第2幕 『人魚姫』の王子の隣国に住む姫の場合 10

「あの・・いらっしゃいますか?今鍵を開けますね・・・。」


鍵穴に鍵を差し込んでガチャリと回すと、ヴァネッサは牢屋の扉を開けた。

石造りの部屋にギイイイッとさび付いた音が響き渡る。

ヴァネッサが牢屋の中に入ると、人の動く気配が感じられた。薄暗い牢屋の中にボンヤリと人の影が見える。その人物は備え付けの粗末な木のベッドの上に腰かけていたが、ヴァネッサが近付いてくると、立ち上がって突然強くヴァネッサを抱きしめて来た。


「あ、あの・・・。」


あまりの突然の出来事にヴァネッサは戸惑ってしまったが、その青年は無言のまま、ますます強く抱きしめて来る。それなのに不思議な事にヴァネッサはちっともそれが嫌では無かった。


(何故・・・?王子にはあれ程恐怖を感じたのに、何故初めて会ったこの男性の事は少しも怖いと感じないの・・・?)


気付けば、ヴァネッサも青年の胸に顔を埋め、背中に腕を回して抱き付いていた。

そしてやがて青年はヴァネッサを抱きしめる腕の力を弱めると、ヴァネッサの顎を摘まんで上を向かせた。

青年のアクアマリンの瞳にはヴァネッサが映っている。やがて青年の顔が徐々に近付いてくる。ヴァネッサは瞳を閉じると、青年は口付けて来た―。

強く押し付けられる唇に絡みつく舌・・・甘い口付けに翻弄されながらヴァネッサは頭がぼんやりして来た。


(どうして・・・私は会ったばかりの男性とこんな事をしているの・・?私はひょっとして・・はしたない女だったの・・・?)


やがて青年はヴァネッサから唇を離すと、じっと切なげな瞳で彼女を見つめ、何かを話したが、そこから声は聞こえてこない。


「え・・?今何と仰ったのですか?」


ヴァネッサが問いかけると青年は悲しそうに眉を伏せた


「貴方の仰る言葉が私には分かりませんが・・・安心して下さいね。今貴方をここから出して差し上げますから。」


ヴァネッサの言葉に青年は嬉しそうに笑みを浮かべると、ギュッと手を繋いできた。


「・・・」


ヴァネッサは戸惑って青年を見上げたが、じっとヴァネッサを見つめるので、その手を払う事は出来なかった。

そこで2人は手を繋いで階段を上ると、ヴァネッサは城の裏口から青年を連れて外へと出た。



 青年が倒れていた海まで連れて行くとヴァネッサは言った。


「ここまで来ればもう大丈夫です。貴方が何処から来たのかは分かりませんが、どうぞ気を付けてお帰り下さい。」


そして頭を下げ、背を向けて去ろうとすると突然背後から青年がヴァネッサを抱きしめて来た。


「あ、あの・・・?」


ヴァネッサは戸惑って声をかけると、突然頭の中に声が響いて来た。


<いやだ・・・行かないで。離れたくない・・・。>


「え?」


ヴァネッサは振り返ると青年を見上げた。


「今・・何か話しかけましたか?」


すると青年は目を丸くすると口を開いた。しかし、その口から言葉は漏れてくる事は無かったが、頭の中に声が再び響いて来た。


<ヴァネッサ・・・もしかすると・・・私の声が聞こえるの・・?>


「え?な、何故・・・私の名前を・・・?」


すると青年はこれ以上無い位笑顔を見せると、再びヴァネッサを強く抱きしめ、唇を重ねて来た。


「んっ・・・・!」


<ヴァネッサ・・・ヴァネッサ・・・・>


青年のヴァネッサを呼ぶ声が頭の中に響いてくる。


(あ・・・どうして・・私は彼のキスがいやじゃないの・・・?どうして・・・受け入れているの・・?)


気付けば、ヴァネッサは青年の首に腕を回し、自分から求めていた—。



 結局、青年はヴァネッサから離れるのを嫌がり、城に連れ帰る事にした。最もヴァネッサ自身もこの青年と離れがたかったので、2人で手を繋いで城へと帰って来た。




「ならぬ!ヴァネッサよ。そのような得体の知れない若者を城に入れる事は許さんぞ?大体そこにいるルーカス王子から聞いたのだが、その若者は裸で海に倒れており、しかもヴァネッサに抱き付いてきたと言うでは無いかっ!」


