。


「うっかり忘れてしまった。家に帰って財布を取って来る」

 ご老人は厨房から出てきた店長に言いました。


「でしたら電話をお貸ししますので、おうちの方に持ってきてもらえませんか」

 開店初日で、しかも慌ただしい時間ですから、店長も場当たり的な対応になります。


「一人暮らしなんです」

 老人はそう返答しました。独身か離婚したのか奥さんに先立たれたのか。そんなことは訊けません。


「でしたらお友達か誰かと連絡とれませんか」

 店長は請うように言いました。苛立ちもありましたが、店内には他のお客さんもいます。下手に騒ぎ立ててオープン初日に印象を悪くされてはたまりません。


「近所に友達いないんですよね」


 その言葉に、今度は店長が頭をかきました。

「それでしたら免許証とか携帯電話とかはお持ちではないですか」

 金を取りに帰るにしても、身元は確認しておきたい。


「携帯電話は持っていないし、免許証は財布に入ってるんですよ」

 予め答えを用意してあったかのような滑らかな口ぶりで老人は答えました。


「ご自宅はここからどのくらいかかります?」


「歩きだけど30分もあれば行って帰って来れます」


「では、お名前と電話番号だけ伺っておきたいのですが」

 店長がメモ帳を差し出すと、老人は淀みなく記入しました。


「それではお待ちしておりますので、取ってきていただけますか。もし万が一1時間たってもお戻りいただけなければ警察に届けることになりますが、それでもよろしいですか」

 警察という言葉は出したくなかったがこの際仕方がない。


「大丈夫です。30分あれば戻って来れますから」

 老人はそう言い残して店を出ました。通報に対する明確な返答をせずに。


 開店早々とんだトラブルが発生し、スタッフは他のお客さんの視線を避けるように一旦厨房に引き揚げました。


「どうします?本当に警察に届けます?」

 僕は店長に訊ねました。老人が戻って来ると思えませんでした。


「常習犯ぽくない?新しい店狙った食い逃げの」


「そんな感じだね。慣れてるっぽかった」


「開店したてだと通報しにくいと分かって狙ってるのかもね。名前もどうせ偽名でしょ」


 他のアルバイトの子も僕と同じ感想でした。


「参ったなぁ」

 店長は料理をしながら、ため息をつきました。


 850円といえども無銭飲食を無罪放免にする気にはなれません。といって警察に通報すれば、あれこれ訊かれ面倒なことになるでしょう。


 ところが予想に反して、宣言した通り30分ほどで老人が戻ってきました。


「ご迷惑をおかけして申し訳ない。ちゃんと持ってきました」

 ポケットから出した黒い財布を顔の前に掲げました。


 店長は安心して、会計を近藤さんに任せて厨房に戻りました。


「850円になります」

 近藤さんが改めてレジを打ちました。


「じゃ、これで」

 老人がトレーに置いたのは、お金ではなく割引券でした。チラシに付けていた開店記念のランチ20%OFFの割引券です。


「ごちそうさま」

 680円払って老人は満足げに店を後にしました。


 その後2度と来店することはありませんでしたが、迷惑をかけた申し訳なさからではなく、割引がないからだと思われます。

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レストラン始めました すでおに @sudeoni

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