ゴジラについて


 ゴジラが誕生したのは昭和29年(1954年)


 東宝が特撮怪獣映画として世に送り出されて、いつの間にか今年で66年という歳月が流れました。


 そして今でも映画は作り続けられています。


 


 今観ても昔同様に私はゴジラに惹きつけられます。こんな不滅キャラが他にあるでしょうか? やっぱりゴジラは銀幕の大スターなのだと思います。


 今後も映画はつくり続けられていくに違いないと思いますので、なぜゴジラはそんなに魅力的なのか自分なりに考えてみました。




 まずゴジラという怪物は人間の本質に深く関係していると思います。


 本質とは極めてスピリチュアルなものです。近年、最初にできたハリウッド版ゴジラは、名こそゴジラでしたがそれは巨大な爬虫類であり、われわれ日本人の理解するゴジラではありませんでした。


 


 ゴジラ、それは壮絶な破壊神であります。存在そのものが悲劇的で、悲哀に満ちている(以前何度か、お茶目なゴジラもつくられてはいますが)


 そしてやり場のない怒りを内包しています。そこが私の心に響きます。


 どうしてこうなった? いったいなにが悪いんだ? 何かがおかしくないか? 


 そう言ったある種の人間の根源的な問いに全く理屈でないところで共感、あるいは共振してくれるのがゴジラなのだと私は思っています(まあでもゴジラファンのゴジラの捉え方については個々様々でもちろん良いのですが)




 話は変わりますが、往年のプロレスラーアントニオ猪木の後ろ姿には闘うチャンピオンの悲壮があると、テレビの解説者が言ったのを憶えていますが、まったくそれと同種のものを私はゴジラに感じずにはいられません。




 ゴジラ映画が近代文明に警鐘を鳴らす的なとらえ方をするのはあまりに安っぽいし、的外れだと私は思います。ゴジラの存在はもっと普遍的なところにこそあるのではないでしょうか。




 何といっても圧巻はゴジラの背が青白く光り、口から熱線を放射するシーン。何度見てもかっこいいし、美しいし、胸がすく思いがします。


 すべてを焼き尽くす破壊の後にしか創造は生まれないのかもしれません。


 ゴジラを怒らせたら誰もかなわない。ゴジラは近代文明の合理性の外側に存在しています。この強さもゴジラの魅力の一つだと思います。




 ゴジラの誕生時には「放射能の影響で生まれた怪物」という設定でした。またそういう時代背景もありました。それが時代の変化で設定そのものも移り変わっていきました。(ゴジラ対ヘドラ)なんてのもありましたし。


 時代によって別物のゴジラが複数生まれたのです。


 例えば平成ゴジラシリーズのゴジラは太平洋戦争で死亡したすべての人間の怨念の集合体であるという設定だったりします。


 シンゴジラは人間の感情移入を許さない怪物であったし、今までのゴジラとは全く別物でした。




 最新のハリウッド版ゴジラはもはや地球の守護神であります。今後もモンスターバースシリーズ(ワーナーブラザースが配給しレジェンダリー・エンターテインメントが日本の東宝と連帯して制作する怪獣映画シリーズ)でゴジラは活躍を続けていきそうです。




 ともかく、ゴジラは怪獣の枠を超えた神聖ともいえる聖獣なのだと思います。




 だから私はこのゴジラを愛してやみません。今後もずっと…。

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