曠野(こうや)の月と俘馘(ふかく)のネコ

TaqAkiyama0011

第1話 ニャンの一の一 冥途の途の途

此処ここはここ れ有明に もはやこの

 わが心得こころえの なしとは


この月を 幾昨夜こぞの月とは 眺めけむ

 光芒ひかりも影も 変わりぬるとは


ひとり居る 川面かわもゆる 月影の

 底翳そこひに白く 沈みゆくとも


 ネコが捕捉ほそくできるこの世界はがいしてヒトの言う猫の額のようなもので、ヒト同様、ネコがあおぎ見る小さな月を含めてもそう広くはない。おまけに空がしらめけば、このネコはこの場を去らねばならない。

母をも知らぬれニャンは、いつだかの茫漠ぼうばくたる川のほとりで立ち待ちながらにつるぎの切っ先のごとき三日月を見るともなく斯様かよう感得かんとくした。

しからばと、山端やまはより現れでて、さざなみに千々ちぢ切られるこれらの神々こうごうしくも事々ことごとしい月々の光の粒からさえもうまく逃れて何処どこぞへと、ここでの単個たんこなる我こそは無明無闇むみょうむやみの境地へと雲隠くもがくれすべきか。

左様さようかんじ、ひとまずをもってこれらの仰々ぎょうぎょうしい月明かりのもとから音も匂いもせゆく眠りのふちのような暗闇へと立ち去るべきかと。

ともかくもきたるべき日の光はけねばなるまい。

こうして見当もつかぬままに是非ぜひもなく、とぼとぼと途方を定めずに歩むほかはなかろう。

 いつからともなく哀切あいせつ薄羽うすばにじませたかのごと蜉蝣かげろうかたわらを遠慮がちについてくる。

話しかけたものかどうか、それを気にかけつつ見遣みやれば、此奴こやつ傍目はためにもあわれな同類にだまったまま寄りってくれている。

平らかなる大地を瀬渡せわたりよろしく、不意ならずとも小石に足を取られそうになるものの、ようやくの事に転びもせずたおれもせず歩んでいるありさま。

辿たどり着くべき冥途めいどに向かうに、ただ歩くだけのことが何とも一大事。

この道行きにあっては、我が老いれは敗残兵はいざんへいよろしく明日をも知れぬ身の、今日一日の目途めどをすら知ることなく歩みを進めねばならない。

不意をいて頬髯ほおひげそよがす夜気やきにしてもこれにおののかずにはおれぬ。

しかして心のぞうやいばごときは晴天に霹靂へきれきするが常にして、不断にネコを卒倒そっとうに至らしむる。

まさしく今日をも知れぬ身。

それにしても、生きているのか死んでいるのか。

嗚呼ああ、いやはや何とも如何いかなる朦朧もうろうたりや。

そも従容しょうようとして死地しちへの逍遥しょうようたすとは何のための茶番ちゃばんなりや。

兆域ちょういきを目指してのくなる無為とはさて何ぞや。

さてこそはかんずべき我が痼疾こしつならずや。


 過日かじつ黄昏たそがれ時の白日夢はくじつむに映った景色けしきえは何ゆえのものかは到底とうていはんずるには及ばず。

およそこの世のものとは思えぬ極彩ごくさいの、ありありとして生々しいことこの上ない。

すなわち、首括くくり坂のしまいなる、由緒ゆいしょありそうなもりの奥のやしろの裏庭で、にも怪しき髑髏どくろよろしき中原ちゅうげん混沌こんとん坊主のような、のっぺりとした物ののさまをしたるものが奇妙な舞を舞い踊り、そのまわりを言い得ぬほど美しいいろどりを衣に織りなした奇特きとくな者どもがはやし立てるように取り巻きひしめいているのだ。

この物陰ものかげに身をひそめてかんずるほどに止め置いたものか、それともあの輪に入って一緒に踊ったものか、或いは何事かとたたかったものかと、それを判じる最中に目が覚めた。

斯様かように夢でもうつつでもない、夢幻むげんででもあったろうか、くも奇天烈きてれつなるものを看取かんしゅするにはゆえもあろう。

まぼろしを映す毒饅頭どくまんじゅうでも口にしたのか、あるいは日暮れ前の薄気味うすきみそぞろ漂う、に好ましからざる山吹やまぶきもりでの午睡ごすいの為すべきわざであったものか。

いずれ糞掃衣ふんぞうえよろしき、襤褸ぼろ切れまといのこの老いれ、夢にせよ幻にせよくらましに目舞めまうほどに賑やかなる輪に入るに似つかわしからずと。


老いれて 目にほの青く さやけくも

 夢をうつつと たれぞ知るらむ


思はする 忌々いまいまし が心

 あかおもいぞ みかづき


ネコごとき ヒト如きとは 言ふなか

 を食う身にて どころぞなき


 今を去る一千年ほどの昔、る満月の夏のよいにはまだ浅いこく万太郎爺まんたろうじいはんじ物に参じたが、そこはわば一つの里程りてい終焉しゅうえん、言わずもがなの命運めいうんであったか。

