第9章 追い風は向かい風に

第9章 追い風は向かい風に その1

「解せん……」


 旅客営業部の営業課のあるブースは、手前から社員の席がずらりと並び、その奥に課長席があり、更にまだ奥の窓際の席。そこが、旅客営業部の部長席であった。

 昨日、一日中空いていたその席には、ブルックソンがどっかりと座り込んで何故か拗ねていた。

 その原因は、部長のデスクの隣に新たに開設されたポストのデスク。そちらの人事の方が、全社員の脚光を浴びていたからだ。


「何や部長、そんなプンスコして? せっかく万年課長や無くなったんやから、もうちょっと喜びいや」

「お前だ! お前のせいだリュウ!」

「はあ?」


 リュウは首を傾げてブルックソンを見る。

 新たに開設された部長補佐という役職に就いたリュウは、今や全社員の注目の的だった。

 というのも、位としては課長と同じか、それ以上のポストである部長補佐に、社員のリュウが飛び抜けた出世を果たしたからだった。


 しかしそれを面白く思わなかったのがブルックソンであり、課長から部長に出世したというのに、リュウがその注目を全て食ってしまったせいで、その凄みが薄まってしまった。


「お前が部長補佐なんて飛び級のような出世をしたせいで、俺の部長ポストの存在が薄くなったじゃないか!」

「そんなん知らんわ。文句言うなら、辞令下したノア社長に言ったらどうなんや?」

「そんな、社長に言えるわけないだろバカ!」

「ああっ! ウチにバカ言うたな! アホはまだ許すがバカは許さんでっ!」

「何回でも言ってやる! バーカバーカ!」

「ムッカー! 図に乗るのもいい加減にせーやっ!」


 隣の席同士で、まるでクラスメイトのような喧嘩をする二人の光景は、広報課の社員にとっては馴染みの光景であったが、営業課の社員にとっては初めて見る光景であり、しかも社員からしたら上司同士の喧嘩であるため、止めることも、宥めることもできず、ハラハラ見守ることしかできなかった。


「……二人とも朝から元気そうですね」


 そんなブルックソンとリュウがヒートアップしている最中、ノアは疲労を抱えながら、二人に粘りつくような視線を向けた。


「おっ丁度ええとこに来てくれた! 社長実は部長がな……」

「いやあ社長おはようございますっ! 今日も爽やかな朝ですなぁ! ハッハッハッ!!」


 リュウがノアに、先程までの一連の出来事を伝えようとした瞬間、ブルックソンはそれを遮るように椅子から立ち上がり、揉み手をしながらノアに擦り寄って挨拶をしてきた。


「おはようございます。ところでリュウさん、わたしに何か?」


 リュウが何かを言いかけていたことに気づいたノアは尋ねるが、その後ろでブルックソンが黙って殺気を宿した目線を送ってきたので、リュウは呆れてものを言う気も失せてしまった。


「何でもない、気にせんといて」

「そうですか……はぁ……」

「どないしたんや社長? 今日は調子悪そうやな?」


 覇気も元気も感じないノアを見てリュウは案ずると、ノアは溜息を吐いてから答えた。


「いやその……さっきまでは元気があったんですけど、ここに来る前に数人から今回の人事のことを訊かれたんで答えてあげてたら、急に疲れが出てきちゃって……朝から一悶着ありましたし……」


 さっきから営業課の課長席からチラチラと視線を感じたので、嫌味を含めた口調でノアが言うと、その声が聞こえたのだろう、視線の主は逃げるように目を逸らし、感じなくなった。


「あら、そうかいな……まあ社長は働き過ぎやからな。少しは加減せんと、若いからって無理ばっかしとったら、倒れてポックリ逝ってまうで?」

「ああ……最近話題になってる過労死ですよね? ほぼ休日無し、毎日残業超過で働いてたら急に体と心を壊しちゃって、亡くなった方がいるって……その話聞いてたら、既視感が湧きましたよ……」

「そらあかんわ! なんか息抜きせんとマズイで!」

「息抜きかぁ……」


 ノアは以前、ホテルで働いていた時のことを思い出す。

 その時は時間的余裕も十分にあり、ノアは休みの日によく、旅行に出かけていた。

 ホテルコンシェルジュであったため、職業がてら行楽地や飲食店などの情報には明るく、それを生かして様々な旅行先に、時には友人と、時には一人で出向いていた。


 しかし社長になってからはそんな余裕が一切無くなり、休日はあるが、平日の疲れが残っていたり、普段できない掃除などの家事をこなしたりして、家から動かないということがほとんどになってしまった。

 動いたとしても、近所のスーパーマーケットに買い物に出向くくらいで、とても旅行などをする余力は残ってなどいなかった。

 故に今のノアには、息抜きというものが存在していなかったのだ。


「ブルックソンさんは何かご趣味は?」


 ノアはブルックソンに話題を振ると、ブルックソンは「私はですねぇ」と言って、バッティングの構えをしてみせた。


「野球のチームに入っておりまして、まあ四番バッターをしております!」


 ブルックソンは鼻高々と、自慢気に言ってみせた。


「四番ですか! すごいですねぇ……」


ノアが感心しているその横で、リュウはその話を聞いてニヤニヤしていた。   


「四番ゆうたって、草野球チームのやろ部長?」

「お前またいらんことを! 一応ホームランだって打ったことがあるんだからな!」

「ほーお、そりゃあ本物の四番やわ。いよっ! 未来永劫の四番バッター!」

「お前また俺のこと茶化してるだろっ!」

「茶なんか貸しとらんで〜、お茶屋さんやないんやからウチ」

「お前ええええっ!」


 それからしばらく、ブルックソンの怒鳴り声とリュウの挑発は続き、疲れていたノアは介入せず、空いていたリュウの椅子に腰掛け、しばしの休息を取り、営業課の社員たちもそろそろ二人の掛け合いに慣れたのか、さっきまでは二人の様子見をしていたが、放って置いて、自分の仕事に没頭し始めた。

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