狭間に立たされて
文綴りのどぜう
狭間に立たされて
...死刑判決かぁ...羨ましいなぁ...
朝御飯は、ちょっと冷たいお味噌汁と漬物。それに温めなおしたご飯と鮭。納豆も食べたかったけど、生憎冷凍庫にも入ってなかったので、生卵で我慢。ニュースはいつも、誰かが死んだり捕まったり裁かれたり。時々政界の不正が見つかったり。そんな感じ。営み、って何だろうって考え込んじゃうような、いつもの通りの陰鬱な朝。
「おはよう。今日は早いね。1人でご飯なんか食っちゃって冷たいネぇ。俺も起こして一緒に食ってくれや」
「ごめんなさいおじさん。あんまり気持ちよさそうに日を浴びながら転がってましたから。」
「なはは。どーりで目覚めがいいわけだ。さ、俺も食うかな。」
「あ、ビールは冷えてます。」
「気ぃ利くな。サンキュ」
橋の下で倒れていた僕をおじさんが見つけ、病院に運んで見守ってくれてたらしい。家族に愛され、不自由はひとつもなかったけど、この世の中のシステムとか条理がどうしても嫌で嫌で、解せなくて、呑み込めなくて、適応できなくて、泣きながら飛び降りたのだ。当たり所が「良かった」らしい。しばらくしてから開いた目に広がった世界は、天国ではなく病室だった。僕は身元がわかるものは何一つ携帯していなかったので、第一発見者のおじさんがそのまま自分の家に僕を置いてくれることになった。もうそれは1年も前の話。
家族は今も僕を捜しているらしかった。身元不明の少年を預かったという情報を基に、数回ほどここにも捜査の足が伸びたが、僕は頑なに引きこもり、おじさんは「親を探す、と出ていったから、その先は知らんな」と嘘をついた。おじさんは何となく僕が見つけられたくない、帰りたくないのを感じてくれていたのだろう、あまり詮索もしないでいてくれた。今日を除いて。
「そういやお前、もう1年経つだろ。」
「...そうですね。確かにこの時期だった気がします。」
「あえて聞かずにおいたがよ、俺にゃあ話してくれてもいいんじゃねェか?なんで飛び降りなんてしたのか。誰にも言わんでよ。」
「...それは信じてもいい気がします。」
鯉の箸置きに立てかけて、静かに話した。
「多分僕、『死んでもいいよ』をずっと待ってたんだと思うんです。だって」
「才能はきょうだいに取られたし、僕って何の取り柄もないじゃないですか。そのくせ一丁前に命を大事にするから、生殺しなんです」
「どうしたらいいんですかね。この場合の『いい』って何なんですかね」
「色々、わかんないんです。だから逃げたかった。死んじゃえば全部終われる。こんな世の中に縛られないで済む。」
おじさんは、頭をぽりぽりとかいた。
「でもおめぇは生きた。俺に拾われちまったせいでな。なははは」
「...僕にとっては死神兼聖母ですね。おじさんは。」
「なはは、聖母か。オカマじゃネぇぞ。俺は」
「存じてます」
「でもおめぇ、今なら死ねそうか?どうだ?」
「...どうですかね。また死にきれなくて、痛いんじゃないかな」
「そーいうと思った。やっぱ死ねねぇな、辛いな。お前は飯の美味さを知っちまった。飛び降りる痛みを知っちまった。もう死ねねぇ」
「...返す言葉もないです。」
おほん、とひとつ、おじさんは咳払いした。
「いいか。美味い飯を食った奴は死ねねぇ。生まれてからずうっと、クソみてぇなおまんま食わされて虐められ続けた奴なら死ねそうだが、まぁそれもそいつの性格次第かな。だがおめぇは飛び降りて俺に拾われちまった後、1度も逃げたり自殺しようとしてない。気づいてっか?それは俺がおめぇに美味い飯を出したからだ。辛いよな、生きるのって」
もう喋れなかった。こんなに辛いのに、ご飯は美味しい。死にたくて、上手くいかなくて、何も叶わなくて、でも愛だけは受けてしまって。その愛を受け取る価値があるほど立派に育たなくて。期待に応えられなくて。迷惑ばっかりかけて。それなのに覚えた言葉で世の中に文句ばっかり言って。挙げ句自分を殺しきる事さえ叶わずに、当たり前のように朝御飯さえ食べている。自分には力がない。自由に自分を殺す力がない。今日も誰か悪い人が死刑を言い渡されてた。違うチャンネルでは誰かの自殺を報じてた。羨ましかった。いや、羨ましい。どうして捨てることができるんだ。命を。それは、その「どうして」は、「あんなに大切な命をどうして」ではない。「どこから捨てる力が湧いてるんだ、どうして死を掴み取れたんだ」だ。
今日も死ねない。多分明日も死ねない。朝からビールを呑むこのおじさんに救われた僕は、多分明日も救われる。殺して欲しいのに。頼んだら、殺してくれるかな。
赤い鮭の身が、柔らかに箸の先で解れた。
狭間に立たされて 文綴りのどぜう @kakidojo
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