第12話 これは、とっても、無礼者
「それで、メグ様の姉上さまってどんな感じの方なんです?」
退屈しのぎにはじめた留置場での美歌とお蘭、お福たちの会話は、この国の領主に嫁いだ長姉の人物像を問う場面となっている。
そうだなあ、とメグも考える。同じ場所で暮らしていたこともあるが、年齢が離れていて姉妹喧嘩の記憶など、ない。実の姉とはいえ、印象は先輩や先生に対するそれだ。
すると隣りに座っていた孔雪が、「この国は、役人に女が多いですね」と言った。姉の影響だろうかと聞いているわけだ。
政庁まできて驚いたのは、内部に女性の多かったことで、今いる建物も女の姿がやたら目立つ。メグはうなずいた。「もともと女のよく働く国ではあったようですし、すべてが姉によるものではないでしょうが、間違いなく彼女の意向は働いているでしょう。義兄も理解がありますし」
長姉は、独身時代に藤の国にいたときから女性の仕事分野拡大に積極的であり、メグが神事以外の知識を積極的に身につけようと心がけているのも、姉による発破と無縁ではない。どうやら彼女は、嫁ぎ先でも同じ活動をしている。それも、かなり熱心に。
「それがねえ」お福もまたメグの長姉について語っているが、自信なさげだ。
「もちろん存じ上げていますし、日常的にも言葉を交わしていましたが、わたくしは本来、灘の方さまにつき従って藤の国に参った者、あちらの取り巻きのひとたちとは親しみが薄くて。あ、念のために言っておきますが、メグ様ご自身は姉上様と仲は良かったのよ。腹違いの妹だからといじめられたりもなく、むしろ大切に扱われたのは本当です」
「えー、お言葉から察するに、美良野の方ご本人がどうのというより、そのお付きとお福様との間にかなりの壁があったと」
「あなたたち、はっきりいうわねえ」お福は顔をしかめた。「否定はしません。勝手にあちらが煙たがっていたのよ。特に老女のお未知サフランってのがわたくしの里を嫌い、それはいけずをしてくれた。あ、もともと藤の国とわたしの里は盛んに交流していて親戚だっていた。それなのによ」
「背戸衆、それも水軍を率いたご一族の出というのは、身構えちゃうものかな」
「まあ、ウチの先祖が海賊なのは本当ですが、それより海燕公さまの亡くなられた前の奥様は、紫賀の血をひいておられて、お未知もそっちの筋なの。だから私たちをよけいに意識しちゃったのね」
紫賀は双樹と同じく、霊的な能力の豊かな人物を輩出するので知られた国の名だ。成立がやや新しく、現在は紫賀の社という神域を抱く一地方に過ぎないこともあり双樹ほど特別視されない。これが当人たちには甚だ面白くないようだ。
「とにかく小江様こと兎姫エリザ様、いまは美良野の方様ですが、あの方ともっと深く親しんでいたら、なにをどう考えておられるか多少は読めたでしょうが、見当もつかない。申し訳ないばかりです」
「わたしなんて」お蘭も言った。「下のお姉さま、辰姫さまは存じあげていても、上のお姉さまはお顔すら正面から見てないの。私がお仕えしはじめた時は、すでに江津に輿入れされたあとだったから」
元兎姫の長姉は海燕公の子のうちでも最年長であり、メグとは十三歳違う。
「でもお城にいたら、いろいろお噂は耳にしたかな」
「ほう」孔雪がすっと移動し、お蘭らの座に加わった。知りたいことが語られはじめたからだろう。
「上の姉君は、まずきりっとした美貌でしょ、それに体格にも恵まれご気質も自立心が強い。決して周囲に流されたりしない感じだったって」
「ほうほう」
「噂では、この国への輿入れにあたっても、江津の若殿なら夫にふさわしいのではと、ご自身から口にされたそうよ。でも男に媚びず、はっきりものを言われ小気味良かったって声も多かった。城の女たちの待遇が他国に比べ格段に良いのも、あの方と灘の方さまのご意見がいつも揃っていたせいと聞きました」
自分の血縁者の話が、他人の口から出てくるのを聞くのは妙におもしろく、メグも座のそばに寄った。長姉と母は気質は大きく違っても、価値観においては共通するところが多かった。
「お前が男子だったらと鳳鳴公が嘆息されたのは、上のお姉さまでしたっけ?」
「いえ、それは海燕公さま」とお福が訂正した。「そして対象は二番目の辰姫様。いまは辰ノ御前と呼ばれているお方ですね。辰様は兎様とはまた違い、男勝りという言葉がぴったりだったのよ、外見も少年のようだったし。そういえば、海燕公様はときおり、御嫡男の耳に入るところでもそんな言葉を口にされましたね。あら、これは余計でした」
