夜を透す

こんぺい糖**

夜を透す

「私、明日死ぬのよ」


日が少しずつ低くなって、空が暁に染まりかけた頃。突然かかってきた電話の向こうで、透子とうこは鈴の転がるような声を響かせてふっと笑った。



「何言ってんだよ。主治医から、そろそろリハビリを始めてもいいと言われたばかりだろう。君は回復してるんだよ。大丈夫。死にはしないさ」



僕は突然の彼女の言葉に少しばかり動揺したが、これから始まるリハビリ生活に弱気になっているのだろうと結論を出し、彼女を安心させるように優しい声音で告げた。



「違うのよ。私、本当に死ぬの。……虫の知らせとでも言うのかしらね」



『死ぬ』と言う割に彼女の声は穏やかで、僕はさらに戸惑った。仮に彼女がもうすぐ死ぬのだとして、普通はこういう時、取り乱すものだろう?もしかすると、長い入院生活の中で死というものへの認識が変わってしまったのだろうか。


なんにせよ、彼女の恋人である僕にとっては、信じたくない言葉だった。



「……虫の知らせ?」


「そう、虫の知らせ。何故かしらね、胸の奥に『死』という言葉がパズルのピースのようにぴたりとはまったの。『死』によって私の人生は完全なものになれるって、そう思うの」


「バカを言うんじゃない。君は死にたいのか。リハビリを前向きに考えていた君が?」



「違うの。そうじゃないのよ。私が死を願っているわけじゃないわ。…ただ」


そう言って、透子は口を噤んでしまった。


少し言い過ぎただろうか。リハビリを前にナイーブになっているであろう彼女に、きつく責めるような言葉を投げかけたのは良くなかったのかもしれない。

だが、僕の気持ちも考えてみて欲しい。愛しい恋人が病に侵されて、余命宣告までされて。必死の看病の末にやっとリハビリができる状態までもってこれたのだ。それなのに、『死ぬ』だなんて、縁起が悪いにも程がある。



「透子…君がリハビリを前に不安を感じているのは分かるよ。でも、僕も傍にいるじゃないか。一人で辛くても二人でなら乗り越えられるだろう?ね、そんなに気負わないで。僕も、君の不安が少しでも減るように全力を尽くすから」



できるだけ穏やかに、彼女が納得するようにと、気をつけて言葉を紡いだ。



「……そうね。ありがとうゆうくん。」



少し寂しそうに、しかし相変わらず澄んだ声で彼女は言った。どうやら僕の説得は失敗したらしい。もう少し、彼女の話を聞いてやってから説得した方が良かったのかもしれない。



「あの、それで、そろそろ本題に入りたいのだけれど」



透子の言葉に僕は首を傾げた。これは本題ではなかったのか。やはり『透子が死ぬ』という話は、本題に入る前のジョークだったのだろうか。


分かりずらい冗談だなあ、まあでも、透子はいつもちょっとずれているから、こんなものか。そんなことを考えながら、僕は無言で彼女の言葉の続きを待った。



「私と今晩、一緒に過ごして欲しいのよ。一晩中他愛もない話をして、お気に入りの紅茶を飲んで、朝まで海を眺めるの」



なあんだ。透子はデートのお誘いがしたかったのか。でも、長い入院生活でなかなかデートが出来なかったものだから、照れているんだな。それで、あんな突拍子もない冗談を言ったんだ。



「もちろんいいよ。でも、主治医の先生に許可はもらったのか?」


「ええ。事情を話したら快く許可してくれたわ」


「それなら良かった。それで、君は海に行きたいんだよね?この時期は寒いから、僕が車を出すよ。海が見える駐車場に車を停めて、車内から海を眺めて過ごそう。まだ万全じゃない君が風邪をひいては嫌だからね」


