第2話 エクソシストの孫
旅の商人テツとロバのアンティモン、猫のタイタン、鳥のゲルマの一行は青空市の一隅にいた。商品は、折りたたみ式の小さな卓にきちんと載せてある。
魔法使いと称したジュラの死んだ地点から、3日3晩かけてようやくたどり着いたのは、「パン」という名で呼ばれる国だった。城があって領主がおり、市はその城下町にあたる場所に開かれている。到着からは5日が経過していた。
青空市は建て込んだ場所にあり、寒風にさらされないのは救いだが、
「今日もまた、売れねー」誰も聞いていないのを確かめると、しゃべる鳥ゲルマがぼやいた。
たしかに大人の客より、店番の動物に喜ぶ子供ばかりがやってくる。
「売り手もしょぼいが買い手もひでえ。仕方ねえ。おれ様が空を飛んで、『買えー、買えー』って煽ってやるよ。びっくりして財布の紐を緩めるぞ、きっと」
「いいよ。びっくりどころか、怪しんだ番兵に追いかけられる」
この地の卸業者をたずねたり、少なくない場所代を払って青空市に店を出したり、テツなりに懸命に商機をつかもうとしているのだが、今回のツアーにおける主力商品、「傷や肌荒れに効く膏薬」も「火や危険作業から守る手袋」も、いまのところおざなりな関心しか示してもらえない。風が強く寒暖の差が激しい地域だから期待していたのに、空振りのようだ。
来てから知ったが、ここでは怪我除けなどの護身魔法が幅をきかせているらしく、邪除けの木札が家々に貼られている。そのせいかと思ったりした。
ただ、隣に店を出している果物売りのお兄さん、カッパとはすっかり打ち解けた。手空きの時間はずっと彼や彼の友人たちも交えて話をし、いろいろとパン周辺の情勢を教えてもらったりした。
きっかけは、この地に来て間もない時に起こったちょっとした活劇だった。カッパ兄さんがよそ者風の男たちに因縁をつけられ難儀していたのを、昔とった杵柄とばかりにテツが助け出してやったのだ。
かつての専門分野であり、襲ってきた全員を叩きのめしてもテツは汗一つかかなかったが、兄さんはとても恩にきて、市の世話役に口をきいてくれたり、あいさつに連れ回してくれた。おかげで他の商人たちにもすぐ受け入れてもらえた。
また、追い払った柄の悪い連中は、しばらく前から住民たちの悩みの種だったらしく、別人みたいに怯えて逃げ去ったよ、と見知らぬ人に礼を言われたりした。
カッパ兄さんの商売を横で見るのも勉強になった。仕事への熱意はさほど感じない兄さんだが、口上の見事なのには感心する。色男のせいか固定客はついているし、とっさのあしらいは巧みだし、いいタイミングで目玉商品を出したりして、朝夕の市のかき入れ時には、捌き切れないほど客が群がる。
だから、無聊を託つうえ計算の早いテツが勘定などを手伝ってやる場面が多く、ますます恩にきられた。
「悪いなあ、てっつあん。いつかお返しするからさ」と兄さんは言う。
「いいって。さんざん世話になってるし、うちの鳥に干し果物もやってくれたし、これだけでもう十分です」
「いや、まだまだ。例えばさ、あんたいつも真面目くさってるけど、女の子と舟でどっかに出かけるとかしないの?小舟なら、すぐ調達するよ」
彼の伯母の一家が、このあたりの連絡船業者の取りまとめ役なのだそうだ。
「それより、うちのロバとか猫とか鳥を舟に乗っけてやったら、喜ぶかな」
「そりゃ、まわりで見てる子供は喜ぶだろうけどさあ」
パンの国は大きな湖に面し、水上交通が盛んだった。そうだ、船乗りに膏薬はどうかな、とテツは考えた。寒い時期の手荒れによく効くから、喜ばれるのではないだろうか。その販売企画をお兄さんに語ったところ、
「あっ、やめといたほうが賢い」と言下に否定された。「間違いなくガッツリ税を取られるよ、それ」
