第20話 呪術師と魔術師
中庭の池のほとりに仁王立ちする二人を視界に収めたとき、私はとっさに、太夫が、人目のない場所に呼び出したのだと思った。放課後、気に入らないクラスメートを校舎裏に呼び出す不良のように。鹿島と太夫の間には、いつもぴりぴりした空気が漂っていたし、太夫は、昔からそれはもう気が強いのだ。
だから、私は慌てて二人の間に割って入った。
「鹿島、太夫! こんなところにいたのか。早く盆踊りに戻ろうよ。もう終わっちゃうよ」
しかし、鹿島と太夫両方から、「うるさい!」と怒鳴り返されるはめになった。
太夫は、束の間ひるんだ私には目もくれず、鹿島を凍てついた視線で串刺しにした。
「邪宗門が、いったいどうしてここにいるの。須賀山の周囲は、伴天連のあなたたちにとって禁制の地のはずだけど」
私は、太夫のセリフに面食らった。邪宗門とか伴天連とか、意味不明である。
しかし、鹿島にとっては予想外な言葉ではなかったようだ。やつは、太夫の先制攻撃に動じることなく、嘲るような調子で言葉を返した。
「あんたにどうこう言われる筋合いはないな。俺たちの宗派が禁制だったのは、もう百五十年も昔の話だ。今じゃ、日本政府公認のれっきとした宗教法人だぞ。そっちこそ、もう存在しない幕府の法を引き合いに出すなんて、時代錯誤もいいとこじゃないか。いざなぎ流だかいざなみ流だか知らないが、まだ俺たちを目の敵にしているとはね」
「いまだに私たちからこそこそ逃げ回っておきながら、よくそんなセリフが吐けること。幕府が倒れようと関係ない。汚らわしき邪宗の徒が、安穏とこの国に暮らすのを許すほど、私たちは甘くないんだよ」
左右両方から飛んでくる理解困難な言葉の応酬に殴られて、私はふらふらした。
「須賀山の異変に対処する前に、まずはあんたと対決しなきゃいけないみたいだな。舞による呪法で、時の権力者に弓引く者を歴史の闇に葬り去ってきたいざなみ流太夫」
「私のほうも、あなたたちに須賀神社の聖域で好き勝手させるわけにはいかないな。南蛮渡来の妖しい外法で、人心を惑わす忌まわしき切支丹」
二人は、言葉を切ると同時に、パッと間合いを取った。
太夫はジーンズのポケットから扇を取り出し、音を立てて開く。能役者が舞台上で持つような、金と朱で彩られた豪華な扇である。遅れを取らずに鹿島も、首にかけた銀の十字架をTシャツの中から出した。太夫に向かって突きつけられたロザリオから、妖気のようなものがゆらりとゆらめきたつ。
二人のちょうど真ん中に立っていた私は、スポーツの審判のように両手を振った。
「ちょっと待って二人とも! 俺をおいてけぼりにしないで! なんで喧嘩してんの?」
「アッキー、ごめんね。私の家は、
「呪殺? 巫者?」
「晶博、すまんな。実は俺は、室町時代末に南蛮より渡来した黒魔術師の末裔なんだ。切支丹と同一視して迫害された江戸時代に地下に潜り、お上を欺くために仏教の皮をかぶった結果、本場の黒魔術から離れて、密教やら修験道やらと習合してる。江戸時代を通じて、朝廷や幕府からは邪宗門として弾圧されてきた。俺の伴天連教団と彼女のいざなみ流は、日本史の裏で影の舞踏会を演じてきたのさ」
「あのさ、二人の設定が俺の世界観とガンガン衝突してるから、しばらく時間をくれ」
私は、一触即発な雰囲気の二人の前にして、頭を抱えた。知り合ってからの年月が短いとは言えない友人二人から、思いもよらぬダークな正体をカミングアウトされ、混乱に叩き込まれる。少なくとも、太夫の流派と鹿島の宗派が、日本史五百年に根を張った犬猿の仲であることは、眼の前で繰り広げられる舌戦から痛いほどわかった。
たった数分の会話によって私の認識世界を叩き壊した二人は、再び凡夫の存在など忘れたように、にらみ合う。