「車は…いいわ。先生に許可をもらって、ほんの少しだけブランデーを準備したの。紅茶に混ぜたら暖まるかしらって」



僕の提案を彼女はやんわりと却下した。ブランデーを持ってくるなんて、酒に弱い彼女にしては珍しい。しかも、主治医が許可を出しているなんて。



「もしかして、ブランデーは嫌いだった?」



僕が黙ったままでいると、携帯電話のスピーカーから、彼女の不安げな声が聞こえた。いけないいけない。彼女を心配させては駄目だ。せっかくのデートだというのに。



「そんなことはないよ。お酒はなんでも好きだ。…それなら、僕が病院まで君を迎えに行くよ!そこから歩いて近くの海まで行こう、ね?」


「わかったわ。私は病院の入口で待ってるわね。ゆうくんが来たら一緒に行きましょう」


「ああ、寒くないようにね」


「うん」



プツリと電話が切れた音がした後、僕は急いでコートを羽織り、携帯電話と持ち運び用の毛布を掴むと家を飛び出した。


10月末の冷えた空気に透子をさらし続けるわけにはいかない。僕はその思いに突き動かされながら病院までの道のりを走る。



5分ほどで病院が見えてきたので、はあはあと肩で息をしながら立ち止まった。明るかった空もいつしか深い藍色に塗り替えられていて、病院から洩れる光がやけに眩しく感じられる。その光の先へ必死に目を凝らすと、1人の黒いシルエットがゆらりと佇んでいた。僕はすぐにその黒いシルエットの正体が分かり、彼女の元へ駆け寄った。



「ごめんね、待たせたかな」


「いいえ、今降りてきたところよ。ほら!張り切って用意をしたら、こんなに沢山になっちゃったわ」


彼女はそう言って、嬉しそうに両手に持ったバスケットを掲げてみせた。しかし、それはダッフルコートの袖から覗く白く細い腕には重すぎたようで、両手を掲げた後、彼女はぐらりと右に大きくよろめいた。


「きゃっ…!」


短い悲鳴をあげて転びそうになる恋人を、僕は大慌てで抱きとめる。彼女の細い腕からバスケットを奪い取ると、抱きすくめたままの彼女にコツンと軽く頭突きをかましてやった。


「こら、張り切るのは良いけれど、そんなに重いものを持ったら君の腕はすぐ折れてしまうよ。持ってくるのは紅茶とブランデーだけじゃなかったのかい?」


そう問い詰めると、彼女は少し申し訳なさそうに眉じりを下げて、苦笑いを浮かべた。



「最初はそのつもりだったのだけど、準備しているうちに『このお菓子、紅茶に合いそう』とか『2人分の大きなレジャーシートがいるわね』とか考えてしまって……。何だか遠足気分で楽しくなっちゃったの」


「それでこんな量に……」


長い入院生活のどこで大きなレジャーシートを得る機会があったのかは謎だが、事情は分かった。彼女は今夜のデートを遠足前の子供のように楽しみにしていてくれたらしい。そう考えると、僕の胸はなんとも言えない愛おしい気持ちで満たされた。


「僕は毛布を持ってきたよ。さあ、海岸まで行こう。紅茶が冷めてしまったら勿体ない」



「…!ええ!ゆうくんと何処かに出掛けるなんて本当に久しぶりだね」



「うん。僕も君と出掛けられて嬉しいよ」



そう言うと僕は彼女を抱き締めていた手を離し、するりと彼女の手に指を絡ませた。そうしてお互いの熱で手を暖め合いながら、僕らは海辺へと向かった。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



ザザア…ザア……。


波の音が昼間より大きく聞こえる。


夜の海は予想以上に暗かった。水平線を見ようとすると、空と海との深い藍の境界に吸い込まれてしまいそうで、少し恐ろしく感じる程だ。



暗い海に圧倒されている僕とは対照的に、透子は鼻歌まじりで僕の隣を歩いていた。



「私、夜の海の方が好きよ」


僕の心を読んだのだろうか、彼女は鼻歌をやめてそんなことを言った。


「何故?昼の海の方がキラキラと輝いて綺麗じゃないか」


そう問い掛けると、彼女は絡めていた指をほどき、僕に正面から抱き着いて笑った。


「だって、昼間の海ではこんなこと恥ずかしくて出来っこないわ。夜の海は、私がゆうくんをこっそり独り占めできる大切な時間なのよ。最後の時間なんだから私が貰ってもいいでしょう」


抱き着いてきた彼女の身体は暖かかった。間違っても『最後』を迎える人間の暖かみではない。僕はそれに少し安堵し、まだ彼女は不謹慎なジョークを続けているのかと呆れた気持ちで彼女を抱き締め返した。


