第56話 ロックカッター
雨が激しくなってきた。
本当に命のやり取りをしているかのような、重たい空気が周囲を包んでいる。クラウスくんは大声で中止を訴えているが、ぼくも震えるだけで動くことはできなかった。
シーアが剣を構えた瞬間、シュモネー先生が甲高い叫び声を上げた。
「らぁぁぁぁぁぁ!」
その声を聞いたぼくは、まるで心臓を掴まれたかのような感覚に襲われ、身体が動かなくなってしまった。クラウスくんに目を向けると、彼も同じように身体が硬直しているようだった。
耳の良いシーアはさらに酷い状況で、剣を取り落とした上に足がガクガクと震わせて地面に膝をついてしまっていた。
「あぁぁぁ」
シーアが泣いている。恐怖に打ちのめされてシーアが泣いている。
あの時の――前前世でシーアの【見る】が奪われたときの記憶が蘇ってくる。
前前世の時は、ぼくの身体には毒が廻って死にかけていて動くことができなかった。
いまはどうだ!?
今のぼくはただ怯えて震えているだけだ。だが毒が廻っているわけじゃない。
シーアが……シーアが泣いている!
「うわぁぁぁぁ」
ぼくは絶叫して自分自身を鼓舞する。その勢いでなんとか剣に手を掛けることができた。
「うおぉぉぉぉ」
再び絶叫する。勢いに任せて今度は剣を抜く。
「うがぁぁぁぁ」
足に震えがやや残っているものの、もう少しで硬直から抜けられそうな気がしていた。このまま何度も絶叫すればシーアのところへ行ける。硬直が解除されればシュモネー先生に一太刀浴びせられるはずだ。きっと。
ぼくが再び絶叫しようとしたとき、シュモネー先生のスキル【炎の眼】がぼくに対して向けられた。その眼に宿る炎は、傍から見るのと自分に向けられるのを見るのとではまったく様相が違っていた。震えながら確信する。
(殺される!)
それがスキルの効果だとわかっていても、ぼくの心身は完全に恐怖に囚われてしまった。目から涙があふれ、ズボンの中に生暖かい液体が広がっていくのを感じる。
それでも剣は離さなかった。喉が痛くても叫ぶのは止めなかった。
「うがぁぁぁぁ」
一切の雑念を捨て、右足を前に出すことに集中する。
「くそがぁぁぁ」
一切の雑念を捨て、左足を前に出すことに集中する。
ぼくが叫ぶのを止めないでいると、シュモネー先生は何かブツブツと呟き始め、ロックカッターに指をなぞらせる。指が触れた部分から刀身が赤く輝いて、さらにそこから炎が揺らめき立っていく。
(エンチャント!?)
ウルス王のときに見たことがある。
武器に毒や聖水を塗ったり、あるいは油を塗って火を点け、魔力によってその効力を増すスキルはよく見られる。しかし武器そのものに属性を付与するエンチャントはかなりの高等スキルだ。当然ながらその威力も高い。
雨が刀身に触れ蒸気が立ち上る。その向こうで眼に炎を揺らめかせ立つシュモネー先生は地獄の幽鬼のように恐ろしいものに見えた。
シュモネー先生は膝をついて硬直したままのシーアに背を向け、ぼくの方へと身体を向ける。
その殺意に身が震えた。
だけど、ぼくがやることは変わらない。シュモネー先生を退けてシーアを守る――
「うがぁぁぁぁ」
他の一切の雑念を捨て、右足を前に出すことに集中する。体の震えは治まらないけど、硬直からは微かであれ抜けつつあるのを感じる。
シュモネー先生がロックカッターを正眼に構えて摺り足で距離を詰めてくる。
クラウスくんが何か叫んでいるみたいだったけど、ぼくにその声は届かなかった。ただただ一撃のタイミングを狙っていた。
ズッ。
シュモネー先生が動く。
その瞬間、ぼくは一撃を繰り出した。
ガキンッ!
シュモネー先生がぼくの剣を弾き飛ばす。飛んで行く剣を目で追いながら、ぼくはシュモネー先生がロックカッターを大きく振りかぶるのを全身で感じていた。
ロックカッターから立ち上る蒸気の中に、今世での人生が走馬灯のように映し出されるのを見た。ぼくをここに転生させたラヴェンナ神の顔が思い浮かぶ。今度会ったときはどんな顔をするだろうか。
何度も転生ミスしやがって……文句を山ほど言ってやりたいところだ。けど、おかげでシーアと出会えたんだよな。うん。そこは感謝しなくちゃな。説教した後にな。
シーア……。
シーアはどうなる?
そう思った瞬間、雨に濡れたシーアの悲しそうな顔が脳裏を過ぎる。
ダメだ。
まだ死ねない!
ぼくはシュモネー先生に抵抗しようと最後の力を振り絞って……
「!?」
「うわぁぁぁぁあ」
突然飛び出してきた影がシュモネー先生を吹き飛ばした。
――――――
―――
―
水たまりの中に落ちたロックカッターはエンチャント効果が切れるまでの間、激しい蒸気を出し続けていた。
シーアのタックルによってシュモネー先生は地面に突っ伏して倒れていた。クラウスくんは相変わらず固まったままだ。硬直の方は既に解除されているはずだけど。
ぼくはと言えば膝をついたシーアにギュッと抱きしめられている。お腹にしがみついているシーアの頭をぼくは何度も繰り返し撫で続けていた。
そういえば自分がちびってしまっていることを思い出し、恥ずかしくなってシーアを引き剝がそうとしたけど、シーアはぼくから離れようとせず、お腹にその顔を強く押し付けてくる。
先ほどまでの激しい雨は小雨へと変わっていた。
「……ちゃんと動けるじゃないですか」
地面に突っ伏したままの体勢でシュモネー先生は親指を立ててそう言った。先程までの強烈な殺気は今では完全に消えている。
「グッジョブで……す」
ぼくとシーアは慌ててシュモネー先生を助け起こした。
「これで今日の授業は御終いです」
シュモネー先生は泥だらけの顔でニッコリと微笑んでそう言った。
「あっ、わたしはもう大丈夫ですのでクラウスくんの方をお願いします」
ハッとして振り返ると、クラウスくんはまだ硬直したままだった。
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