35 伯爵邸解放戦①

(あれは狼煙か? ここに増援が来てももう無意味だけど侵入はバレたか……いや、それは最初からか)


 はあ、とため息をつきつつジンは兵士から“シーフダガー”を引き抜く。

 引き抜いた傷口から血が流れ出て不快な匂いを撒き散らすが、ジンは気に留めず伯爵邸内部を目指す。


 侵入がバレているとジンが断じた理由は単純に、侵入者の報告をしている兵士を気絶させたのがジンだからだ。

 ダンジョンがあるエリアと住宅街があるエリアを隔てる壁の抜け道を通る途中、兵士たちと接敵したジンはこれを即座に無力化しにかかったが、一瞬の隙を突かれた形だ。


 恐らく創薬ギルドのアルビーが用いていた魔道具を使ったと思われる。


 その結果かどうかわからないが、伯爵邸への隠し通路には先程の倍以上の兵士が待機していた。


『だがやはりそこそこの強さしかない、の』


 アンドレが“リビングメイルの剣”に着いた血を払い、鞘に収めてジンと合流する。

 そしてそのまま早足で物陰に隠れた。


「……本当にこれでいいのか?」


「兵士たちのことか? 殺すより負傷をばら撒く方がいいってのは戦場の常識だぞ。こっちの負担は少なく、相手の僧侶クレリックの魔力や回復の物資も削れて、ついでに士気も下げられる。一石三鳥の完璧な作戦だ」


 テレンスの疑問に、ジンは指を3つ立てて答えた。その顔には笑みすら浮かんでいる。


「まあそこは理解しているが……」


「それにお前やソルはコイツらの誰かと顔見知りだったり、同僚だった奴がいるかもしれない。そうなった時に攻撃できないかもしれない。……魔人のところまで剣と魔法は温存しておいてくれ」


 どうやらテレンスが知りたかったのはそっちだったらしく、安堵の表情を浮かべて小さく息を吐いた。


「……正直助かる。誰も知り合いを攻撃したいとは思わないからな」


「……ま、そうだよな」

(そうなるとやっぱり俺は異端なのか……? これが女神の言ってた“そのうちわかる”ってやつだろうか)


 ふと、女神の言葉がジンの脳内にリフレインする。


 仲間殺しというのはつらいものだ、というのは前世の情報として知っているだけだし、実際にそういう場面に出くわすことはなかった。


 ところが蓋を開けてみると、なんの心理的抵抗もなく、そして軌道がブレるといった身体的影響もなくナイフを投げられた。


 これが“神が作ったからこそ無くなったもの”かどうかは不明だが、一つの候補ではある。


 ——どうであれジンは、ソルとテレンスの顔をした襲撃者を殺したことを胸の内にしまっておこうと決意した。


「ジン様、ここから右斜め前方向に見える扉が、普段使われていない入り口ですわ。精霊たちも、誰もいないと教えてくれています」


 その言葉に、ジンはうなずく。


 エルフのスキル“精霊共鳴”。己が操れる精霊魔法と同じ属性の精霊が、指定地点の周辺を探ってくれるという優れたスキルだ。


 大きな欠点は発動から効果の発揮まで5秒かかることだが、敵がいない状況かつ隠密していればさほど気にはならない。


「わかった、そこから侵入しよう。……第一目標は伯爵殿の書斎でいいな?」


「はい。あの魔人が、お父様を自由にさせたままにしているとは考えられません。地下牢なり倉庫なりに捕らえて自分はお父様の場所に居座っていると考えるべきですわ」


 その言葉を聞くテレンスとアンドレは特に疑問を持っていない様子だった。

 ならば、最後の決定を下すのはリーダーの自分だろう。


「わかった。安全を確保しつつその部屋まで移動する。ソル、テレンス、道案内は任せた」


 2人は頷くと、屋敷に向かって走り出した。






「止まれ侵入者よ!!」


 伯爵の書斎までもうすぐというところで、そいつらは待ち構えていた。

 屋敷に入ってここまでは散発的に3、4人の兵士たちと戦闘することがほとんどだったが、ここに来て桁違いの団体様だ。


 その数、30人はいるだろう。


 また装備も今までの兵たちとは一線を画す。

 これまではヘルメットタイプの鉄兜、胸当て、それ以外は革製の防具だったのに対し、こちらはフルフェイスのメットにハーフプレート、家紋のようなものが刻まれたカイトシールドまで用意されている。