止める間もなく、鹿島が銀のロザリオを握りしめ、何やらあからさまに怪しい呪文をむにゃむにゃと朗唱しだした。
「……Qui diceris Paraclitus, altissima donum Dei……fons vivus, ignis, caritas, et spiritalis unctio……」
言葉はラテン語のようだが、韻律はお経そのものである。声高く陀羅尼を誦し終えると、鹿島は、「Amen!」と叫んでロザリオを太夫に向かって突き出した。
私の目には何も見えなかった。しかし、太夫が、ブラウスの袖を一閃して扇で顔を覆うと、青白い火花が散って、扇の表が美しく輝いた。太夫は、ぱちんと扇を閉じる。その下から現れた顔は涼しい。
「あなたが、なんで一介の大学生として須賀神社の界隈に潜り込んだのか、わかってるわよ。太郎山の躑躅姫と結託して、いやおい一帯の勢力の均衡をひっくり返そうというんでしょう。ガイコツ池の鯨の霊力が弱まっていると知ったから!」
太夫が、長唄をうたいながら、すり足で円を描くように回る。扇を回すたびに、不思議と池の水がざわめいた。
「そちらさんこそ、鯨の化け物と組んで、何か企んでるんじゃないか? いやおいどんどんの夜、躑躅姫を相手取って、仙人を助太刀したことは聞きつけてんぞ」
「それは巻き込まれただけだよ」
「どうだか」
太夫は、途切れ途切れにうたっていた唄を締めくくった。
「……『我にあらずといふといへども、すでに汝の歌を作れり』」
太夫の
「おい、やめろやめろ、怪我するぞ。鹿島! 太夫!」
泡を食って私が止める。しかし、ここで会ったが百年目、二人とも呪法合戦に熱中していて、部外者の制止など聞きはしない。
「知っての通り、須賀山のガイコツ池は、世界樹のうろとつながっている。池を守る鯨の力が弱まれば、うろから伸びる断層がずれて、ここら一帯は大変なことになってしまう。だから少しでも長く、鯨を延命させなきゃいけないの」
太夫が、能の激しい舞のように、膝を曲げて高く跳躍した。足元をダン、と踏み鳴らすと、中庭の高木が、根元から揺れる。鹿島は、脂汗をかきながら応戦した。「ナウマク・サマンダ・ボダナン・アビラウンケン!」と十字を切る。
「川南の地蔵尊、城下の道祖神は、それぞれ鯨と躑躅姫の、将棋の駒のようなものだというな。所持するには魔力を必要とする呪術的な駒だ。だけど、鯨の持ち物である道祖神が、近頃数を減らし、代わりに城下では地蔵尊が増えているらしいじゃないか。鯨が死にかけていることは、誰の目にも明らかだ。うっかりたちのよくない神に鯨が倒されて、そのまま後釜に居座られでもしたんじゃ困るんだ」
鹿島が口にした、地蔵と道祖神の話を聞いて、道祖神の消失にはそういうわけがあったのか、と合点がいった。
二人の話を聞いていて思ったのだが、鹿島と太夫は実のところ、お互いに誤解があるものの、目的を同じくしているのではないだろうか。二人とも、力が弱まってきた鯨が死んで、須賀山の安定を支える要がなくなることを恐れているらしいのだ。
二人とも互いのすれ違いをうっすら悟り始めているようなのだが、攻撃の手を緩めようとはしない。意地を張っているのだ、と私は看破した。
太夫のお団子にまとめた黒髪がほどけて風に舞った。鹿島の呪詛を防ぎきれなかったのだろう。口紅を塗っていない唇が浅く切れて、血がにじむ。
鹿島が十字架を突き出した。呪いの文句を吐き出そうと口を開く。
「竜胆がこっちに来るぞ!」
私の怒鳴り声に、二人はびくりと体を固まらせた。学校の先生に怒られた優等生のように、びくびくと周囲の闇を見回す二人に、私は肩をすくめて見せた。
「うっそぴょーん」
「こいつだましやがった!」
「アッキー、邪魔しないでよ!」
二人はそれぞれに声を荒げるが、毒気を抜かれたように、もう攻撃を再開しようとはしなかった。