皆が集まるその場所で見るに不明にしてことわり不尽ふじんながら、嗚呼ああ身も世もない、事もあろうに私の追放が決定したのだ。

このヒトの世にもとよりネコ如きに応分おうぶんの身も世もあろう筈などないが、薄紅うすべにの花弁を甘い露に浮かべた死のさか月を飲み干した。

 そこからが何ともはるかで果てのない流浪るろうネコの旅路ではあった。

いずれにせよ老兵ろうへい死なず、消えずともかくれ去るのみ。

日々の食事の事欠ことかさまについては言うに及ばず、身にたしなみはなく、風呂などはもっての外、宿無しの襤褸纏ぼろまといの有様である。

浮浪雲はぐれネコには彷徨さまよいあぐねた挙句あげく野垂のたれ死にこそが似つかわしい。

無法むほうきわまる我が世を謳歌おうかしたものであってみれば、今更いまさら何をか言わん。

水桶みずおけ酒樽さかだるに落ちて絶命ぜつめいできるなんぞ、夢のまた夢。

はがねかたまりにでもね飛ばされ、無惨むざんにも無様ぶざまなる骸躯むくろさらすのみ。

かば棺桶かんおけなぞもっての外、野晒のざらしの、欲を張ってこれを言うならば木槿むくげ小枝さえかかる木蔭こかげにほど近い草叢くさむらにそっと置いてほしいが、それがかなわぬのならそれもまた結構けっこう

ちた木偶でくに身をやつした者共の命を拾って、それらの御霊みたまを喰らうのを生業なりわいとしたことへの自嘲じちょうでも、それらを喰らったことへの自虐じぎゃくの表現でもない。

 うそぶくに、ほかでもないこの我が脳髄のうずい大鉈おおなたねられはじけ散る一瞬息いちしゅんそく一刹那いちせつな一清浄いちせいじょう窮侭きゅうじん 観照かんしょう共時きょうじにわたる、あらゆる感覚の寂滅じゃくめつ如何いかにかと、時にそう思う。

即ち、このネコ者がこれまで他者に向けて行いきたったことが一転我が身に起こる時、それはすこぶるつきの愉悦ゆえつとさえ懸隔けんかくを為す霊域れいいきのものであろうかと、はるかにこれを思いるのだ。

この、流れの如き時というものの中を彷徨ほうこうする御霊みたま逡巡しゅんじゅん、或いはすでにして安らかなる様をもっ流離さすらいつつある御霊の模糊もこたる迷いをち切るべく、処刑の執行しっこう者を気取ったこのネコなぞ、以為おもへらく幾度死にのぞんでもその都度つどに死にぞこない、ついに死に切れるという事がなかろう。

 とは言え傍目はためにもネコ懺悔ざんげなど、阿呆あほらしくて格好かっこうがつかぬ。

しかしかして我がネコ如きにして、仮にひとたびきりの死にざまであってみれば、これ徹底して甚振いたぶって頂いて結構、有難くこそ頂戴ちょうだいいたそう。

大勢の仲間のむくろはひとつ残らずこの両の目蓋まぶたに焼き付いている。或いは甚振いたぶられるのはネコの宿痾しゅくあであるのかも知れぬ。

夜陰やいんまぎれる所謂いわゆるうろつきが本業なりわいとなってからというもの、夜は愈々いよいよ眠りを浅くし、昼行燈ひるあんどんは日がな消えつつもくすぶっては物陰ものかげ足下そっかを照らし、物想ものおもわぬ日々が堆積たいせきしていく事となる。

散りつつ降り積む山桜の花弁たちだけはむしり取られたる我が毛の如くにはあらず、自若じじゃくとしてその様に、あたかも何事もなかったかのように冥途めいどの暗闇に消え失せよと目配せしてくれているかのようである。


むくろをば 背負しょいては来たり 幾山河いくさんが

 星降るぞなき しも踏むでなく


星明り 穣々じょうじょうたりや 幾無条いくすじ

 くうひらかず 虚無こむにも閉じず


我こそは ちりあくたの あわせなれ

 れと薄墨うすずみ うずたかく積む

 

不可視ふかしてふ やみ漆黒しっこくに沈み居る

 夜見やみ一顧いっこの  帚木ははきぎ


星影に 白々しらじらとして 月光がっこう

 死を累々るいるいと 陰窩かさとは成せり


頭蓋かしらぶた けてさらさむ 寒氷かんごおり

 そ喰わざらむ 脳髄のうずい甘し


洒落首されこうべ 転がりつる 月縁つきべり

 魂魄こんぱく合わせ 粗茶そちゃすすらん


 





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