 おまけに武器は長槍。それが槍衾のように横一列に並べられ、侵入者を拒むような陣形を築いていた。


 防御の高い装備、そして閉所戦闘では不利に働く長槍をあえて持たせていることからも、よほどこの先へと通したくはないらしい。


「ほお……随分しっかりしたお出迎えだな」


「当然よ。我らは伯爵様を守護する親衛隊、この先へと通すわけにはいかん」


 ジンのぼやきに答えたのは、先程ジンたちに停止を命令した男だった。

 一際目立つ武装をしていることから、この部隊の指揮官的存在なのだろうと推測できる。


 そんな男に対して、ジンはニヒルな笑みを浮かべつつ足を進める。

 距離が詰まることで親衛隊たちの槍がジンを向くが、突き出す気配はない。


 まあ元々、一撃加えられてもステータス的に生き残れると分かっているからこそ、挑戦的な行動に出られるのだが。


「こんなに近づいても攻撃すらしないとか、親衛隊ってのは臆病者の集まりか?」


「ふん、我らは規律ある軍隊だ。上官である私の命令なしに攻撃をするはずもない。そんなこともわからぬとはやはり薄汚いーー」


「親衛隊長!!」


 口論に発展しそうなそれを止めるためか、大きく声を上げたのはソルだ。その声を聞いて、自分の役割は終わったとばかりにジンが引き下がる。


 流石に魔法使いメイジのソルはジンほど大きく前に出ないが、それでも親衛隊たちに十分見える位置には出てきた。


 見知った顔どころか自分たちが忠誠を誓うべき相手が敵として現れたことで、親衛隊に軽い動揺が走る。が、親衛隊長と呼ばれた男は却って冷静になったようで無駄に恭しく礼をした。


「……おお、これはこれはお嬢様、長旅大変でしたでしょう。ささ、伯爵様が奥でお待ちですよ」


 その慇懃な態度に、ソルは目を細めつつ言葉を選ぶ。


「……貴方のこれまでの功績、そして忠誠心はテレンスを通して聞いております。その上で一度しか聞きません。なぜお父様や私を陥れることをしたのですか?」


 指揮官はその言葉に、おお、と役者のように大袈裟に悲しんでみせた。


「お嬢様、何か誤解をしていらっしゃいますね。私は一度も、伯爵様のお心を裏切ったことはありませぬ。勿論、今もそうです」


「裏切ったこともないとは、よく言ったもんだなクズ野郎」


 親衛隊長の言葉を断ち切り、前に進み出たのはテレンス。ソルを下げたうえで盾と剣を構え、一歩も退かない態度を見せる。


 言葉に込められた侮蔑の思いは、いつかの模擬戦でジンに向けられたそれよりも激しい。


「貴様テレンスか! ソルの腰巾着の貴様に言われたくはないわ!!」


 慇懃な態度はどこへやら、指揮官はテレンスの蔑みに応えるように激しい言葉を投げつける。

 ここまでのやり取りである程度わかると思うが、この2人は主君への態度や騎士としての在り方からお互いに忌み嫌っている。


 これまでの積み重ねと、指揮官の言葉が決定打となり、テレンスの中の普段抑えている何かが切れた。


「……とはいえ、裏切ったと言うのは間違いだったみたいだな」


「……今のは謝罪か? ほう、お前のような盲目なものでも謝罪する心は残っていたようだな。もっと謝れば許してやるかもしれんぞ? ん??」


 男の尊大な態度に、テレンスは何も靡いていないかのようなさっぱりした笑顔を浮かべた。


「……元々伯爵様に忠誠を誓ったことがないなら裏切りも何もない。お前が信奉しているのはあのルインとかいう魔人だ、違うか!?」


「んなっ!?」


 男が明らかな動揺を見せた瞬間、テレンスは動いていた。


「“ラージシールド”!」


 防御範囲を拡大させつつ、真正面から槍衾に肉薄する。

 それに対する親衛隊たちは当然、近づけてなるものかと槍をテレンスに向けた。同時に盾も構えて反撃に備える。


「うおおおお!!!」


 それでもなお、テレンスの突撃は止まらない。彼の咆哮と、いくつかの槍の先端が砕け散るのは同時だった。


「なんだと!」

「貴様上位騎士エルダー・ナイトにでもなったのか!?」


 口々に親衛隊たちが驚くが、テレンスは何も答えない。ただ激情に身を任せて剣を振るう。


 上位騎士エルダー・ナイト騎士ナイトの上級職で、全てのステータスが騎士ナイトを一段階上回る。

 テレンスが出て行ったのは1月ほど前。その時点である程度上位の強さではあったが、それでもここを率いている親衛隊長ほどではなかったはず。


 だが今しがた親衛隊が感じたテレンスの力、そして防御力はその親衛隊長をも軽く凌ぐほど。

 そうなれば上位職の上位騎士エルダー・ナイトにでもなったかもしれない……と考えてしまったのだ。


 一方テレンスは、最初に槍を砕いた親衛隊に傷を負わせてすぐに槍の届かない場所までバックステップをした。


「今の私はただの騎士ナイト上位騎士エルダー・ナイト並のパワーを魔法の武具で得たのだ!!」


 そう言って掲げたのは、“リビングメイルの剣”と“グレートなバングル”。


 サンドワイバーン戦に意図せず参加したテレンスはレベルが21に上がっており、さらに掲げた2つの装備アイテムによりレベル25の上位騎士エルダー・ナイトと同等の攻撃力を得ている。


「魔法の武具だと……!? 貴様それほどの金をどこで得た!?」


 あり得ないとばかりに首を左右に激しく振りつつ叫んだのは、またも指揮官の男であった。

 それに返すテレンスは終始冷静なままだ。


「教える義理があるとでも?」


「ちっ……だがな!」


 怒りで顔が真っ赤になった男は、それでも親衛隊長としては優秀だったらしい。次の作戦を練っていたようで、余裕の笑みを浮かべている。


「自分から距離を取ったのは間違いだ。どれだけ強力な武具かは知らんが、自惚れたまま死ね! 魔法使いメイジ隊、弓使いアーチャー隊、撃て!」


 指揮官の男よりもさらに後方、親衛隊たちが壁になって見えない方角に向かって合図を出した。

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