第4幕 『白鳥の湖』のオディールの場合 ④

「ジークフリート様。貴方は私の命の恩人です。そのカゴの果実だけのお礼では心もとないので・・・もしよろしければ・・城に参りませんか?そこでおもてなしをさせて頂きたいのですが・・・。」


オディールはなるべくジークフリートと視線が合わないように言った。すると王子は見る見るうちに満面の笑顔になると言った。


「ええ、他の人のお誘いなら断る所ですが、他ならぬオディールの誘いなら・・喜んで受けます。」


「オディール・・・・。」


そう呼ばれるたびにオディールの胸には熱いものが込み上げて来る。

オディールは自分の名を口の中で小さく呟くと、ジークフリートはハッとなった。


「す、すみません!よりによって、初めてお会いしたばかりの女性に対して名前を呼び捨てにしてしまって・・・。」


「いいえ・・・。どうぞジークフリート様のお好きなように呼んで下さい。」


笑みを浮かべてジークフリートを見上げると、彼もまたオディールを優しい瞳で見つめていた。自分に向けられる笑みを見ているとオディールの決心がにぶりそうになってしまう。このままオデットと引き離し、2人で何処かへ逃げられたならと一瞬恐ろしい考えが脳裏をよぎった。


(駄目よ・・・!それだけは・・・。大好きなお父様を助けないと・・・例え再びこの世界で私が殺されようとも、お父様だけは・・絶対にお守りしなければ・・!)


「どうしましたか?オディール。」


ジークフリートはオディールの変化に気付き、声を掛けて来た。


「い、いえ。何でもありません。では城へ行きましょうか?」


「それならオディール、私の乗って来た馬に乗って城まで行きましょう。」


ジークフリートは手綱を引いて、馬をつれてくると、軽々とオディールを抱き上げ、馬に乗せると、すぐに自分もヒラリと馬に跨った。


「それでは行きましょう。」


「はい。」


ジークフリートの馬に乗せられ、オディールは彼の身体に自分の身を預けて乗っていると、過去の記憶が蘇って来る。あの当時・・・オディールはジークフリートの心臓の鼓動を聞くのが好きだった。規則正しく波打つ心音はオディールの心に安らぎを与えてくれていた。その記憶が懐かしく思い、気付けばオディールは彼の胸に身体を預けていた—。



一方のジークフリートは自分の心に起きた変化に戸惑っていた。

初めて会った時にはもう心臓を鷲掴みにされていた。まるでこの世に生まれてくる前から運命で結ばれた相手では無いかと信じて疑わなかった。

恋は・・・一瞬で落ちるものなのだと、この時ジークフリートは初めて理解した。


(何故だろう・・・初めて会ったばかりなのに、今腕の中にいるオディールが愛しくて堪らない。出来れば今すぐ力強く抱きしめて愛していると囁きたい衝動にかれらてきてしまう・・・。私は一体・・・どうしてしまったのだろう・・・?)


 お互いの秘めたる思いを胸に抱えつつ、こうしてかつての恋人同士は再び出会い、オデットの待つ城へと向かった―。




「はあ~全く毎日が退屈で堪らないわ。お父様は未だに私に爵位を継がせないなんて・・・。」


オデットはマニキュアを塗りながら溜息をついた。するとオデットに寝返った卑しいメイドがノックもせずに飛び込んできた。


「た、大変でございますっ!オデット様っ!」


「何よぉ・・・騒がしいわね・・・。」


オデットは真っ赤に塗りたくったマニュキュアを乾かすために息を吹きかけながら振り向いた。


「オ・・・オディール様が・・・城へ戻られたのですが・・・・。」


「別にいいんじゃないのぉ?オディールだってこの城に住んでるんだから。それに・・クックッ・・・あの子ったらすっかり卑屈になって私の顔色ばかり窺って・・ばっかみたい。」


「そ、そのオディール様が、だ・男性と・・・しかも見目麗しい殿方と馬に乗って城にお戻りになったのでございますっ!」


するとそれを聞いたオデットの肩がピクリと動き、ゆっくりとメイドを振り替えると言った。


「今の話は・・・本当なの・・・?」




「オディールッ!今迄何処へ行っていたの?すごく心配したのよっ?!」


一番高級なドレスにアクセサリー、そして化粧を施した装いでオデットは階段を駆け下りて来た。そしてハアハアと息を切らしながら、オディールをガバッと抱きしめると耳元で囁いた。


