第8章 大改革の兆し

第8章 大改革の兆し その1

 このルートボエニアの旅客営業部には、部署内に二つの課が分かれて存在していた。

 まず一つ目が営業課であり、こちらは主に、旅行代理店などの取引先との営業を趣旨とした課であり、旅客営業部の実績のほとんどを占めているため、現状部署の人員のほとんどがこの営業課に所属していた。


 そしてもう一つの課が広報課だった。

 広報課はその名の通り、旅行雑誌や新聞、フリーペーパーなどに売り込みをかけ、記事を掲載してもらったりする課であり、こちらは営業課とは異なり少数精鋭で動いていた。

 ちなみに営業課の実績は落ち込む一方で、広報課は近年のメディアの多様化により実績を伸ばしていたのだが、なにぶん少数であることと、エンジスからの圧力により、思うように動くことができず、結果部署全体の成績を底上げするほどのものではなかった。


 その二つの課がある中、ノアが訪ねたのは広報課の方であり、その理由は広報課の人員が課長を含めて全員エンジスの派閥ではなく、旅客営業部内の情報のリークも広報課から受けているものだったからだ。

 しかしそのリークにエンジスは気づいていたため、警戒され、結果圧力を受ける形となってしまっていたのだった。


 広報課は旅客営業部の端にあり、ノアがやってくると、広報課の課長であるファーマル・ブルックソンは自分の座席に座って、そして広報課の社員であるリュウ・リンファは、ブルックソンの座席の前にノアの座る椅子を用意してから、その隣の椅子に座った。


「これはこれはノア社長! ささっ、立ち話もなんですからどうぞお座りください」


 ブルックソンはノアの姿を見つけるや否や、黒いフォーマルベストと白のワイシャツ越しでも分かるそのガッチリとした大きな体を、真っ直ぐにしてその場に立ち上がり、普段は強面であるその顔を最大限に和らげた笑顔を見せて、ノアを手招きしてみせた。


「なんや課長、カワイイ系の女の子やからってデレデレして。鼻の下がビロンビロンに伸びとるで」


 そう言って、ブルックソンのことを白い目で見ているのがリュウであり、彼女はネイビーのスーツに、真っ直ぐ黒い髪を長く伸ばした、二十代くらいの容姿端麗な女性だった。


「誰がビロンビロンだ! リュウ、お前だって美人なのにその口調と性格が……ああ、勿体無い!」

「アンタに好かれんでも別にへでもないわ! さあ社長、こんなアホほっといて座ってくださいな」

「は……はあ……ではお構いなく」


 ブルックソンが「誰がアホだ誰がぁっ!」と一人怒鳴っているのを横目に、リュウの隣にノアは座った。


「ほら課長、社長来たら言いたいことあったんちゃうんか?」


 興奮するブルックソンをなだめるようにリュウが言うと、大きな鼻息をフンと思いっ切り吹いて、ブルックソンはどかっと自分の座席の椅子に座った。


「……社長、私は大変感服しております」

「……テンション落ちてますね」

「怒った後にテンション上げたりしたら、私の血管ははちきれてしまいます」

「ああ……それもそうですね」


 倒れてもらっては困るし、という本音は話を進めるため、心の内に秘めておくことにしたノアだった。


「よくあの伏魔殿の元凶を追い出してくれましたね。営業課の連中のしみったれたツラときたらまた……これでこの部署全体の風通しも大分良くなります。本当にありがとうございます」


 ブルックソンは清々しい笑顔で、ノアに頭を下げた。


「伏魔殿の元凶……ああ、エンジス部長のことですか」

「そうですそうです! アイツのせいで広報課はどれだけ肩身の狭い思いをしてきたか……いつか背後から頭をかち割ってやろうと思ってた時に、ノア社長に追放していただけたので、もうこれはこれは……感謝の極みでございますよ!」

「頭かち割るって……ホントにやっちゃう前にどうにかできてよかったです」


 それはブルックソンの冗談だろうと大半で思う半分、もしかしたら本気でやっちゃう気でいたんじゃないかと少しだけ疑ってしまったノアであった。


 それもそのはず、例えば営業課を含めた、旅客営業部全体の資料作成を全て広報課に丸投げされ、完成してもあーだこーだとイチャモンを着けられた挙げ句修正を重ねて、その影響でそれ以外の業務が滞ると、それも叱責されるという踏んだり蹴ったりな嫌がらせを受けたり、広報課と比べて倍以上経費を使っている営業課には特に指摘が無いのに、広報課には事あるごとに経費を節減しろと忠告してきたりと、そのような仕打ちを広報課が受け続けているという報告は事前に耳にしており、そしておそらく、それらのエンジスからの直接的な指摘は広報課の長であるブルックソンが全て受けていただろうから、ブルックソンがエンジスに相当な恨みを抱えていることはノアには容易に想像できた。


「ホンマあのいけすかない男がおらんくなってせーせーするけど、社長、あんな暴君業務部に引き渡して良かったんか? またわっけ分からんことしだすかもしれんで?」


 リュウがエンジスの異動先である業務部のことを案じるが、これにノアは首を横に振って答えた。


「ひとまず心配はいらないかと思います。ワーナー部長とエンジス部長の入れ替わりの説明は事前に係長の方々にして承諾は得てますので。なんでも、そう大して変わらないとか」

「プッ! どちらも問題児っちゅうことか! 業務の人達も分かっとるやないか!!」


 ゲラゲラと、腹からリュウは笑ってみせた。


「それにエンジス部長の経歴を調べたのですが、業務畑は踏んだことがないようで。それに自分の作った派閥もありませんし、早々には問題無いかと」


 ノアはその点は少し楽観的だったが、そこを厳しく見たのはブルックソンだった。


「しかし社長、あの男の人身掌握術には目を見張るものがあります。何卒警戒はしておいた方がよろしいかと……」

「そうですか……分かりました。伝えておきます」


 ブルックソンの指摘を受けたノアは気を引き締め直し、業務部のグロードにこのことを伝えることを忘れないよう、懐のメモ帳を取り出し、記した。

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