いまの領主は、領民が新しいことをやれば目ざとく税をかけ、特に商人は狙い撃ちにされる傾向があって、市場周辺の住民はずいぶん腹を立てていた。二代前の領主の治世には善政が敷かれたといい、いまも慕う声がある。だが、孫についてはもっぱら「馬鹿とまでいかずとも、ハズレ殿」というのが定評だそうだ。
とはいえ、テツの商売に全く動きのないわけではなかった。
昨日は、まだ早いうちに若い女の子が店の前に立った。化粧っ気はないが目鼻立ちがはっきりし、手をかければさぞ美しいだろう。カッパ兄さんとも知り合いだった。
おお、こんなにきれいな娘が買ってくれたら幸先いいな、などと思っていたらいきなり、「ねえ、この塗り薬、犬に使っちゃだめですか」と聞かれた。
「すごい年寄りなの。肌も弱くなって、指先とかに塗ってやれば楽になるのじゃないかなーと思って」
「そりゃ、構いません」犬に赤ギレはあるのか?などとあまり犬に縁のなかったテツは考えないでもなかったが、おくびにも出さず答えた。「けど、ハッカの匂いを嫌いませんか」
「それは大丈夫だと思う。怪我した時に、死んだおばあちゃんが似た薬を作って塗ってやったりしてたから、これも効くかなあって」
しかし、家で機織りをしているという女の子はそのうち、テツのうしろに隠れ、ちんまりとすましているロバ、猫、鳥へ次々に目をとめた。じっと見ていたが、周囲に人の少なくなったのを見計らうと、
「……ごめんなさい、いきなり。もしかして、このヨウムと猫、人の話がわかるんじゃない?」と、テツにささやいた。
返事に困った彼が黙っていると、
「亡くなった私のおばあちゃん、巫女だったの。よその土地では、魔女とか妖女とか言ったりもするわね。だから私もちょっとだけお祓いとかができるし、動物の声が少しはわかる。さっきのウチにいる年寄り犬も、おばあちゃんのお使いをしていて、人の言葉を理解するの。昔は幽霊退治でけっこう有名だったのよ。二十をとうに超えてるから、よれよれだけど」
「ほう。それはびっくりするような高齢ですね」
ふいに猫のタイタンが首を巡らし、女の子の利発そうな顔をじっくりと見た。ジュラの指輪を通した紐を、首輪がわりにまいている。
「もしかして、あなたはもっと歳上?」彼女の問いに猫は黙っている。
「そこにいるロバさんは、ただ賢いだけかな。でもヨウムくんと猫さんからは、うちの犬と同じにおいがする。魔法がしみこんだ生き物の」
「おれ、犬みたいにくさくないつもりだよ。けっこう綺麗好きなの。足輪の裏だって清潔さ」ゲルマが小声で返事すると、
「ああ、やっぱり」女の子は美しい目を瞠った。
「今日は、けっこう売れたけど、なんか考えちゃうなあ」と、テツはぼやいた。
スズという名の娘は、今日の昼前にも顔を見せ、追加で薬を買ってくれた。さらに、親しいという反物屋の店主をはじめ、おばさん軍団を引き連れてきてくれた。商品の良さを吹聴してくれたようだった。おかげで彼女らもまた、気前よく商品を購入してくれたが、おまけがあった。
まず反物屋から、「てっつあんは男っぷりもいいし、扱う商品もすごくいいけど、売り込みが下手。もっと自信を持って要領良く効能を説明しないと」と、説教されてしまった。
「売り物の取り合わせも悪い。火傷を防ぐ道具と火傷に効く薬を一緒に売ってどうするの。これがお客に必要なはず、と信じるのなら逆にそれを生かした店構えにするとかさ、もっと工夫しないと」との指摘は小間物屋からだった。「動物たちに宣伝させりゃいいのに」との意見もあった。スズと並んでお隣のカッパ兄さんも申し訳なさそうな顔をしていた。どうやら彼もまた、親切心からテツに受けた恩と商売っけのなさをおばさん軍団に伝えたらしい。