「オディール・・・その男・・・私によこしなさい・・・。」


それはとても冷たく恐ろしい声だった。オディールはその言葉にピクリと反応したが、こうなる事は予想済みだった―。


 ほんの小さな子供の頃からオデットはオディールの物は何でも欲しがり、当然の如く奪って行ったのだ。ただ、ジークフリートの場合だけは流石のオディールも引かなかった。しかし、それが原因でオディールは白鳥の姿に変えられ、父であるロットバルトはレダから貰った封印の指輪でオデットの魔力を封印しようとするも失敗し、魔王の濡れ衣を着せられた。

オデットはジークフリートの愛を得ようとしたが、彼は頑なに拒み、オディールだけを愛すると宣言。恋に狂ったオデットはとうとう恐ろしい黒魔法を行使した。それは相手と自分の姿を交換するという闇の黒魔法。

これによりオディールはオデットの姿になり、目の前で父・ロットバルを愛する恋人に殺され、自らも殺される・・・。嫌と言う程繰り返されて来た、全く救われる事の無い悲惨な末路を辿って来たのだ。


(だけど・・・今、ここで私がオデットにジークフリート様を譲れば・・・。)


幸い2人は出会ったばかり。恋も何も始まってはいない。例え過去の記憶が残っていても、覚えているのはオディールだけ。ジークフリートは何も知らないのだ。

だから・・・互いを愛する前に・・ここで全てを断ち切れば・・・。


オディールは心を殺して返事をした。


「ええ。どうぞ貴女の好きなようにして。この方は命の恩人だから城に招いただけですもの。」


するとそれを聞いたオデットは口元に笑みを浮かべると言った。


「随分聞き分けがいいのねえ・・そういうオディールは好きよ。それなら貴女は今邪魔だから何処かへ消えてよ。」


「・・・分かったわ。」


オディールは頷くと、2人は離れた。すると早速オデットがジークフリートの前に進み出ると言った。


「初めまして。私はオディールの双子の妹、オデットと申します。是非ともこの私に貴方をエスコートさせて頂けますか?」


飛び切りの笑顔でオデットは言うが、ジークフリートは困惑した顔でオディールを見た。


「あ・・あの、オディールは・・?」


すると一瞬、憎しみを込めた目でオデットはオディールを睨み付けた。その恐ろい瞳はオディールを恐怖に叩き落すには十分であった。


「あ・・あの、私は用事がありますので、これで失礼致します。案内はオデットにお願いします。」


そう言い残すと、足早にジークフリートの側を通り過ぎてた。そのままオディールは城を飛び出し、自分が一番落ち着ける場所・・・湖のほとりに建てられた小屋へと向かった。


(駄目・・私・・・。過去の私がジークフリート様を愛しすぎているから・・未だに未練が残されて・・断ち切れない・・この世界で全てを終わらせてお父様を助けなければならないのに・・。心が痛くてたまらない・・!)


オディールはあふれる涙をぬぐいながら、小屋に入って鍵をかけるとベッドに顔を埋めて一人しずかに泣きじゃくった。

どの位泣いていただろうか・・・。涙も枯れてボンヤリとベッドに寝そべっているとドアを激しく叩く音が聞こえて来た。


(この小屋を尋ねて来るなんて・・・誰かしら・・。)


すると外で声が聞こえた。


「オディールッ!そこにいるのでしょうッ?!どうか・・どうか開けてくださいっ!」


それは・・・愛しいジークフリートの声だった。


「な・・何故彼がここに・・?」


オディールは震える足でドアに近付き、鍵を開けるとすぐにドアは開かれた。


「あ・・・。」


そこに立っていたのはジークフリートだった。そして彼は切なげな瞳でオディールを見つめると、無言で唇を強く重ねて来た。そして口付けをしながらオディールを抱き上げ、そのまま2人はベッドの上に倒れ込んだ。


「オディール・・・。」


ジークフリートは愛し気な目でオディールを見つめるとオディールのドレスに手をかけた。


愛する2人の前に、言葉はもう・・・いらなかった—。









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