実の娘の前で父親の批判をしているのに気づき、お福は身をすくめた。
「いいのです。私も聞きたい」とメグは言った。「やはり父上は、たびたび兄上に配慮のない物言いをされたのですね」
「正直に申しまして、その通りでございます。太郎さまは、その、あまり……」
「姉たちほど、感情をはっきりと表に出したりはしませんでしたからね。互いに苛立ちもあったのやもしれませぬ」
ふと、メグの脳裏に兄・太郎の途方にくれた顔が浮かび上がった。笑顔や元気な姿は思い出せなくても、寂しそうな顔はなぜかすっと出てきた。
父の海燕公は、メグの母の心をひと目で射抜いたほどの男前であり、兄もその資質を十分に受け継いでいた。だが、美丈夫という形容がぴったりの父に比べ、兄にはどこかひ弱な感じがつきまとっていた。なお、お福は兄の真っ直ぐかつ繊細な雰囲気がたいそう気に入っていたし、継母である灘の方も常に兄を立てていた。兄もまた、母については素直に慕っていた気がする。
「偉大な鳳鳴公は」突然、孔雪が聞いた。相変わらず、少女なのにいやに貫禄がある。「お身内に遠慮のない方でしたか。例えば面と向かって他人と比べ、批評するような」
「違いますよ」急に自身ありげな顔になり、お福は言った。「たとえ内心怒っておられても、そのようなふるまいはなさらなかった。勇敢なお話ばかり語られていますが、家族や部下の気持ちを実に大切にされる方でした。面と向かっての区別や差をつけるのもなし」
「では、鳳鳴公がお身内の誰を特に評価されていたとかもわからないまま?」
「いえいえ。それについては口にされずとも判りました。公のご贔屓はメグさま。それはもう、私どもにもはっきりと伝わっておりましたよ」
お蘭が力強くうなずき、「やっぱりそうかあ」と美歌も嬉しげな声を上げた。
「ただ末の孫だから可愛いのではなく」お福は続けた。「メグさまの心映えをお認めになっていましたね。日々お話されていた内容にも表れていました。ご年齢もおありだったでしょうが、ごくごくお若い頃の失敗談や大切な思い出を詳しく伝えられたのはメグさまだけのはず。おそらく将来、ご自身と双樹の国・仙女王との同盟の思いを受け継ぐのはこのお方と、考えておられたのでしょう」
「わたし、期待を裏切りっぱなしですね」
「ほほほ、なにをおっしゃる。いまだから言いますが、お爺さまはメグ様の婿取りの話はされても、嫁入りとは決して」
「他所へ嫁に出すつもりはなかった?」孔雪が確かめるように聞いた。
「おそらく。まあこればかりは海燕公と灘の方がおられて、たとえ鳳鳴公でもご自由にはならなかったでしょうが。それでも、わたくしたち側仕えに評判の若殿について聞かれたり、自ら確かめに行かれたり。そんな真似、他のお孫様にはされなかったですよ。軒並み失格だったのですがね。あっ、一人だけ『忘れがたい』とお認めになった方が」
「あらやだ」
「え、それはどちら?」
「名は明かされなかったのです。ある所に鷹のような若者がいて、むしろああいった者こそ二心がなく孫を決して裏切らないのでは、と考え込まれていた。思うに、人物は光っても御領地などの条件が良くなかったとか、ご嫡男だったのかもしれません。もっと上手く聞き出しておくのでした」
語りつつ、お福はポンポンと自分の腰と肩を叩いた。内装は立派でも留置場内に置かれた長椅子は硬くて冷たく、彼女には合わないようだった。
その時、メグたちのいる牢の前を、また役人らしき姿が二つ横切った。すぐ横に小部屋があって、役人たちはときどきそこになにか記帳にくるようだ。今度はどちらも女で、見たところまだ若い。一人は背が高く、もう一人は寸詰まりな感じで小太りだった。
「もし、もし」たまらずメグが声をかけた。「そこの方。いつまでここにいなければならぬのか教えてください。それととわたくしたちと一緒だった橘と蜻蛉丸は、どうしていますか」
二人は、無視をした。他の役人と通りかかったときの態度から、どうやら雲井兄妹の件の担当らしいと見当をつけていたのだが、勾留者のホスピタリティーにはあまり重きを置いていないようだ。
「もし、ご多忙なのはわかりますが、あまりに説明がないのも考えものですよ。たしか美良野の方は、公事においては公明正大を理想とされて密室を嫌われ、たとえ疑わしき相手にでも丁重に扱うよう、役人がたにはくれぐれも」
