第4幕 『白鳥の湖』のオディールの場合 ②

 朝食の席―


 長テーブルの向かい合わせにオディールとオデットは座っている。

上座に座るのは2人の父、ロッドバルト伯爵である。そして部屋の隅には2人のメイドと2人のフットマンが控えている。

 ロッドバルト伯爵は湖を眼下に見下ろす美しい城の城主である。ロッドバルト伯爵はは精悍な顔つきで黒い髪が特徴的な青年である。その上まだ38歳という若さなのに、18歳になるオディールとオデットの父である。とても子持ちの男性には見えなかった。


 彼の妻であり、双子の娘たちの母であるレダはオディールに生き写しの姿をしていた。彼女は生まれつき病弱で、18歳の時にロッドバルト伯爵の妻となり、20歳の時にオディールとオデットの双子の姉妹を出産した。しかし、元々病弱の上に、恐ろしいほどの難産で命懸けの出産を果たしたが、その後病の床に伏し、3年後にとうとう帰らぬ人となってしまった。

ロットバルトはレダを心から愛していたので、その嘆く姿はただ事では無かった。

若干23歳で妻を無くしたロットバルトに友人や親族たちは再婚をするように進言したが、ロットバルトは決して首を縦に振る事は無かった。

妻を亡くした彼に言い寄る女性達は数多いたが、ロットバルは誰も相手する事が無く、15年間独り身を通し続けていた。


 彼は妻の残した忘れ形見であるオディールとオデットを平等に愛して、育ててきたが・・・・オディールとオデットはまるで正反対の存在であった。例えるなら、金の髪のオディールは太陽、そして黒髪のオデットはまるで闇の様な存在だと周囲から揶揄され、徐々にオデットの心は本当の闇に侵されていったのであった・・・。


 

 賑やかであるはずの食卓・・・。しかし、オディールはこの時間が一番苦痛に感じていた。

3人で食事をしているにも関わらず、部屋の中はしんと静まり返り、口を開く者はいない。豪華な食事を前にカチャカチャとフォークとナイフの音だけが響きわたる。

ピンと張り詰めた空気がその場に流れていた。しかし、何故このような雰囲気になっているかと言うと、全てはオデットのせいであった。


オデットがナイフでローストビーフを切り分けながら口を開いた。


「はあ・・・・私、また昨日令嬢達のお茶会に参加したら、クロウちゃんと呼ばれてしまったわ。」


その言葉に反応して、ロットバルトとオディールはピクリと眉をあげる。


「オデット・・・。またその話をするのかい?そんな事は気にする必要はないじゃないか。大体、人が嫌がるような台詞を言う令嬢達は真の友人とは言えないだろう?彼女達とはもう会わなければいいじゃないか?」


ロットバルトは穏やかな声で娘を宥めるように言う。するとオデットがガチャンと乱暴に皿の上にフォークを投げ落とした。

それを目にしたオディールの肩が飛び跳ね、怯えた目つきでオデットを見つめた。


他の使用人達も不安げに目を合わせ、固唾を飲んでその様子を見まもる。恐らくこの中の誰もが < ああ、また始まった・・・。 > そう思ったに違いない。


「お父様・・・一体誰のせいで私がこんな姿になって産まれてきたと思っているの・・?」


怖ろしい形相でロットバルトを睨み付けるオデットの黒い瞳が一瞬光り輝いた。


「う・・・っ!」


途端にロットバルトの顔が苦痛に歪む。そして首を押さえて荒い呼吸が始まった。


< 出たっ!オデット様の恐ろしい魔力だっ! >


使用人達の誰もが思った。


「オ・・オデット・・・や、やめて・・・くれ・・・。」


ロットバルは青い顔をして、オデットに手を伸ばして懇願する。


「おねがいっ!オデット!やめて!お父様が死んでしまうわっ!」


オディールが叫ぶと、今度はオデットが視線を彼女に向ける。


「うるさいわね・・オディール・・貴女もお父様と同じ目に遭いたいのかしら?」


途端にオデットの目が怪しく光った。するとオデットの周りの空気が突如として無くなった。


「!」


自分の身に起こった異変にオディールはすぐに気が付いた。たった今まで、普通に空気を吸う事が出来ていたのに、突如としてその空気がきえてしまったのだ。幾ら息を吸い込んでも空気を吸う事が出来ない。


