32 邂逅

「やっと、会えましたね」


 無意識に“ここ”に触れたジンは、瞬きのうちに景色が一変したのをすぐには認識できなかった。




 ——んん!? 何だここは!? さっきまでタルバンのダンジョンにいたはずだぞ?


 そんな疑問が最初に湧き出たのは、女性から声をかけられてから数秒後。


 どういうわけか全身が動かないジンは、眼球だけ動かして何とか周辺の状況を探る。


 ——雲の中、か?


 陸も海も空もない、柔らかな光に包まれた空間を表すにはこれくらいしか思い浮かばなかった。


 そして自分の目の前には女性が1人、宙に浮いてこちらに向かって微笑みかけている。最初の一言以降話しかけてこないのは、少しばかりの怖さを感じる。


 他に何かヒントはないものか……とジンがさらに思考を巡らそうとしていると、不意に目の前の女性が動いた。


 周りをしきりに観察しているジンには見えていないが、その表情はどこか貞腐れているようだった。


「無視するなんて、ひどいです。それにこんな可愛いわたしを怖いって……もう、いい加減


 その一言で、ジンの体で唯一動いていた眼球も、女性を捉えたまま動かなくなった。


 ——マジか。人を意のままにあやつれるとかチートだろ。……というかこれはまるで、


「まるで神様みたい、ですか? ええ、私が貴方の言う職業ジョブの女神です」


 ——そうか、こいつがか……


「初めて会った女の人をこいつ呼ばわりなんて、やっぱり貴方はひどい人ですね……ってあああ、こんなことしてる時間はないんだ……ごめんなさい、ひとまず、


 彼女の一言で、ジンは思考を放棄させられた。

 目の前の情報を、耳から入る音を、何の曲解もなく認識させられる。


 ……後にジンはこれを、無の境地を強制的に体験させられているようだと語った。


「ごめんなさい、本当はこんなことをしたくないんですが、時間がないんです。ちゃんとあとで元に戻しますから。……まずは、図鑑の収集お疲れ様でした。貴方が頑張ってくれたお陰で、わたしは今こうしてお話ができています。本当にありがとうございます」


 女神はそう言うと、深く頭を下げた。


「重要なことからお話ししますね。この世界と貴方についてです。まず、貴方をこの世界に呼んだのはわたしです。理由は、間違いだらけになってしまったこの世界を救って欲しかったからです」


 すらすらと、まるでプレゼンテーションのように語る女神。思考に邪魔が入らないことも相まってか、すっと頭に入ってくる。


「貴方の知っている“エバーワールドオンライン”は、知っての通りこの世界ととてもよく似ています。……貴方の世界の人類は本当にすごいです。偶然とはいえ、1つの世界とほぼ同じものを作り上げることができたのですから」


 さて、と女神は一旦話を区切り、その白魚のような指を申し訳なさそうにからませる。


「そんな中で、“エバーワールドオンライン”をこよなく愛し、その全てを知り尽くし、そして魔王をひとりで倒しうる強さを兼ね備えた、貴方を見つけました。貴方であれば、この世界を救ってくれるのではないか……そう思うあまり、貴方の意思を聞かずにこちらの世界に呼んでしまったことは謝ります。ごめんなさい」


 そうして再び、だが先ほどよりもさらに深く長く、女神はその頭を下げた。


「ですが、わたしはこの選択を間違っていたとは思いません。貴方は認識がなかったかもしれませんが、“エバーワールドオンライン”最後の魔王戦が終わった後、貴方の本当の身体は死にかけていました。……別世界の神であるわたしが貴方を救うには、こうするくらいしかできませんでしたから」


 ふう、と息を吐いた女神は、その表情を最初の慈愛溢れるものに戻した。


「わたしから話したいことは、これで全部です。今から貴方の頭を戻しますからね。いいですか? では、


 ——ようやく、色々考えられるな。


「はい。最初に言いましたが時間がありませんから……わたしの力がもっと戻れば、もう少し長く話せるようになると思います」


 ——とりあえず、女神様、でいいのか? いや、いいですか? 


「貴方の元いた世界での敬語、というのは難しいですよね。普通の言葉でいいですよ。神と話をすることもこれが初めてでしょうし、わたしは気にしませんから」


 むん、と胸を少し張る女神に、ジンは心中で息を吐く。


 ——助かる。正直今の俺には、貴女の言っていることがどこまで真実かわからない。ただ、この世界に生まれ変わらせてくれたことは感謝します。ありがとうございます。


「いえいえ。わたしはわたしができることをしただけですよ」


 ——色々疑問はあるが、まず、この空間は何だ? それに、なぜ俺の考えがわかる?