「うるさいぞ小娘、いや不届きもの」やっと反応だ。のっぽが怒っている。
「いいかげんにせぬか。お前、置かれた立場がわかっておらぬようだな」
「なんという申されよう」やりとりを耳にしたお福が憤然とした。「私どもには罪科などありませぬ」
「それがあるのだ」小太りが言った。「恐れ多くも先ごろ城主さまに謀反を企てたさる人物の側近が雲井。残党は全て捕縛したわけではなく、その一族は十分に疑わしい」
「心にやましいところのある者が、のんびり本拠地に顔を出したりしますか」
「なにをっ」
リオン座館主の孫の一人が、姉夫妻の暗殺計画を企てたとされる重臣に仕えており、江津に暮らす主だった親族は、協力を疑われて勾留されているのだという。その先祖はかつて、忍びとして領主に仕え、人形遣いの技を情報収集と人心撹乱に役立てたこともあった。だから、子孫たちがその能力を陰謀に利用したのではないかと疑われているようだ。
よほどカチンときたのか、さっきの二人は大柄な牢番二人を連れてわざわざ留置場に戻ってきて、中に入ってメグたちを問いただしはじめた。
「一昨日の夜には、あやしい化鳥がセイドリック様、セイラ様を脅かし、その術師がまだ捕まっておらぬ。雲井一族の残りである人形遣いの兄妹こそ、その疑いが濃厚という。お主ら、何か知らぬか、知っておろう」
セイドリックとセイラという勿体ぶった名の持ち主は姉の生んだ兄妹、メグの甥姪にあたる。最後に会ったのは半年ほど前になるが、兄は母親をぐっと華奢にした美少年、妹は信じがたいほど生意気なオテンバである。
「一昨日ですか」メグの声が裏返った。「それなら、あの兄妹は間違いなく、黒鷺の地でわたしたちと一緒でした」
「馬鹿な。仲間内の証言など、信用できるわけがあるまい?それより、お前たちも仲間だと疑っておる。どうだ、図星であろ」
「証言も図星もなにも、聞いたのはそっちから。口で罪を押し付けるばかりで、なぜもっと真摯に調べようとしないのですか」ついにメグは怒声をあげた。「あなたは力を持つ役人のくせに、あまりに思い込みが強すぎる。きちんとした調査もなく、それが職務に忠実な姿勢とはとうてい思えませぬ」
「うるさい、小娘。もういっぺん言ってみろ」
苛立った小太りがメグの肩を突いた。
「これ、なにをするか」悲鳴じみた抗議の声をお福はあげた。「手を上げるとはなんたる非礼。分をわきまえよ。この方をどなたと心得ておる」
「ただの旅の占い師ではないか、大きな口をたたくな。それとも」小太りはにっと笑った。「私を呪い殺してみるか」
「無礼者」目の前の格子がびりびりと震えるほどの音声をお福はあげた。
「おのれ、木っ端役人。貴様らが信用できぬから身分を偽っておったが、何を隠そうこちらの方は藤の国公女、未姫アルオーラ様である。その二つの節穴で見てわからぬかっ」
役人コンビは一瞬驚いたあと、
「ひ、ひつじひめだってえ」と、小太りものっぽもくすくす笑い出した。
「言うに事欠いて、不敬の罪で勾留を延長するぞ。姫ともあろう方が、そんなみすぼらしい供連れでたとえ遊山にでも行かれるものか。それに、未姫といえば」
調子に乗った小太りが言った。「われらがお方様の妹ながら、似ても似つかぬぼんくら、神事しか役に立たぬドジ姫というではないか」そして、「このまぬけ、未姫ならなお悪い」と笑いつつ、メグの頬をはたいた。
お福がぐぬっという呻き声をあげて突進しようとすると、すかさず牢番が棒で彼女の背中を打ち据えた。もう一人ははカギ付きの棒を槍のように突き出し、跳び出ようとしたお蘭を牽制している。
「お福になにをするのです」驚いてメグが立ち上がったが、牢番がその足にも棒を差し込み、転倒させた。
「ひめっ」お福が駆け寄ろうとして、今度はのっぽに足払いをかけられた。
すうっとお蘭の目が細くなった。
「……ふうん、そう」つぶやいた彼女は冷静に、自らの邪魔をしていた牢番の死角へと素早く移動し、その喉を手刀で打って昏倒させた。そして彼の持っていたカギ付きの棒を奪った。役人たちにヤキを入れようというのだ。
「待って、ダメ、待って」慌てたメグがよろめきつつ起き上がり、今度はお蘭を止めようとした。
「きどってるんじゃない」小太りがまたメグに手を振り上げた。すると別の吠え声が上がった
お福が、蒸気を吹き出すように意味のない言葉を発しながら、小太り役人に突撃した。首を両手でわし掴みにし、締め上げる。