「あ・・・。」


(く、苦しい・・息が・・。)


オディールはテーブルの上に突っ伏した。


「やめるんだ!オデット!オディールが・・・オディールが死んでしまうっ!!」


ロットバルトの悲痛な叫び声が意識の遠のきかけたオディールの耳に入って来る。

実はオデットは生まれつき魔力を持って生まれて来たのだ。しかしロットバルトにしろ、オディールにしろ、この2人は魔力を持ってはいなかった。


そう、オデットは・・・黒魔法の使い手だったのである—。


 21歳で亡くなったレダは強い魔力を持っていた。

オデットは幼い頃から、自分は普通の人間とは違うと言う事を認識していた。そしてその魔力を自由に使いこなせるようになりたいと願っていた。

母、レダが代々強い魔力をその身に宿した一族であることは、母が生前書き残した日記で読んだので知っている。さらに母レダの日記にはある秘密が隠されていたのだ。魔力を持つ者だけが読み事の出来る本を持ちこんだことが記されていた。

オデットはその本を12歳の時に解読し、城の図書館の隠し扉の中にレダが持ち込んだ本を発見した。

そしてオデットはこの世には『黒魔法』と呼ばれる恐ろしい魔法が存在する事を知った―。


 今オディールを苦しめている魔法は、相手の周囲から空気を消しさる魔法である。

使い方によっては死に至らしめる事が出来るが、オデットはそんな考えは毛頭ない。

これは相手を死の間際まで追い詰め、屈服させる手段の一つでしかない。


(だって・・どうせ死に際を見るなら・・血を流し、苦しみながら死んでいく姿を見たいもの・・・。)


 オデットは美しい顔を醜く歪めた笑みを浮かべながらオディールの苦しむ姿を見ている。

何故、オデットがこのような残虐な性格なのか・・。それは彼女自身が使う黒魔法が全ての元凶であった。

黒魔法を行使するものは・・・その心も闇でおおわれてしまう。それ故、レダは黒魔法の本を隠していたのに、オデットが見つけてしまったのであった。



(・・苦しい・・今度こそ私は死ぬのかしら・・・。)


その時―


「いい加減にするのだっ!オデットッ!!」


「キャアッ!!」


父ロットバルトの叫び声の直後にオデットの悲鳴が続き、ダンッ!と何か重い物が床の上に落ちた音が響き渡った。


「オディール!しっかりしろ!無事かっ?!」


父ロッドバルトがテーブルに突っ伏していたオディールを助け起こした。


「あ・・・。」


かすれ声と共に、オディールは激しく咳き込み、思い切り深呼吸をすると新鮮な空気が肺の中に流れ込んでくる。肺が空気で満たされたオディールの目に父が心配そうな目で覗き込んでいる姿が映った。


「お・・お父様・・・?オデットは・・?」


「あ、ああ。オデットは今、眠っているよ。この指輪のお陰でね?」


見るとそこには床に倒れて眠り込んでいるオデットの姿があった。


ロットバルトは左手の薬指に付けられた指輪を見せながら言った。


「あ・・これは・・・あの指輪・・・ですね・・?」


オディールはそっと微笑みながら言う。ロットバルトが付けている指輪はレダからの贈り物で、相手を眠らせる効果が宿っているのだ。そしてその効力を発揮できるのはロットバルトのみで、この指輪の秘密を知っているのはオディールとロットバルトだけであった。


「それにしても・・どんどんオデットの蛮行が酷くなってくる・・。早めにオデットに縁組を見つけた方が良さそうだ・・・。」


ロットバルトは言うが、オディールはそうは思わなかった。


(だって・・・お父様・・・。オデットが好きになる男性はやがて私の恋人になる男性なんですよ・・・?)


そしてオディールは身体を小刻みに震わせるのだった—。





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