第10話 葉月の部屋

「経験値も入ったことだし、サブスキルの料理のレベルを上げようかな。お肉は私が料理してあげるよ。それか、売ってドレンに変えて本物のお肉買うのがいいかな。」


「売るのはどうだろう。今日だけでも何百個も出回ることになるし、安くしか売れないんじゃないかな。それにこの肉、プロパティに特Sランクって出ているよ。どんなものか興味があるな。」


 大学の選択科目で履修した経済学での需要と供給についての講義を思い出しながら雪は返答した。手に入れた肉を売却してお金に変えようと考える人も数多くいるだろうから、市場原理が働いて価格が下落するだろうと雪は予測したのだ。実際、AOはまだ正式サービスを開始したばかりでそのゲーム内通貨と「テラ」での主軸通貨ドレンとの交換は限定的であり、ゲーム内の品を売却して現実世界のお金に交換しようとしても大きな額にはならない。また、五感ジェネレータの出来は極上で、味覚についても現実世界と変わらないかそれ以上であることを確認済みだったので、AOの世界でも十分、舌を楽しませられるのではないかと期待できた。事実、AOの世界でも風のせせらぎは心地よく、野外に出た時の空気感は臨場感を持ってプレイヤー達を出迎えていた。


「じゃあ、決まり。AOの私の部屋に行こう。ステーキにするのがいいかな、ローストビーフがいいかな。楽しみだね。」


 雪はAOの世界でも始めてから経験が浅いので自分の部屋は持っていないが、ある程度経験を積んだプレイヤーは荷物が増えていくため、自分の部屋を契約して持つことが多い。部屋だけでなく、一軒家とかギルドのメンバーなど知り合いがみんなで使えるように複数階の高さのビルのような建物一棟を借りたり購入したりすることも出来る。葉月は一番手軽な、街にある賃貸アパートを借りていたが、キッチンだけは満足のいく仕様に改装して使っていた。


 仮想世界での部屋の広さは直接、価格に連動しない。いくら広くても中に何も無ければデータ量は変わらないので、いくらでも広くできるのだ。ただ、あまりに広すぎると部屋として落ち着かないので、ある程度快適な広さにまで抑えられていることが多い。葉月のアパートも部屋は広めだが1LDKの一人世帯向けの物件で、AOの世界ではごくありふれたものだが、葉月によれば寝室が要らない分現実世界より余裕がある感覚とのことだ。


「AOでの料理の仕方って、マニュアルモードと簡単モードの二つあるんだよね。簡単モードだとすぐできちゃうから後にして、まずマニュアルモードで煮込み料理を作ってみようかな。」


 葉月はキッチンにあるタッチパネルを操作して食材や調味料を次々に実体化させ、料理の準備をしていった。仮想世界では物の保管についてはデータ化して記録されているだけなので場所は取らない。現実世界と同じように実体化させたものを冷蔵庫などに貯蔵することも出来るが、葉月はキッチンをシンプルにしたいのでデータで保存しておき、必要に応じて実体化させて使うという方法を取っている。


 材料を切って調味料と共に鍋に入れ煮込み始めたところで、待ち時間が生じることになった。この待ち時間の間に簡単モードでステーキを焼こうと言う話になった。マニュアルモードだと一度に多くの材料を使うのは大変だが、簡単モードなら大量の食材も一度に調理できる。ただ、出来ばえがランダムなので一度に全部使って失敗すると食材をすべて失ってしまうので、複数個に分けて調理するのが一般的だ。葉月は塊の肉を百分割して焼こうと言う。簡単モードなら切るのも一瞬で切れ、焼くのも百個全選択して一気に焼けるのだ。


「こんなに大量に焼くの、初めてだよ。どうゆう事になるのかな。」


 葉月は嬉々として作業にとりかかったが、一分もかからないうちに終了して結果が分かる事になった。最高の出来栄えが一割程度、消し炭になってしまったのが一割程度、残りは良い出来が二割、中程度の出来が四割、いまいちの出来が二割といった感じだった。


「私のスキルだとこんな感じなのかぁ。もっとスキルが高ければいい出来栄えのものが増えるのかな。」


 葉月は消し炭になってしまった肉を削除し、最高の出来栄えの肉を皿に盛り付けた。


「さあ、召し上がれ。私も食べようっと。」


 言うが早いか、葉月はナイフとフォークを器用に使って極上のステーキを食べ始めた。雪は高級店でのステーキは食べたことが無いので比較は出来なかったが、焼き過ぎずミディアムレアに焼き上がったステーキは現実世界での最高級のものと遜色ないのではないかと思えた。本来なら会話を楽しみながらゆっくりと食事の時間を楽しむようなステーキだったが、あまりに美味しいので二人は話もせず黙々と食べ続け、皿に盛り付けたステーキも無くなりかけた頃、やっと一息ついた。


「今まで食べた中で、一番美味しいお肉だよ。もう無くなっちゃうのが惜しいね。残りのお肉もここまでじゃないにしても美味しいと思うから、とっておいてまた食べようね。」


 葉月はそういうと、最高の出来栄えのステーキの最後の一切れをほおばりつつ、残りのステーキを電子化してキッチンの収蔵庫に格納した。現実世界だと調理済みのものはなるべく早く食べないと美味しくなくなったり食べられなくなったりするが、仮想世界では腐ったり傷んだりせず、元の状態のままずっととっておけるのだ。葉月のキッチンの収蔵庫には葉月が今まで作った料理がたっぷり、収蔵されていてどれか食べてみる?と葉月は雪に問いかけた。答えを聞く前にこれがいいかな、とプリンを二つ取り出しデザートにしようと言う。プリンはマニュアルモードで調理されたもので、葉月は出来栄えの感想を聞きたかったのだが、雪がおいしいと言いながら食べてくれたので満足したのだった。