「こんなに暖かいくせに、何を言ってるんだ君は。…ほら、レジャーシートを敷くよ。立ったままはきついだろう?」


「そうでもないわよ。今日は体の調子も良いの」


でもそうね、と彼女は呟くと、ふわりと僕の腕から離れ、近くに置いてあったバスケットからランタンを探り出して明かりを灯した。ぼんやりと照らされたバスケットの中からレジャシートを取り出して、僕にその一端を握らせると、彼女はもう一端を持ちバサリとシートを広げた。


「早くしないと紅茶が冷めてしまうものね。お菓子も広げたいから座りましょう」


彼女はレジャーシートの上に軽やかに座ると、ランタンの明かりを頼りに、魔法瓶の紅茶やら、見舞い品であろう焼き菓子の詰め合わせやら、2人分のカップやらを取り出して、テキパキと『夜のお茶会』の準備を始めた。



「ほら、ゆうくんも座って?」


彼女に促されるがまま、僕は彼女の隣に腰を下ろす。


「はいこれ」


そう言って渡されたカップにはこぽこぽと魔法瓶から熱い紅茶が注がれ、彼女はそこにウイスキーの小瓶を2回振った。

彼女の紅茶のカップには4滴のウイスキーとたっぷりのスティックシュガーが投入されていた。


僕は彼女から渡された紅茶を1口飲むと、口を開いた。


「透子、夜通し何を話そうか」


「そうねぇ」


透子は口に手を当てて考えるような仕草をした後、にこりと笑って言った。


「思いつくままに。どんな話題でもいいことにしましょう」


「どんな話題でも…意外と難しいなぁ…」


僕はあまり社交的な人間ではないので、彼女が喜びそうな楽しげな話題は生憎あまり持ち合わせていない。何かテーマがあればまだ話せたのかもしれないが……。


(うーん、考えても中々出てこない。先に透子に話してもらった方がいいな。)


そう判断した僕は、彼女が先に話すよう促した。


「分かったわ。それじゃあ…ねぇ、なんで今日私が海を指定したのか、覚えてる?」



彼女が話題を振ってくれたはいいが、まさかの質問形式になってしまった。僕はなんとなく彼女が海を指定した理由に心当たりがある。しかし、あまりにも恥ずかしい思い出なので、出来れば忘れたいのだが…。


彼女はそれを許してくれないだろう。


そう思い、覚悟を決めて僕は言った。


「僕が…君に初めて声をかけようとして…君に大笑いされた場所だからだろう……」


彼女は満足そうに笑みを深めて、紅茶をこくりと飲むと、いたずらっ子のような表情を浮かべて答えた。


「うふ、ご名答。そうよ、ゆうくんが海で私をナンパしようとしたのはいいけれど、緊張のあまり沢山噛んでしまって、顔を真っ赤にして俯いちゃって。ふふっ…私、あの時のゆうくんの赤面にときめいたのよ」


「本当に?」


「ええ、笑ってしまったのは申し訳なかったけど…でも、あの時のゆうくんはとても可愛らしかったのよ」


「……君の方が何万倍も可愛いのに」


「……嬉しいけど、そんな歯の浮くような言葉は恥ずかしいわ」



僕の反撃を受けて彼女も赤面する。2人で照れながら何をやっているんだという感じもするけれど、2人きりの時くらいは大目に見て欲しい。僕だって可愛い彼女とイチャイチャしたいんだ!


「プロポーズの時はもっと歯の浮くようなことを言おうかな」


「駄目よ、女の子がそれで引いてしまっては大変だわ。」


「………」


「あ、プロポーズで思い出したわ。1度、ゆうくんが私に指輪をプレゼントしようとしてくれたことがあったわよね。恋人へのプレゼントのはずなのに、間違えて結婚指輪を買おうとしたの。ゆうくんの部屋に結婚指輪のカタログがあるから、私、ゆうくんの浮気相手だったのかと思って、その場で大泣きしたのよね」


彼女はクスクスと笑いながらそう言った。そんなこともあったなぁ、と懐かしい気持ちも込み上げてくるが、それ以上に恥ずかしい。…これは僕の黒歴史披露宴なのか?