「武家の商法って感じがすごくするけど、前はなにやってたの?」「腕っ節は強くても、それだけじゃね」などとおばさんたちは言い合いながら、帰っていった。スズが「ごめんね」という仕草をしてから後を追った。
「やっぱりそうなんだ。みんなはどう思う?」
厳しい指摘にしょんぼりするテツに、アンティモンは尻尾をゆらゆらさせ、タイタンは彼の肩に跳び乗り、トントンと慰めるように前脚で叩いてくれた。商人になって一年経ってないんだろう、これからだよと言ってくれているのがわかった。おしゃべりのゲルマなど、「人生をこんな狭い範囲で生きてる連中には」と、あざけるように言った。「殺しに倦んで転職したなんて理解の外だろうしな」
「ちぇっ。聞いたようなことを」
「あっ、おれはテツの努力は買っているんだぜ、口下手でも健気だし。けどなあ、正体を知ったら、このあたりの兵だろうがヤクザ者だろうが、泣いて命乞いするほどのおっかねえ過去を持つ野郎だなんて、まさか考えもしちゃいないんだろうなあ、あのおばちゃんたち」
「ふん、大袈裟な」とはいえ、口の悪いゲルマにも彼を認め、元気つけようという気持ちがあるのはわかった。
おかしなきっかけで知り合った猫と鳥だったが、いまではすっかり仲間意識が湧いていた。ロバのアンティモンも同じ気分らしく、一緒にいると機嫌がいいし、両方を背中に乗せたまま仲良く歩いてもくれる。
空が朱くなってきた。夜市の届けは出していないので店を閉じ、不思議な仲間たちと宿まで歩きながら、もうこの土地を離れるべきか思案した。しかし市のみんなは、口はともかく親切だし…スズさんも素敵だし。
そんなことを考えながら、足の向くまま、いつもと違う静かな筋をゆっくりゆっくり歩いていると、通りの奥に人だかりができているのに気がついた。
「おやめください」若い女の声がした。だが、「これは命令である」と太い男の声が打ち消した。「隊長、少しだけでも御猶予を」「うるさい、口を出すな」
いろんなやりとりが聞こえる。見に行くべきか迷っていると、ゲルマもタイタンもさっさと出動してしまった。アンティモンまでトコトコ声のする方へ向かった。なにか予感があったようだ。
仕方なく、猫の尻尾を追って人混みをかきわけると、古びた家の前に武装した兵士が何人もいた。がっちりした中型犬を引っ張り出そうとして、若い女と揉み合っていた。兵たちは、どこか遠慮しつつ犬を捕まえようとしているが、隊長と思しき記章をつけた男と馬車から指図する男が、しきりに急かす。
タイタンがごつんとテツの足に頭突きをして、注意をうながした。兵に抗議している女は、スズだった。隊長が足で乱暴に彼女を向こうに押しやった。
ほんのわずかな間だが、自分の身体に以前の感覚、精密機械のような自動反応が残っていたのを自覚し、テツはぞっとした。
それは殺気すら発せず、ごく自然に兵たちの動きを先回りし、それぞれの生命を断とうと図った。すべてを委ねれば、瞬きする間に兵たちを皆殺しにしただろう。彼は、そんな残酷さが当たり前とされる世界にいて、天才と称えられ、それにほとほと嫌気がさしたのだ。
いかんいかん。首をブルブルと振って心を落ち着け、テツがあゆみ寄ったころには、すでに兵たちは馬車に犬を収容し、出ていくところだった。
見ていた野次馬から、無体な振る舞いに不満の声がかけられた。だが、馬車から首を出した頬のこけた男は四周をにらみつけて黙らせると、スズに向かい、
「明日の昼だぞ。皆様方が揃ってお待ちである。潔斎して城に出頭するように」とだけ言うと、さっさと車を出させてしまった。
「よし、まかせとけ」そう言ってゲルマが空に駆け上り、尾行を開始した。
立ち尽くすスズに声をかけようか迷っていると、どこからかおばさんの集団が押し寄せ、彼女を慰めながら家の中へと送っていった。
