第3話 冒険者に挑む

 俺はまず焚火の前で座っている冒険者に近づいて薪を下す。


「なんだ? 薪なら間に合ってるぞ?」

「気に入ったら買ってください。この木の皮は虫よけになるんです」


 そう言って俺が薪を数本取り出して冒険者の方に見せると、冒険者は勝手にしろと首をすくめる。


 鉈を使って木の皮を削り火にくべると、煙が立ち上り周囲にこの木が燃えるときに出る独特の香りが広がる。


「悪くない……」

「良い香りでしょ?」


 俺は鉈を使って焚火の中から灰を手前に寄せ、その上にまた木の皮をくべる。木の皮に火が移った。そして――


 俺は鉈を使ってまだ燃えている灰を冒険者にぶちまけた。


「ぬおっ!」


 冒険者が顔を守ろうと腕でかばった瞬間、俺はその上に思い切り鉈を振り下ろす。


 冒険者の左腕が地面に落ちる。


 鉈の勢いはそれで落ちることなく冒険者の左足を大きく切り裂いて、地面に刺さってようやく止まった。


「ぐおぉぉ」


 俺は薪の束を持ち上げてそれを冒険者の上に投げ落とす。できれば腰に下げている剣を奪いたかったが、下手に近づくと反撃されてしまうかもしれない。


 傷の状態からこの冒険者がすぐには追ってくることはないだろうと判断し、俺は奴隷商人の方へ血に濡れた鉈を掲げて近づいていく。


「ひぃぃぃ。い、命だけは……」

「今すぐ檻を開けろ! グズグズするならお前を殺して自分で開ける!」

   

 俺が鉈で威嚇しながら近づくと、奴隷商人は慌てふためいて懐から鍵を取り出して檻を開いた。冒険者に目をやると、奴は悪態を付きながら左腕の止血を急いでいる。


 俺が奴隷商人を睨みつけて、


「失せろ!」

  

 と鉈を高く掲げて脅すと、商人は慌てて立ち上がって全力で街道を走り去っていった。


「みんな早く外に出て!」


 自分達の身に何が起こっているのかを未だ理解できないのだろう。子どもたちの動きは遅かった。


 その中で一人、白銀の髪をした犬耳の少女が、いち早くこの状況を察し、先に檻から飛び出して他の子どもたちが外に出るのを手伝い始めた。


「さぁ、早く森の奥へ逃げるんだ!」

 

 全員が檻の外に出たところで、俺は獣道のひとつを指さして叫んだ。亜人の少女が頷いて他の子どもたちを先導して走り始める。俺もその後に続いて森に入ろうとしたとき、


「トンッ」


 誰かに後ろから右肩を叩かれた。振り返ると冒険者がで木にもたれかかっているのが見える。


「誰ひとり逃がしゃしねぇ……」


 そう言ってニヤリと笑った冒険者の顔を見て、俺はとても嫌なことを確信した。間違いない。この男は俺たちを殺す気だ。


「みんな逃げろぉぉ!」


 駆け出そうとした俺の足元に、血の付いた小刀がポトリと落ちる。と同時に右肩に激しい痛みが走り、思わず俺は顔を歪ませた。その瞬間、事態を理解した俺は確認するために冒険者へと顔を向ける。


毒は塗ってある。最初の獲物はお前だ」


 冒険者の哄笑が周囲に響き渡る。俺の様子を遠巻きに伺っていた子どもたちも恐怖に取り憑かれ、それぞれがバラバラになりながら森の奥へ奥へと消えて行った。


――――――

―――


 どれくらいの時間が経ったのだろうか。陽はかなり傾いていて、潮が満ちていくかのように夜が広がり始めていた。他のみんながどうなっているのかはもうわからない。


 もし子どもたちが、怒りに捉われた冒険者に捕まれば殺されるかもしれないし、そうでなくても連れ戻されることになる。脱走した奴隷のその後の境遇はきっと目も当てられないものになるだろう。


 それ以前に、この森の奥で魔物や獣に襲われるかもしれないし、どこにも辿り着くことができないまま飢え死にするかもしれない。


「そうなったら俺がみんなを殺したようなもんか……」

 

 疲れが全身を覆いつくし、脚に力が入らなくなった俺はその場に跪く。毒が効き始めているのだろうか手足に痺れを感じる。


 先ほどまで自分を突き動かしていた怒涛のような怒りはもう完全に冷めきって、今では悲しみと後悔が大波のように押し寄せてきている。


 とうとう俺は堪えきれなくなって嗚咽する。涙がとめどなく溢れ出てきた。


「結局、余計なことしちゃっただけか……」

「そんなことない!」


 背後から独り言に応える声に驚いて、俺はとっさに振り向く。目の前には森の奥に逃げたはずだった亜人の少女が立っていて、俺の顔を心配そうに覗き込んでいた。


「君は……生きてたんだな」

「んっ。バラバラになっちゃったけど、他の子もきっと大丈夫」


 きっと大丈夫……と少女は自分に言い聞かせるかのように繰り返した。そして俺の手を取って握りしめる。


 実際のところ俺の手はもう何も感じなくなっていたが、少女の手はきっと暖かいはずだ。少女が俺の怪我の状態を確認し始めると、その顔からどんどん血の気が引いていった。

 

「神様、どうかこの人を助けてください」

 そう祈る少女の声は震えていた。


「君さえ生き延びてくれればいい。だから早く行って……」

「駄目!」

   

 俺は自分の口に指を立て、少女に大声を出さないように注意する。


「神様、どうかこの人の命をお救いください。どうしてもこの人の命を奪うというのなら、わたしの命を替わりに持って行って!」


 俺のために祈ってくれるその心は嬉しい。だが、その声は益々と大きくなっていっくのはまずい。


 あの冒険者はもちろん、もっと危険なナニかまで引き寄せてしまうかもしれない。


 俺は静かにするように繰り返し言うが、少女は一向に聞いてくれない。


 毒のせいか怪我で血が流れ過ぎたせいか思考するのが難しくなってきた。どうすればいいのか考えるのも辛い。


 俺はこの地方に古くから伝わるバラッドの一節を思い出し、繰り返しつぶやいた。俺が言いたいことが全部詰まっていたから。


 夜の森で願い事を口にしてはいけない

 もしも魔女に聞かれてしまったら

 願いも命も奪われる

 

 消え入るような声でつぶやき続けるうち、少女は俺の言葉に気が付いて叫ぶのをやめた。


「毒に……やられてる。俺はもうすぐ死ぬ。君は逃げて……生き延びて」

「駄目! 死んじゃ駄目! せっかく助かったのに! わたしを独りにしないで!」


 少女はまた大声を張り上げ、ただひたすら神様への懇願を繰り返し始める。


「神様! この人を助けて!」


 だから大きな声を出すな。さっさと逃げろと言っているのに……。

 

 俺は自分の命がこの世から剥がされつつあるのを感じ始めていた。もうどうしようもない。このまま死を受け入れよう――と思ったその刹那、ナニかが俺の耳元で囁いた。


「ここにも居たよ迷い子が……」


 死にかけていた俺の身体がぶるぶると震える。その声はそれほどに冷たくて暗くて……


 なにより邪悪に満ちていた。


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