「トマト煮、忘れるところだった。」


 葉月は慌ててコンロにかけた鍋のところへ行き、蓋を開けてみたところ、ちょうどいい具合に煮込みあがっているところだった。出来栄えは中の上といった感じだ。一口味見をしてみると十分に美味しく人に食べてもらっても大丈夫だと思った葉月は後一口でいいから、とカップに入れて雪に差し出した。仮想世界では食べ過ぎで気持ち悪くなる、ということが無いが雪は現実世界なら食べ過ぎだなと思いながらも口につけたところ、思ったより美味しくペロリと平らげてしまった。


「トマトの酸味が強すぎなくて、美味しいよ。葉月、料理上手だね。」


「ありがとう。マニュアルモードの料理を褒められると嬉しいよ。」


 雪はお世辞でもなく、本当に美味しかったので褒めたのだが、言葉通り受け止めてくれているだろうか、お世辞だと思われていないかと葉月の顔をうかがった。その瞳は美しく、吸い込まれそうな輝きを持っていることに見とれていると、葉月が頬を赤らめながら視線をそらすようにして言った。


「そんなに見つめられたら恥ずかしいよ。そうそう、そのカップ、鮎里さんからの頂き物なの。お近づきのしるしにって。AOに持ってきちゃった。」


 そう言うと葉月は他に四つのカップを実体化させて、雪が食べた後のカップとともに縦に重ねて見せた。「テラ」とアルチストオンラインの世界は同じシステムを元に構築されている。データの互換性も考慮されているので、「テラ」で一旦、共有倉庫に預けた後、アルチストオンラインの世界で取り出すことで、対象外のもの以外は移動が可能になっている。


「これ、スタックできるようになっているの。重ねるとほら、絵がつながるでしょ。鮎里さんがデザインしたんだって。」


「へえ、色々デザインしているんだね。これも洒落ていて、綺麗だね。」


 白が基調で淡い植物柄の食器を感心しながら眺める雪だった。


「鮎里さんって、「テラ」では結構人気のデザイナーさんらしいよ。現実世界でもデザインしてたけど「テラ」でもデザイン始めたら人気が出たみたい。」


 葉月はしばらく飾っておこう、とカップに軽く触れてメニューを出し、自動洗浄を選択して綺麗にしてからテーブルの脇の棚の上に置いた。仮想世界では食器を洗うのも簡単に終えられるのだ。その気になれば、手洗いや自動食器洗浄器にかけて洗うこともできるが、あまりリアルさにこだわりのない葉月は手軽に自動洗浄で済ましている。実を言うともっと簡単に、片づける時に自動洗浄が掛かるようにもできるので、使ったあとそのまま電子化して終わり、ということすら可能だ。


 残りのトマト煮も保温モードにして鍋ごと電子化して片づけたら、また今度、ということになった。二人とも鮎里のコピー品のことは気になっているが、手掛かりがつかめないのでまだ保留だ。葉月は言い出すタイミングを迷いながら、決心したように雪を誘った。


「雪は「テラ」の遊園地に行ったことある?面白いよ。一緒に行こう!」


 葉月の勢いにのけぞりそうになりながら雪は答えた。


「いいよ。行こう。「テラ」の遊園地にはまだ行ったことない。現実世界でももう、何年も行ってないな。」


 現実世界の雪の住む地方にも遊園地はあるが、大都市近郊の大型施設ほどのものではなかったので、雪は子どもの頃は毎年のように連れて行ってもらっていたものの、ここ数年は行っていなかった。遊園地に行くという習慣自体が無くなっていたので、行くこと自体新鮮なことに思えたし、葉月の誘いなら断る理由も無かった。


 「テラ」では移動は一瞬でできるので、遊園地の立地も大都市近郊でなければ成功しづらい、といった制約は無い。事実、現在「テラ」で最も人気のある遊園地は日本の最果ての地にある。現実世界では南鳥島と呼ばれる島で、航空機が離着陸できる滑走路はあるものの、観測等を行うわずかな人しか住んでいないところだ。「テラ」ではこの島の周りに六つの人工島を生成し、合わせて「南鳥ニューシティ」と呼ばれる地域を形成している。設定上、六つの島はエネルギーも食料も自給自足でき、もし完全に孤立してしまっても存続可能な都市であるとされている。「テラ」では、現実世界で構想だけあるような夢のプロジェクトを実現している箇所が散見されるのだ。


「沖ノ鳥ニュータウンの遊園地でもいいけど、まずは一番人気のところに行きたいよね。南鳥ニューシティのにしよう。」


 葉月が言うと、雪は心配になった。


「人気のあるところは混んでいるんじゃないかな。入場制限とか無いのかな?」


 雪は人混みが苦手なのだ。待ち時間が何時間もあるようなアトラクションも待つのが大変だと思った。


「南鳥島のなら多重化されているから大丈夫だよ。予約していけばどのアトラクションもだいたい、待ち時間なしで快適に遊べるよ。」


 そう言うと葉月はさっと手をかざしてメニューを出し遊園地の予約を始めた。


「今回は気分を出したいから、羽田から飛行機で行ってみよう。」


 「テラ」では移動は一瞬なのだが、旅の気分を味わうために飛行機や列車、船といった乗り物も実装されている。乗り物に乗る時間も行程にかかわらず自由に設定できるので、ちょっとした旅気分を体験しようと利用する人も多い。


 遊園地と飛行機の予約が終わったら、次の待ち合わせは「テラ」の羽田空港でということで今回はログアウトする事になった。ログアウトのたびに夢から現実に戻るようで、一抹の寂しさを感じるのは皆同じなのだろうかと雪は考えるのだった。

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