新崎千恵は笑わない

べよべよ

第1話 永劫回帰

 四時間目——保健の授業。


「えー、赤ちゃんは、コウノトリさんが・・・・・・、えー、セックスすると生まれます」

 教壇に立つ女性は、ひどく眠そうに言い放った。


 深井ねむみ。


 保健体育の教師であり、このクラスの担任でもある彼女は、いつも眠そうなおねえさんだ。

 一言で言うならば——自分にとびきり甘く、他人にも甘い、周りをダメにする天才。

「はい、次、教科書40ページをめくったりめくらなかったりしてください。どっちでもいいです」

 ・・・・・・いい加減すぎる。しかし、クラスの誰も聞いてはいない。高二の冬、進学校のこのクラスの生徒は皆、他の受験科目を隠れて勉強している。

 いつも通りにテキトーな教師の、テキトーな授業を、テキトーに聞き流す。

 すると、ひそひそ話が後ろの席から聞こえてきた。

「最近、ここら辺でキチガイが増えてるんだって」

「えー、まじ? こわ・・・・・・」

 この噂は、一ヶ月ほど前から流れ始めた。埼玉県の片田舎にあるこの高校の周りで、頭のおかしい人が増えているという。

 しかし、あくまでも噂だ。登校が禁止されているわけでもない。

 火の無い所に煙は立たないが、根が無くとも花は咲く。

 日常は、何も変わらない。

 ただひたすらに、繰り返す。

 永劫回帰。


 ——その時。

 私の肩が、トントン、と叩かれた。

 顔を上げると、こちらを見下ろす深井先生。目元のひどいくまを除けば美人な顔が、少しムッとしているように見える。

「教卓の目の前で突っ伏して寝るなんて、度胸がありますね。まだ転校してきて一ヶ月でしょう? ——新崎千恵にいざきちえさん」

 ・・・・・・まずい。珍しく先生が怒っている。

「すいません、深井先生。体調が悪かったので休んでいました」

「——許しません。建前はいいから、本音を話してください」

 鋭い眼光。本心を話さないと、許してもらえないらしい。テキトーな先生にも、矜恃はあるということか。


「すいません。先生の話が退屈で、聞くに耐えなかったので寝てました」

 

 私は言った。

 

 先生は笑った。


「許しましょう。私もダメな先生ですが、あなたも相当、ダメな女の子ですね」



 ——————



 ——放課後。


 私はひたすら、ブラブラしていた。

 ただひたすらに、街をねり歩く。

 ぶらぶらと。ぶらぶらと。

 冬の寒さが、制服越しに私を刺す。

 スカートの下から、冷たい風が吹き込んでくる。

 すでに日は落ち、薄暗い闇が私を包む。

 二時間ほどが経っただろうか。

 ただの一軒家が立ち並ぶ住宅街。

 両端を民家の塀に囲まれた、狭い路地。

 そのなかごろで、なんとなく。

 上を見上げた瞬間——


 ——屋根から、怪物が落ちてきた。


「アアアアアアアアアアアッッ!!!!」

 

 激突。


 私はとんでもない衝撃をもって地面に叩きつけられた。

 頭は地面に強く打ち付けられ、腹には怪物の膝がめり込む。

「アアアアアアアッッ!!!!」

 そして、私はそのまま、その怪物に馬乗りにされた。


 衝撃から覚め、ゆっくり目を開けると——

 

 ——怪物ではなく、筋肉だった。


 正確には、凄まじい筋肉に包まれた巨大な男だった。白のタンクトップを、はち切れんばかりの筋肉が押し上げている。歯は薄闇の中で白く輝き、男らしい濃い顔立ちを照らしていた。年齢は、40歳くらいだろうか。


 男らしい——男。

 漢の中の——漢。


「——あ? 生きてたのか。じゃ、生きたまま犯すとするか」

 男が喋った。低く、地獄の底から響くような声。

「私を——強姦するってことですか?」

「ああ、そうだ。お前みたいな美人はそそられるな」

 言いながら、男は私のブレザーを剥ぎ取り、シャツを引き裂いた。

 脱出しようとしても、化物じみた力で押さえつけられていて逃げれない。

「悪いのは、こんな暗くて危ない道を通ったお前じゃないし——もちろん俺でもない。恨むんじゃないぞ」

 よく見ると男は、プルプルと小刻みに震えていた。目は血走り、口から溢れた涎が無精髭をつたって私の顔に垂れ落ちてくる。

 しかし。

 明らかに悪い男が、責任を否定するというのならば。


「じゃあ、誰が悪いんですか?」


 誰が悪いのか。


 何を恨めばいいのか。


 私の問いに、男は。


「そんなの決まってるだろ!! だ!!