二人とも、私の姪を気に入っていることは気づいていた。普段私がいるだけでは、ぎこちなさを隠す素振りも見せない鹿島と太夫も、竜胆の前では、剣呑な雰囲気を醸成しないようにと、精一杯気を使っていた。竜胆には、争い合う姿を見せたくないだろうと策を弄したが、成功したようである。
できる限り離れて立とうとする鹿島と太夫を引き寄せて、私は、二人の肩をぽんぽんと叩く。
「いまのは嘘だったけど、本当にいつ竜胆が探しに来るかわかんないぞ」
「お前は、徳川時代以来の俺たちの因縁の深さを知らないんだ。あれだぞ、卒業式の校長先生の話くらい深いぞ」
鹿島がにらみつけてきたが、はいはい、といなすと、どうにかおとなしくなった。
私はやっと、鯨の力が弱まっているとはどういうことかを問いただすタイミングを得た。
「躑躅姫と鯨が、浅科川を挟んで北と南をそれぞれテリトリーにしているのは、こないだ知ったよ。でも、鯨の力が弱くなっているっていうのは、どういうことなの?」
二人はお互いを牽制するように一瞬黙ったが、太夫が口火を切った。
「別に、異常なことでもなんでもないの。単に寿命がきたんだよ」
「寿命? 神さまにも命に限りがあんの?」
「ガイコツ池には昔、非常識なほど大きな魚が棲んでたって前に話したの、覚えてる? 大魚は死後、ガイコツ池の主になった。それが鯨なの。池には今も、鯨の依り代である骨が沈んでいる。その骨がどうやら、風化して壊れかけているらしいのね。たとえば須賀神社の祭神の御神体は、須賀山そのもの。山が枯れることはほぼないから、須賀社の神はいつまでも力を保っていられる。だけど鯨は、日本書紀にも載ってる由緒正しい須賀社の神より、格段に神格が低いこともあって、依り代がなくなってしまえば、姿を保っていられないんだよ」
「太郎山の躑躅姫も、鯨と同じような神なの?」
今度は、鹿島が答えた。
「あれはもともと人間だったんだぜ。『つつじのむすめ』って民話、聞いたことないか?」
そのタイトルには聞き覚えがあった。確かこんな話だったと思う。
太郎山の麓に住む農家の娘が、祭りの晩に出会った山向こうの若者と恋に落ちた。若者に恋い焦がれた娘は、それから毎晩、家の米櫃から白米を一握り手に握ると、太郎山の険しい山道を走って越えて、若者のもとに通うようになった。恋人に会いたい一心の娘の手があんまり熱いものだから、若者の家にたどり着くときには、手の中の白米が餅になっているくらいだった。二人は、その餅を一緒に食べると、一晩過ごして、娘のほうはまた太郎山を越えて自分の家へと帰っていった。
そんなことが続いたある日、若者は友人から、『太郎山の険しい山道を、それも夜中に毎日通ってくるなんて、その娘は魔物に違いない』と忠告された。若者も内心娘のことが恐ろしくなっていたから、太郎山の山道に隠れて、自分の元へ駆けてくるはずの娘を待ち伏せしたのだ。山の向こうから裸足で走ってきた娘の形相は、目を爛々と光らせた夜叉のように恐ろしいものとして若者の目に映った。若者は、娘の前に躍り出ると、深い谷底へと娘を突き落としてしまった。
そのときから、初夏に谷を彩る躑躅は、娘の血に染まったかのように、真っ赤な花を咲かせるようになったのだという。
鹿島が補足する。
「若者の元へ通っている頃から、娘が夜叉に変わっていたかどうか、民話は何も語っていない。だが、恋人に疑われて殺された娘は、人ならぬものへと変化した。その成れの果てが、躑躅姫だ。躑躅姫も鯨も、神とも魔物ともつかない存在なんだよ」
「魔物や妖怪に近い存在であろうと、鯨は須賀山一帯の重石として機能している。鯨がいなくなれば、ガイコツ池とつながっている世界樹のうろから、圧力の高いエネルギーが噴出して、この町に大変な災厄が訪れてしまう。いまでさえ、かかっている力の偏りから空間にひずみが生じて、普段は世界樹のうろの暗いところに潜んでいるような魑魅魍魎が、亀裂から湧き出してきてるの」