「あ、だめよ、だめ」
メグは、今度はお福にすがりついた。すると残った牢番が動きの鈍ったお福に体当たりした。そのせいでメグと二人一緒にひっくり返ってしまった。
立ち回りに驚いたのっぽの役人は、ついに腰に帯びた短刀を抜こうとした。とっさに美歌が後ろから両足を引いてひっくり返すと、孔雪がくるくると相手の上着を利用して顔と腕をくるんで動けないようにした。実に手際がいい。
「待ちなさい、待って」倒れたままメグが呼んだが、お福が動かない。倒れた拍子に頭でも打ったらしい。
「お福、これお福」「お福さまっ」孔雪たちも叫んだ。
メグたちの悲鳴のような声が響く中、お蘭はひゅっと口から息を吐き、ムチのように片足をしならせ、注意の逸れた牢番の顎を正確に蹴り飛ばした。大男の牢番が人形のように崩れ落ち、美歌はすかさずその腰の鍵束を確保した。しかし、
「待てっ」起き上がった小太りが叫んだ。片手でメグの首をはがいじめにして、反対の手にはのっぽの落とした短刀が光っていた。
「こいつを殺したいかっ、動くな」
必死の顔をして、暴れまわる女たちを睨む。仕方なく三人は動きを止めた。お蘭は手から棒を離した。カラン、という音が響いた。
「殺したいのか、と聞いているんだ」状況有利と見た小太りは、短刀を持った手でメグの頬を思いっきり叩いた。
「いたっ」メグはじたばた暴れたが、女の腕がますます首にはまり、動けなくなってしまった。
「……殺す」お蘭の肩から力が抜け、落ちていた棒を足で器用に跳ね上げ、両手で掴んだ。彼女の全身から殺気が吹き上がった。
「これこれ、なにを騒いでおるか、こんな朝早くから」その時、のんびりした男の声がした。
「今日はあとでこちらにお方様がいらっしゃると、あれほど言っておいたであろ。掃除もせずにこんなところで大声を上げて、なーにを考えておる。お前もしっかり指導せんか」
傍の中年女を叱りつつ姿を見せたのは、貧相な体つきの男だった。歳は六十ほどか。立派な衣装がぶかぶかである。
「ひっ、法務卿様」小太り女が呻いた。「なにをもってこんな場所に」
「そりゃ下見に決まっておろう。ありゃ。一体全体、なにが、どうなっている?」小柄な男は留置場の中を見て戸惑う声をあげた。
「その声はお野江か。おぬしいったい、刃物など持ってなにを暴れておる」
「まことにお恥ずかしい。それもこれもこいつらが逆らうからにございますっ」小太りが叫ぶように主張した。
「これこれ。なにものだ、お前は」小柄な男がメグに言った。しかし、首を女の肉付きのいい腕でぎゅうぎゅう締め付けられ、自由に話すことができない。
「えー、するとなにか、お前も謀反に加担しておるのか。いかんのう、そんなことをして。どうやらまだ若いではないか、顔はあまり見えんが」
「前外務卿、現法務卿の鴫左門様とお見受けします」ぼそり、と孔雪が言った。
「こちらは参州祝祭役一位、双樹大森林継承者、藤の国朽木未姫アルオーラさまでいらっしゃいます。お顔はご存知のはず。いまからでも遅くありませんから、その場にひかえていただけますでしょうか」
鴫と呼ばれた男は、「はは、よりによって、なにをばかな」と笑いながら、牢内の顔をいまいちど順繰りに見て行った。
お蘭も美歌も動きを止め、ただ敵意のこもった目でにらんでいる。
「ほう、どちらもなかなかの美形。その顔に乱暴は似合わんぞ」それは余裕でいなした鴫だったが、倒れたお福を見て動きが止まった。
「ぬ」メグの守役になるまでのお福は灘の方の側近であり、その後もメグ母娘のいる場所には常にそばにいた。だから、かつて外交官だった鴫も、そのがっしりした風貌にはどこか見覚えがあったようだ。
慌てた法務卿はもう一度、小太り役人が羽交い締め中の若い女を見た。
「……えっと」鴫は目を細めて軽く膝をまげた。そして、髪を乱し頬を赤く腫らしたまま、首に巻かれた腕をなんとか外そうとしているメグの顔に視線を合わせると、繰り返し見直した。
一度孔雪の顔に戻り、お蘭を見てからまたメグをじっと見た。
男の目が目尻から裂けそうなほど、見開かれた。
「ひ、ひ、ひ、ひつひつひつ」
次の行動について、鴫法務卿は最も楽な道を選んだ。
その場に気絶したのだった。
「法務卿さまっ」牢の外から悲鳴があがった。
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