玉座に座る父はヴァネッサを叱責した。

そしてその隣に立つのはルーカス王子である。ルーカス王子はヴァネッサの隣に立つ青年をじっと見つめているが、その視線には敵意が込められている。


「そんな、お父様・・・。」


ヴァネッサはドレスをギュッと握りしめたまま俯いた。


「それよりもヴァネッサよ。ルーカス王子はお前を后に迎えたいと話しておられる。どうだ?こんな良い縁談は無いだろう?」


父に言われ、ヴァネッサは怯えたような目でルーカスを見た。すると彼は笑みを浮かべると言った。


「ヴァネッサ・・・貴女を一生大切にしますよ?」


「!」


しかし、ヴァネッサは無理やり王子に抱かれた記憶が蘇り、怖くなって青年の背後に隠れた。途端に王子の顔が嫉妬で醜く歪む。

一方の青年は黙ってルーカスをにらむと、腰に下げていた布袋から大きな金の固まりを取り出した。


「おおっ!そ、それは・・・?!」


眩く光り輝く金の固まりを見た国王は驚いた。勿論その場に居合わせた者達も同様だ。


「そ・・・そなたは一体何者なのだ・・?」


国王は声を震わせて青年をみつめると、さらに袋に手を入れ、今度は手のひらサイズの真珠を取り出して、床の上に無言で置いた。


「こ・・これをくれると申すのか・・・?」


すると黙って頷くと青年は隣に立っていたヴァネッサを抱き寄せた。


「あ、あの・・?」


ヴァネッサは戸惑いながら青年を見上げると、彼はにっこりと優しく微笑む。

青年の意図を感じ取ったのか国王は尋ねた。


「もしや・・・そなたの望みは・・・ヴァネッサなのか?」


その問いに青年は無言で頷く。


「おお、そうか?それで・・ヴァネッサはどうなのだ?」


「え・・?わ、私は・・・。」


ヴァネッサが戸惑いながら青年を見上げると、ルーカス王子が声を上げた。


「お待ちくださいっ!陛下っ!話が違うではありませんかっ!陛下は私に姫をくださると約束されましたよね?!」


すると国王は言った。


「確かに言いはしたが・・・それは全てヴァネッサ次第だ。ヴァネッサがそなたを受け入れるのであれば、婚姻を許すが・・・どうなのだ?我が娘よ?」


「わ・・・私は・・・。」


震えながらヴァネッサはルーカス王子を見た。今のヴァネッサにはルーカスは飢えた野獣のような男にしか見えない。


(怖い・・・!私は・・・王子が怖い・・っ!)


「・・・・。」


ヴァネッサはますます青年にしがみ付き、身体を震わせた。


「ヴァネッサ・・ッ!」


ルーカスは傷付いた表情を浮かべ、ヴァネッサを見つめた。


「・・・どうやら答えは出たようなだ・・?王子。明日の朝・・・わが国で船を出すので国元へ帰られるがよい。そこの客人は大層な品をくれたので、丁重にもてなしてやれ。良いな?ヴァネッサよ。」


国王は何故かヴァネッサを名指しした。


「は、はい。お父様。それでは・・・参りましょうか?」


ヴァネッサは青年を連れてメイドを従えると、広間を後にした。


一方の王子は2人が寄り添うように広間を出ていく姿を悔しそうに見つめていた―。



 その日の夕方は素晴らしい贈り物をしてくれた青年を歓迎して、立派な宴が催された。青年は片時もヴァネッサから離れず、熱い視線を送っている姿をルーカスは悔しそうに見つめていた。


 やがて宴も終盤に差し掛かる頃、ヴァネッサは一足先に部屋に戻ろうと立ち上がると何故か青年も立ち上がる。


「あの・・・貴方も部屋に戻るのですか?まだ宴は続いておりますけど・・?」


しかし、青年は首を振るとヴァネッサの手を強く握りしめて来た。


「それでは・・・一緒にもどりましょうか?」


すると青年は嬉しそうに笑みを浮かべた。




 ヴァネッサは自室に着いて、中に入ると何故か青年も一緒に中へと入り、扉を閉めてしまった。


「あ、あの・・?」


戸惑っていると、青年の声が頭に流れ込んできた。


<ヴァネッサ・・・会いたかったよ・・・。やっと人間の姿で会えた・・・。>


そして力強く抱きしめて来た。


「え?あ、貴方は一体・・?」


ヴァネッサはすっかり驚き、青年を見上げた。すると青年は言った。


<この姿になったから分からなかったのかな?私はメルジーナだよ?>


「え?!メルジーナッ?!」


<そう・・・ヴァネッサを愛しているから・・・魔女に頼んで人間の男にしてもらったんだよ?>


ヴァネッサは信じられない思いで青年の顔をじっと見つめた。アクアマリンの瞳・・ダークブロンドの長い髪は・・。


「メルジーナ・・・?あなたなの・・?」


ヴァネッサの瞳に涙が浮かんできた。


<そうだよ、ヴァネッサ。でも嬉しい・・・ヴァネッサも私を愛してくれてるんだね・・?魔女が言っていたんだ。もし相手も自分の事を愛してくれているなら・・言葉を交わす事が出来るって・・・。>


言いながらメルジーナはヴァネッサに深い口付けをしてきた。


(メルジーナ・・・。)


ヴァネッサはメルジーナの首に腕を回した。


<ヴァネッサ・・・愛する者と契りを交わせば・・・私は本当の人間になれる・・・だから・・・。>


ヴァネッサをベッドの上に寝かせながらメルジーナは言う。


「ええ・・・メルジーナ・・・。私はあなたを愛しています・・・。」


<あんな男の汚れなんか・・・取り除いてあげるね・・・。>


メルジーナはヴァネッサのドレスに手をかけながら頭の中に語りかけた。


そしてこの夜、2人は結ばれた―。





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