鯨は、ガイコツ池の底の蓋に重い腹をのせた漬物石のようなものだろうか。私は、先日夜道で見かけた、街灯の下でゆらゆら踊る白いたすきのことを思い出した。あれからは、世界を異にしているような不気味さを感じた。
太夫は、気味悪そうに腕を抱いた。
「外を歩いていると、足元に光の屈折率の違う、重たい液体がもやもやとわだかまっているような気持ち悪い感じがする。透明な水の底にゆらゆらと油が溜まっているような感じね。やっぱり、世界樹のうろから何か異質なものが、私たちの世界に浸み出してきてるのよ」
「大変じゃないか。どうにかすることはできないの?」
私が、何の生産性もない質問を発すると、鹿島がため息をついた。
「ガイコツ池の主に代替わりしてもらうしかないな。だけど、鯨に代わって世界樹のうろからの圧力を押さえつけていられる者が見つからない。こないだお前と片目の魚を探しにいった鹽田。あそこは昔から伝説の多い土地柄だから、大きなため池に主の一人や二人いるだろうと思ったが、全然だめだったな」
「お前あのとき、そんなもの探してたのか。そんなやすやすと池の主なんて見つかるわけないだろうが。探し方が行き当たりばったりなんだよ」
「いくら呪術の世界に片足を突っ込んでるといっても、人の身では、簡単に鯨の代わりを探し出すというわけにはいかないね。こうなったら、鯨に直接当たってみるしかないと思う」
太夫の言葉に、私は戸惑った。
「でも、鯨と対面することなんてできるのかな。仮にも神さまだろ?」
「俺も、ガイコツ池の周りを少しうろついてみたけど、静かなもんだった」
男二人の弱気な発言に、太夫は、
「どうにかして引っ張り出す」
と不機嫌そうに返した。
「躑躅姫は、恐ろしい山神よ。彼女が一体何を考えているのか、これからどう動くのかは測りがたい。積年のライバルである鯨の死に乗じて、その領土を自分の支配下に置こうとすることは十分考えられる。そういう動きがないか、気を張ってなきゃいけない」
「でも、なんで? この際、須賀山の安定をいち早く回復するためなら、いやおいの南側も躑躅姫に管理してもらったほうがいいんじゃない?」
「それはだめなの。人間の娘としての躑躅姫を殺した若者の村は、姫の祟りで山崩れにあって壊滅してしまったんだけど、そのわずかな生き残りが、鯨の保護下にある浅科川の南側に、新しく村をつくって移り住んだの。もちろん、いまではもう、若者の時代の村人はみんな死んじゃってるけど、躑躅姫が川南の土地を手に入れたら、またその村を破壊しようとすると思う」
いやおいどんどんの夜、太郎山の女神から幸四郎君に与えられていた、並はずれた人外の力を思い出して、私はぶるりと身を震わせた。村の一つや二つ破壊するくらいのこと、あの力の持ち主なら朝飯前にやってのけるに違いない。
私たちは、盆踊りの会場に戻った。もう九時を回っているので、すでに踊りは終わっているが、興奮覚めやらぬ様子の人々が、集まって笑い声を上げていた。
竜胆は、私たちが一様に疲れた顔で帰ってくるのを見ると、「どこに行ってたの?」と、不審がる素振りを見せたが、本気で気にしているふうではなかった。ただ、太夫の顔に手を近づけて、
「由羽さん、唇切れてるよ」
と指摘した。太夫は、にこやかに「ほんとだ。乾燥してるのね。リップクリーム塗らなきゃ」と返したが、鹿島を冷たい目でちらっと一瞥した。
数奇な歴史の因縁によって反目し合うこの二人が、いやおいの危機に果たして手を取り合うことができるのか、私は実に不安であった。
第二十一話 雷電 につづく
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