「…僕はその時、そんなに喜んでくれるのかと思って、すぐにでも指輪を買いに行こうとしたら、君に止められて。『誰と結婚するの!?』と詰め寄られたときは、全く意味がわからないし、話の意図は理解できないし、君は泣いてるしで……。はぁぁ、情けない」


「大丈夫よ、次はそんな失敗しないわ」


「………」



「あとは…そうねぇ、私の病気が発覚した頃─────────」




「……なあ、透子」


彼女の話を遮って、僕は声を上げた。


「なあに?」


きょとんとした顔で僕を見る彼女に僕は淡々と続ける。


「君が過去の思い出話をするのは全然構わないよ。でも、どうして未来の話をする時に限ってそんな他人事なんだい?僕は君との未来の話をしているのに」


まるで、その未来に自分はいないかのように。



たとえそれがさっきの新手のジョークの続きだったとしても、ここまでやるのは悪趣味すぎる。ふつふつと彼女への怒りが湧き上がってくると同時に僕の声は淡々と冷たくなっていった。


「……っ」


刹那、彼女は少し悲しげな表情をしたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべて言った。


「そうよ。私とゆうくんの未来はないわ。だから他人事なの。だって、私は明日死ぬんだもの」


「だからっ!いつまでそんな冗談────!」





「冗談じゃ…ないの……貴方だって、うすうす気づいているでしょう?」




先程までの表情と打って変わって、今にも泣きそうな顔をして、言葉を何とか絞り出しながら彼女はそれだけ言った。



「だって…主治医の説明では……もうすぐリハビリも出来るだろうって…回復…しているって……」



感づいては、いた。


入院中の彼女の、いきなりの誘い。

病室にあるはずのないバスケットとレジャーシート。

ビールをひと舐めするだけで酔っ払う彼女の紅茶に入っているウイスキーの量。


微かな違和感。胸騒ぎがする。


受け入れなければならない、だけど受け入れられないこの感覚。



(嫌だ、絶対に失いたくない。僕以上に大切な……)



「ねぇ、ゆうくん。」


震えた声で、彼女が僕を呼ぶ。目に涙を溜めて、それでも凛と僕を見すえて。


「私たち生物に、『明日』なんて確約はないんだよ。ゆうくんだって、うちの両親だって。どんなに健康でも、どんなに気をつけていても、予想外のきっかけで『明日』が失われることもあるんだよ」


「………」


「だからね、私はラッキーなの。命の期限を知ることが出来た私はとても幸運なのよ。……そんな幸運な最後の夜をゆうくんとの思い出でいっぱいにしたら駄目かなあ」


「この世界で1番大好きなゆうくんとの記憶を胸に刻んで生涯の幕を閉じることが出来たなら、私は多分、世界一幸せな女の子になれると思うの」


「ゆうくん、どうかお願いします。私を今夜、世界で1番幸せにして?」


目からボロボロと涙を零しながら、彼女はへにゃりと笑った。ランタンの明かりでキラキラと光るそれは、確かに昼間の海なんかよりもよっぽど美しかった。


こんなに美しい彼女を、僕が世界で1番幸せに出来るだなんて、僕も、世界で2番目くらいには幸せな人間になるのだろう。


「分かった。僕が君を世界で1番幸せな女性にする。2人の思い出で僕らをいっぱいにしよう」


多分、僕の声は彼女と同等に震えていた。しかし、僕の心にもう迷いはなかった。



愛する人の最後を僕が幸せにするんだ。





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「そうだったね、あの時の君は最高に面白かったよ」


「もう!私は真剣だったのよ?面白いだなんて!!」


「でも本当は?」


「ちょっと面白いだろうなーとは思ったよ……」


「くっくっくっ…!」


「むむう……」



あれから僕達は思い出せる限りの思い出を語り合った。話しすぎて魔法瓶の紅茶はあっという間に空っぽになってしまったし、お見舞い品であろうお菓子の詰め合わせも、半分くらいは食べてしまった。2人は1つの毛布に一緒に包まって、お互いを支えにしながら、黒い海を眺めていた。アルコールも入っているはずなのに不思議と眠たくはならなかった。