 をもたらした俺の能力のせいで、俺はセックスができなかったんだ!!」


 と、答えた。


 化物じみた外見、地獄から響くような声。屋根に登り、狙った人間に襲いかかる身体能力。

 なるほど、こんな人間に、恋愛なんてできるはずがない。


「——みーつけた」


「は? 今なんて——」


 私のブラジャーに手をかけていた男の腕を、腰に忍ばせていたナイフで思いっきり突き刺す。


「ああああああああああああああ!!!?」


 吹き出る血を抑え、飛び退る男。

 私はそのナイフを地面に突き立て、唱える。


「《質量因》——コンクリート。《形相因》——槍。《起動因》——槍術士」


「オマエええええエエ!!!! 何ぶつぶつ言ってんだよおおおオオオ!! 痛えじゃねえかああああアアア!!!?」


「《目的因》——この男を、逮捕する」


 ナイフが、蒼色に光り輝く。

 そして、現れたのは——


「抜槍——《蒼天の槍》」


 ——コンクリートでできた、巨大な槍だった。


「な、なんだそれは!? 今、何をした!!??」


 言葉など、不要。


 驚く男に向かって、私は全身全霊をもって槍を投擲する。


 ゴオオオオオオオオオオッッ


 ——槍は、一瞬で距離を切り裂いていく。


 男は避けようとするが、狭い一本道に逃げ場などなく。


「ガハァッッ!!??」


 三メートルを超える大槍は、男の腹を貫き、地面に突き立った。


 ——。


 地面に大槍で縫い止められた、筋肉の塊。

 私はゆっくりと近づいていき、腰から手錠を取り出す。

 そして、男に手錠をかけた。

「——能力者、確保」

 すると、男の体が光を放ち、足の先から消え始めた。

 転送。

 ——能力者専用の牢獄に、送られていく。

 薄れていく。薄れていく。

 男らしさの果てに、女に襲い掛かった男が。

 漢らしさの果てに、正気を失った男が。

 しかし。

 消える寸前、男は言った。


「あたしも、あなたみたいな——」


 カランッ


 槍から戻ったナイフが、地面に落ちて響いた。


 は、何を言いたかったんだろうか。



 ——————



 翌日。


「ご苦労だったな、新崎」


 東京都にある秘密の地下室。

 私は、スーツを着た壮年の男性が座る前に立っていた。

「ありがとうございます。須藤警部」

 私が私服のまま敬礼をすると、須藤警部は満足そうに頷いた。

 

 須藤照雄すどうてるお


 能力者専門の秘密部隊を取り仕切るトップであり、私の上司。その場にある材料でどんな武器にでもなり、その道を極めた者として扱える、対能力者専用ナイフの開発者でもある。

「しかし、よく能力者を見つけたな。大変だっただろう?」

「・・・・・・人気ひとけのない場所をぶらついていただけです。あの街は、どこにでも能力者が溢れていますから」

 私の答えに、須藤警部はうなった。

「なるほど、さすが関東支部最強と言ったところか。やはり——君をあの高校に派遣して正解だったな。今の能力者の増殖は、あの高校を中心にして起きている。原因究明に努めてくれ」

「最善を尽くします」

「うむ」

 ——そして、少しの沈黙。

 最後に須藤警部は、私の目を真っ直ぐに見て言った。

「能力者は、今も大勢この社会に潜んでいる。それを秘密裏に逮捕するのが我々の仕事だ。能力者は、、精神に異常をきたして重大事件を起こす。常に気を張ることを忘れずにな」

「・・・・・・分かっています」


 

 報告を終え、部屋を出ようとする直前。

「おい、新崎」

 私は振り向く。

「たまには笑えよ」

「はい」

 私は笑わずに、部屋を立ち去った。


 ——————


 私の自宅は、埼玉県にある。

 秘密の地下室を出ると、外はもう真っ暗だった。

 電車に乗って、乗り換え、歩き、コンビニに寄り、おでんを買って、ふうふう食べながら歩く。

 道を歩きながら、猫とすれ違い、可愛いなあなんて思う。

 イルミネーションを出している家を見て、気が早いなあなんて考える。

 そしてたどり着いたのは、三階建てのぼろアパート。

 階段を登って、二階へ。

 外廊下を歩き、一番端の部屋に行き。

 鍵を開け、玄関で靴を脱ぎ。

 リビングに入ると。

 

 入ると。


 すると。

 

 そこには。


 

 血塗れの死体が、バラバラになって転がっていた。

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