第9話 修羅場ってる?

 書斎の机に座って一瞬ボウっとしていると、隣の席から心地よい声が聞こえて来る。


「……と、この様に戦国時代の初期では豪族同士の領地の奪い合いが……って、海人さん? どうかされましたか?」


 俺が呆けていた事に気づいたのか、日本史の教科書を置いて詩音が首を傾げていた。


「ごめん、ちょっと集中力が切れたみたいだ。少し休んでも良いかな?」


 教えてもらっている立場なため、少し気まずくなりながら詩音に問いかけると、逆に手をワタワタしながら謝って来た。


「こちらこそ、すいません。人に勉強を教えた経験が殆ど無かったもので、どんどん先へと進んでしまいました」


「いや、詩音さんは全然悪くないよ。集中できてないのは俺のせいだから……」


 そう言って俺は、集中できない原因……先日爺さんと養護施設へ行った時について思い返す。


 爺さんが突拍子の無い提案を由香里にした時、俺はてっきりその場で突っぱねるものと思っていたが、意外と由香里が悩んでいる様で正直驚いた。


 取り敢えずは後日回答すると由香里が応えた後、母さんが帰って来て皆で養護施設についての話などをしたが、終始由香里は上の空だった。


「何か、悩みごとがあるのですか?」


 紅茶の入ったカップで指先を温めている詩音に、心配そうな顔で聞かれたので、頬をかく。


「まぁ悩みごとはあるんだけど、詩音さんに聞かせるような話じゃ……」


 そう言った所で、お手伝いさん達がパタパタと動き回り、扉を開け閉めする音が聞こえた。


「今日は爺さん1日仕事外出するって言ってたけど、来客かな?」


 思わず疑問に思いそう呟くと、詩音が首を傾げた。


「どうなんでしょう? ただ、こちらへ誰かいらっしゃいますね」


 お互い首を捻りながら向かい合っていると足音が近づいて来て、扉がノックされる。


「海人様、南雲様がお見えになりました」


――なぐも? ……って、由香里!?


 一瞬お手伝いさんが言った言葉の意味が分からなくて、俺の頭の中がパニックになる。


――えっ? なんで由香里がココに!?


 理由が全く想像できなかったが、詩音と隣り合って座るこの状況はマズイ気がして、扉を開けるのを止めようと声を出す。


「ちょっと待っててもらっ……「海人君、このあいだぶ……り?」」


――ピシッ


 空気がひび割れる音と共に、部屋が一気に凍り付いた様な気がする。


「あー……おほほ、それでは海人様、私はこれで……」


 そう言って大戦犯(お手伝いさん)が去って行った後も、部屋は凍り付いたまま――の様に感じたが、詩音が特に気にした様子も無く動いた。


「海人さん、何やら南雲様? がジッと見ておられますが、どうかされたんですか?」


 邪気の無い、純粋な疑問を浮かべた顔で尋ねられ、俺は大きく深呼吸して返答する。


「いや、どうもしないよ。こちらは、俺の幼少期からの幼馴染で南雲 由香里だ」


 そう言って由香里の方を示すと、詩音が美しい所作で立ち上がり一礼した。


「初めまして南雲さん。坂崎 詩音といいます」


「あっ……すいません、南雲です。よろしくお願いします」


 慌てた様子で由香里が頭を下げると……瞬時に俺の方へ寄ってきて、小声で問いかけてくる。


「ねぇ海人君。なんかすごい親密そうだけど、海人君とあの子はどういう関係なの?」


「あー……関係。関係は……め候補です」


「ごめん海人君、ちょっと聞こえなかったからもう一回言って?」


 そう聞きなおされて俺は、覚悟を決めた。


「……俺の、嫁候補です」


「……本当に?」


 疑わし気な目で由香里が俺を見た後に、不安そうな顔で詩音を見ると、詩音が満面の笑みで頷いた。


「はい、海人さんは私のお婿さん候補です」


 そう言った瞬間、由香里が両手を広げて立ちふさがった……俺の前に。


「海人君……幾ら詩音ちゃんが可愛いからって、こんないたいけな子を騙すのはどうかと思うの!」


「いや、俺は騙してねぇよ! 爺さんが決めた事だから!」


「また訳の分からない事を言って! これなら本当に、私も一緒の学校に行かないとまずそうだね」


 そう由香里が言ったのを聞いて、俺は一気にクールダウンした。


「由香里、お前……俺達と同じ学校に行くことに決めたのか?」


「……うん」


 髪で顔を隠しながら、少し照れ臭そうに由香里が言った。


「この前の話の後、私と母さんでお爺さんと何度か電話してる内に、私や養護施設の事を気に入ったと言って下さって……お爺さんが、施設の後援者という形に成ってくれたから」


 そう言われて俺は、爺さんがこの間施設を見た時の優しい視線を思い出す。


――そうか……金持ちって、そんな事も出来るんだな


 俺だけじゃなく、由香里や養護施設にまで手を差し伸べてくれた爺さんに対して、感謝の念を抱きながら、ふと疑問に思った事を由香里に聞いてみる。


「所で由香里、今日は何をしに来たんだ?」


「私は、お爺さんに改めて面と向かってお礼を言いに来ようとしたら、この時間のこの場所を指定されたんだけど……お爺さんはどこに?」


 そう由香里に尋ねられて、俺は何だかイヤな予感がした。


――俺たちがここで勉強してるのを知ってる爺さんが、この時間、この場所をわざわざ指定した理由として考えられるのは……


 その回答を思い浮かべようとしたタイミングで、廊下を走る音が聞こえ……勢いよく扉が開いた。


「よう坊主、修羅場ってるか?」


 満面の笑顔でそう聞いて来た爺さんを見て、俺は思わず特大のため息をついた。


 ……本当、この爺さんには敵わないわ。

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