「あっ…」



透子がふと声を上げた。気づけば、空が少しずつ明るくなり始めていた。黒かった海もだんだん青みを帯びてゆく。



「……そろそろ、なんだね?」


「…うん」



彼女は毛布から出て立ち上がると、くるりと僕の方に体を向けて、今までで1番いい笑顔でこう言った。



「ゆうくん…ううん、悠夜くん。私、貴方のおかげで毎日とーっても幸せでした!私の人生で1番大好きな人です!」


「僕も…僕も君…透子のお陰でずっと幸せでした!透子のこと、本当に好き…愛しています…ずっと」


僕も思わず立ち上がり、透子に向かって叫んだ。最後は涙声になってしまったけれど、後悔はない。僕達は世界で1番の幸せ者なのだから。



「あのね、ゆうくん」


僕の顔を掴んで自分の顔を引き寄せながら彼女は囁いた。


「今晩の出来事は夢よ。全部夢。だけど、忘れないで。貴方との思い出は全て本物だからね。…どうか、貴方の幸せに私の欠片も連れていってね。心の片隅に幸せな記憶だけ……」



「私も愛しています、ゆうくん」



そう言った後、彼女はぐんと背伸びをして、僕の唇を奪った。何度もしてきたことなのに、初めての事のように感じられた。


甘く柔らかい彼女の唇からウイスキーと甘い焼き菓子の香りが混ざったような強いアルコール臭がしたかと思うと、僕の視界は真っ白になり─────僕は深い眠りへと誘われていった。





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ピルルルルル…

ピルルルルル…


携帯電話のなる音で深く沈んでいた意識がぼんやりと浮上した。


(うっ…頭が痛い……昨日は…何してたっけ?)


謎の頭痛と格闘しながら、僕は携帯電話をとった。


「……はい、もしもし」


「…悠夜くん、透子の母です。朝早くにごめんなさいね。あのね……ついさっき、透子が息を引き取ったの」


突如告げられた言葉で、僕の脳は完全に目を覚まし、昨夜の出来事を思い出させた。


辺りを見渡してみると、どうやらここは透子の入院している病院の前らしい。僕は病院の前で横たわっていたみたいだった。



「…っ!あの、今病院のすぐ近くにいますので、今すぐ向かいます!!」


「ありがとう…。病院には伝えてあるから病室に来てね……」


僕は急いで立ち上がると、透子の病室に向かった。








「…透子っ!」


病室には主治医や看護師、両親に囲まれて、ベッドに横たわる透子の姿があった。


「ああ、来られましたか。話は聞いています。中へ……」


そう主治医に言われて病室の中に入ると、透子の母親が泣きながら透子の手をさすっていた。


「悠夜くん…。透子の…透子の手がね、まだ暖かいの。おかしいわよね、もう…死んでいるのにね……」


「えっ……」


透子の母親がさすっている手と反対側の手に触れてみると、じんわりと暖かかった。まるで、生きているかのように。



(まさか…あの時の……)



昨夜、透子はずっと熱い紅茶が入ったカップを持っていた。しかも毛布に包まって。


その時の熱がまだ残っているのか…?



「あの、透子さんの容態はいつ急変したんですか」


「透子さんは、昨夜から容態が悪化していました。それまでは元気だったのですが……」



昨夜。僕と透子が会っていた時間。その間に容態が悪化したということは、やはりあれは夢の出来事だったのだ。



でも、夢でも最後に会えてよかった。



「悠夜くん…朝早くに来てもらって…まだ何も食べていないだろう?ここに未開封の菓子の詰め合わせがあるからこれでも…」


「あっ…ありがとうございます」


透子の父親に勧められて、菓子箱を開けた。


(………!!)



箱を開けると、菓子が半分ほど食べられた形跡があった。そしてそれらは、昨夜僕達が食べたものとよく似ていた。



「透子が食べてたのかもしれんな」


なんて透子の父親は言うけれど、これは、きっと



『夢よ。全部夢』



いや、たとえこれが夢でも夢じゃなくても、透子との思い出は消えない。僕が忘れない限りここに確かにある。



透子、愛しているよ。ずっと。






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「お通夜というものは、死者の霊を夜通し守るというのが由来でございます。また、故人との最後の夜を共に過ごす時間でもあるのですが、今では簡略化され──────────」

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