そして、家の前でぼう然とたたずむテツにも、「あら、てっつあん。ちょうどいい。あんたも話を聞いて知恵を貸してよ」と声がして、直後に無理やり家の中へと引っ張り込まれた。
内側から見たスズの家は、つくりこそ古いが、庭には十分すぎる余裕があり、小さな泉水まであった。さっそくアンティモンが味見をした。
「ほう、なかなかのお家ですね」
「もとはね、旅館だったの」
回答したのは、昼間に厳しい指摘をした反物売りのおばさんである。横には履き物屋や小間物屋のおばさん連中もいて、カッパ兄さんがおばさんたちの迫力に負けたといいたげな、なんとも気弱な顔をして、「よう」と小さく手を振った。
彼女らによると頬のこけた男は、領主様の秘書長官だという。
「へえ、けっこう偉い方なんですね。じきじきに顔を出すとは、お暇なのかな」
「つまり今度の無理難題には、情けないことにご領主も一枚噛んでいらっしゃる。それで来たのね」
「無理難題ってなんです?」
「消え失せた宝剣について、アルミン様は亡くなられたから、遺された飼い犬と孫が責任を持って探し出せって。もう、ばかばかしくって」
アルミン様というのは、先ごろ亡くなったスズの祖母である。
かつての彼女は、幽霊おろしの巫女として周辺諸国に名の知られた存在だった。
特に有名な事跡としては、近隣の領主らによる協同の要請を受け、中立地帯の僧院あとに出没して旅人を惑わせた昔の武将の幽霊を祓った話がある。また、霊力を持つ愛犬(さっきの犬だ)だけを伴い、パンの城の古い地下牢あとへと潜入、城下を騒がせた悪霊を見事鎮めて先代領主とその母である女伯から手を取って感謝されたことも、古い住民にはよく知られているという。
功績によってアルミンは城下に屋敷を与えられたが、彼女はそれを、望めば誰でも使える旅館として活用した。ときどき、女伯さまがお忍びでお泊まりになり、庶民の食べ物の味見や市をひやかすのに使われたりしたそうだった。
その後もアルミンは、地域住民からの依頼を受けてお祓いをしたり、護符を提供したりしていたが、数年前に倒れて以降、心身に負担の大きいその手の仕事から引退し、息子夫婦の忘れ形見であるスズと犬とでひっそりと暮らしていた。
ところが、ある日突然に現在の領主、正確にはその秘書長官から、
「城にあるはずの名剣が一振り、見当たらない。ありかを探してほしい」と探し物の依頼があった。剣は地下牢の霊どもを祓う際、当時の領主がアルミンに護身用として貸与したこともある家伝の霊剣である。
たしかに老女はすぐれた巫女だったが、失せ物探しは専門外のうえ、すでに病は篤く自由に歩くこともできなかった。孫のスズは丁重に断ったのだが、領主側は容易には認めず、「言うにこと欠いて『お前たちが盗んで隠したのではないか』って最低のいいがかりまでつけたの」と、おばさんたちは憤る。
さすがに、旧臣たちや領主の親族筋からも嗜める声が相次いだのと、その直後のアルミン自身の死によって、いったんはうやむやになったのだが、スズがようやく落ち着き、外出を再開したいまになっていきなり、話が蒸し返された。
とにかく霊力のある犬に探させろ、そして祖母の名を穢したくなければ孫のお前が率先して手伝い必ず見つけよ、ということだった。
つい最近、近くの国に内乱騒ぎが起こり、王子が重傷を負ったとの噂があった。欲深なパンの領主と側近は、相手が長年の友好国にもかかわらずこれを好機ととらえ、領地をかすめとる気を起こしたらしく、その景気づけに宝剣を用いた行事を思いついたようだ。
「ばっかじゃない?」とおばさんたちは口をそろえた。
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