 ジンのこの質問に、女神は目に見えて慌てた。


「……ああごめんなさい!! 大事なところを抜かしていました!! ここはわたしと強い繋がりを持った魂を召喚して会話ができる所なんです。まだ肉体のある人が、普段動かない魂を動かして会話をするのは難しいくて、普通に話すよりはわたしが考えを読んだほうが早いんです。これでも神ですから、それくらいならできるんです」


 ——わかったような、わからないような。


「うーん、やっぱり難しいですか……力が元に戻れば、逆にわたしが貴方の世界にええと、逆召喚? 受肉? することもできるのですが……」


 ——なあ、ずっと聞きたかったんだが、今の貴女は力を失った状態なのか? この世界を俺に救って欲しいということ、職業ジョブのあり方が違うことも、その関係なのか?


 ジンの質問に、女神は苦い顔をして答えた。


「今のわたしに、女神本来の力があまり残っていないのは事実です。まあわたしの手で現実世界を直接変えるのは、本来の力でも難しいですが。肝心の職業ジョブについては、魔王がわたしの力の一部を奪っていったために、ああなってしまいました」


 ——奪った?


「はい。わたしにもその方法はわかっていないのですが、職業ジョブをその人の望むようにではなくランダムに付与する、という形に変えられてしまいました。……変更に限界があったようで、勇者ブレイブとかの強力な職業ジョブも産まれるようになったみたいですけど。神の力を、それ以外の人が自由に操るなんて無理なんですよ、全く!」


 ——落ち込んだり怒ったり、色々と忙しい神様だな。


「ううう、なんだかひどいことを言われているような気が……」


 ——それより、どうして日本語が俺だけじゃなくてアンドレたちにも読めるんだ?


「急に切り替えるなんて、やっぱり貴方ひどいですよ! ……ええとですね、あれもわたしの力の1つと思ってくれていいです。図鑑みたいな神器を授けることはできなくても、文字を読む力っていう些細なことはなんとでもなります。職業ジョブっていうわたしとの繋がりはみんな持っていますし、現にものすご〜い田舎だと、言葉が通じても書く文字が違うってことはありますから」


 ——あの図鑑、神器なのか。


「あ〜……貴方だったらそこに衝撃を受けますよね、“エバーワールドオンライン”では無かったものですし。一応この世界には2つとないものなので、大切にしてもらえると嬉しいです」


 それに、と女神は強調して続ける。


「わたしは見る目があると思うので、紹介した4人はいい仲間になってくれると思いますよ。これ以上わたしの手で紹介するのはちょっと難しいかもですけど……ってああ!!」


 ——なんだなんだ、どうした??


「もうすぐ時間みたいです……あと少ししたら、貴方がタルバンのダンジョンで“ポータブル女神像”を受け取るところに意識が戻ります」


 ——そうか、もっと色々教えて欲しかったが仕方ないな。


「すみませんわたしの力が足りないばかりに……そうだ、ひとつ注意です。わたしが貴方の転生用に作った体だからよっぽど問題ないと思いますが、現実に戻ってからはしばらく体が動かしづらくなるかもしれません。急に全身の感覚も戻るわけですから」


 ——ちょっと待て、俺の体は貴女に作られたものなのか?


「当たりまえです。本来この世界のものではない貴方の魂を入れることができて、さらに魂と肉体のズレをなくして、オマケに貴方の思った通りの動きをする……それが偶然というのはあり得ないですよ。まあが無くなったのはちょっと想定外でしたが、神の手で作った以上仕方ないですよねうんうん」


 ——おい、アレって何だ。


「そのうちわかりますよ。さて、最後に1つ」


 女神はそう言うと、人差し指を立てた。


「タルバンの街を救いたいなら、できるだけ早く行動することをおすすめします。もう町は封鎖され、じきに貴方の居場所もバレるでしょう……そうなれば、やり返すこともできずに死ぬかもしれません」


 ——おい、そんな重要なことを何で今、


「貴方が、あの眷属への勝ち方を知っているからです。ちゃんとわかってますし、ポータブル女神像にもその鍵となる効果を持たせました……わたしの力ではこれが限界で……ジンよ、わたしの……子よ。……会える……楽し…………す」


 女神の声と姿がだんだん遠のいていく。

 ジンが待ってくれと心で叫んでも、一度消え始めた姿が元に戻ることはなかった。




 そうしてジンが一度瞬きをすると、手元に“ポータブル女神像”が降ってきた。

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