第1章 新米社長の憂鬱 その2

 丁度お冷を持ってきたホール担当のおばさんにアルビナは注文をすると、おばさんは厨房に向かって大声で復唱する。すると厨房の方から、野太い声で「はいよー」という返事が返って来た。

 その声の主こそが、この定食屋の店長であるジロウ・シラトリであった。


 注文してから五分ないし十分程度経った頃、ホールのおばちゃんが定食を乗せたお盆を持って、ノア達の元へとやって来た。

 ちなみにこのおばさんは、シラトリ店長の妻である。


「ハイお待たせしました、野菜定食ね」


 人参、玉葱、アスパラガス、キャベツ、セロリなど、彩り豊かな野菜が炒められ、平皿に盛られた野菜炒め。

 シラトリ店長が自ら調合した合わせ味噌の味噌汁には、もやしが具として入っている。実はこのもやしも、アルルウネの農場で取れたものだ。

 そして茶碗一杯に盛られた、白く艶やかな白飯。

 以上の三品が定食として、おばちゃんの手元からノア達の手前に並べられた。


「それじゃあ、いただきます」

「いただきます」


 割り箸を手に取り、ノア達はまず真っ先にメインである野菜炒めに手を着けた。


「あっ、このセロリ美味しい! セロリって、もっと癖が強い物だと思ってたのに」

「アルルウネさんの野菜は、人間が気になる野菜のクセを最大限に丸く削ぎ落し、旨味を最大限に引き出せる栽培方法を取っているらしい。だから病みつきになる奴が多いんだよ。だけどこの野菜の虜にされちまったら、他の野菜が食べられなくなっちまうから、ノアちゃんもコイツを頼むのは程々にしときなよ。この野菜……高いからさ」

「き……気をつけないと……」


 一口食べただけでリピートしようと決断しかけたノアだったが、しかしアルビナに釘を刺され、ヤミツキになる寸でのところで避けることができた。

 アルルウネの野菜は別名、悪魔の囁きと呼ばれるほど、その依存性は高かったのだ。


「ちなみにアメリデはその野菜定食に嵌りきっていたよ。アルルウネさんの野菜以外は、野菜じゃないって言い切るくらいにな」

「ああ! だからお父さん、急に家で野菜食べなくなったんですね!」

「まったく……これが良いと決めたら決して揺るがない、頑固な奴だよ」

「それは仕事でもそうだったんですか?」

「まあね。お陰で俺も、バランサーとして大分鍛えられたよ」

「あはは……なんだかすいません……」


 仕事での父親の横暴ぶりを垣間見たような気がしたノアは、透かさずアルビナに詫びたが、しかしアルビナは、「ノアちゃんが謝ることないよ」と笑って見せ、更に続けた。


「それに経営者ってのは、それだけ芯のブレない、流されない人間の方がいいんだよ。会社の行く末を決める人間が、あれやらこれやらで右往左往すると、外からの見栄えも悪くなるし、内部の不安も煽ることになってしまうからね。勿論ワンマンってのは良くないが、何でもかんでも周りの意見に流される風見鶏にもなっちゃいけないってことさ」

「芯のブレない人間ですか……」


 ノアはアルビナの言葉を聞いて、今日の午前中の自分を振り返る。

 幾度と仕事を教えてもらうよう、各部署の担当者に声を掛け回ったのは良かったが、しかしうやむやにされ断られた後、それでも自分の意思を貫き通さず、仕方なく折れてしまっている自分がいたことに気がつき、もっと食いつくくらいの姿勢は持つべきだったと反省した。

 しかしその反省は、ノアの心の底にくすぶっていたある不安を更に煽ることになった。


「……おじさん、やっぱりわたし、社長になっちゃいけなかったのかもしれません。わたしには、あの会社を運営する資格は無かった……そう思うんです」

「フム……果たしてそうかな?」

「えっ……?」


 アメリデの言葉に、ノアは思わず垂れ下がった頭を上げた。


「この会社はアメリデのものだ。アメリデ亡き今、その娘である君にはそれを継承する正当な権利がある。だから間違いなく資格はあるんだ。問題は力量と経験だよ」

「力量と経験……」

「そうだ。だけどそれらは、膨大な時間が無いと着くものではない。ノアちゃん、誰だって最初は初心者さ。アメリデも昔は、そりゃあ経営者としてホントにそれで大丈夫なのかって疑うようなことばかりしてたよ。でもそんな奴が、今は政府から一航路を任される立派な船会社を築けたんだからな。それにアメリデにはない、ノアちゃんには立派な武器があるじゃないか」

「武器……ですか?」

「ああ、君にはあのロイヤルホテルで働いていたという経験があるからな」


 アルビナの言うロイヤルホテルというのは、ボエミア共和国の首都ペタロポリスを中心に、都市圏からリゾート地まで幅広く展開している大手ホテルのことだ。

 ノアはルートボエニアに入社するつい数日前まで、ロイヤルホテルの本店で約二年間コンシェルジュとして務めていた。


「船会社も、昔は運航さえできればそれで良いってもんだったが、今は立派な旅客業だからね。ノアちゃんのホテルでの経験は、今後のルートボエニアを運営していく上で必ず役に立つ。だからおじさんは、ノアちゃんを社長にと株主総会と役員会で押したんだ。アメリデの娘ってだけで上げたワケじゃない。君の能力を俺は評価したんだ……それだけは伝えておくよ」


 思いの丈を伝えたアルビナは、再び野菜定食を食べ進める。その箸の走りは、トボトボと遅めだった。

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