第2話 指が覚えていたこの番号を何度押そうとしただろう。
――その日の夜。
結衣が自分の部屋で寛いでいた頃、電話が鳴った。
今日、交換したばかりの名前を見て眉をひそめる。
かかってくるだろうことは予想していたが、実際かかってくると出ることを躊躇ってしまう。
ため息をついて電話に出た。
『……結衣?』
「はじめまして、じゃなかったの?」
懐かしい声で名を呼ばれ、思いの外動揺する。
思わず冷たい声で返してしまった。
電話の向こうで彼方が息を詰まらせるのがわかった。
スマホを耳に当てたまま、結衣はベッドに腰掛けた。
重い空気が流れる。
『いや……その……ごめん』
「どうするの?このまま黙ってるの?」
考えているのか沈黙が続く。
どうするつもりなのか。
このまま黙っていても、いつか奈緒を傷つけるだけだと結衣は思う。
奈緒の無邪気な笑顔が頭に浮かんで消えた。
『……奈緒には俺からちゃんと話す』
「それがいいと思うよ。じゃないと奈緒が傷つくから」
結衣の脳裏に過去の記憶が蘇る。
まだ事故に遭う前、幸せな記憶に胸が痛む。
交通事故に遭い不自由な脚になったのは、まだ彼方と付き合っていた頃だ。
『脚は大丈夫なのか?』
彼方の声に現実にかえる。
不自由な脚、失ったもの。
取り返しのつかない過去を想う。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
「……うん」
『そっか、なら良かった』
続かない会話に時の隔たりを実感する。
あの頃は会話が途切れることなんてなかった。
目を閉じて考える。
もう会うつもりなんてなかった。
一度消した連絡先、指が覚えていたこの番号を何度押そうとしただろう。
結衣はあの日から立ち止まったまま。
だけど、彼方はちゃんと前に進んでいた。
閉じた瞼に涙が滲んで、大きくため息をついた。
電話を終え、そのままスマホをベッドに投げ出す。
複雑な想いが胸をよぎる。
奈緒がこのことを知ったらどう思うだろうか。
最初に初対面のふりをしたのは彼方だ。
だけど、結衣もとっさにそれに合わせた。
奈緒からしたら親友と彼氏に嘘をつかれている状態だ。
いくら朗らかな奈緒でも、さすがに怒らないわけない。
再会しなければ良かった、なんて想いが胸中に浮かぶ。
今更会ったところで虚しくなっただけだ。
再びため息をついた。
考えても仕方ないと、結衣は思考を放棄した。
そして、数日後。
4人は共に食事に行くことになった。
奈緒の様子からして、彼方はまだ話していないらしい。
結衣は正直な気持ち、4人で会うことに気乗りしないでいた。
ただでさえ、この数日の間何も知らない奈緒に罪悪感を抱えていた。
奈緒にまた秘密を抱えている。
せめて、全て話した後ならとも思う。
待ち合わせのカフェテリアに向かうとそこには葵がいた。
結衣に気がつくとひらひらと手を降った。
彼方と奈緒はもうひとコマ授業があるらしい。
結衣は葵の正面の椅子に腰掛けた。
「お疲れ。授業終わった?」
先に来ていた葵がにこやかに話す。
葵と会うのは初めて会った日以来、つまりちゃんと話すのもそれ以来だ。
調子よく周りの空気に合わせられる人、結衣が感じていた葵の印象だ。
「うん。蓮見くんも終わったの?」
「葵、でいいよ。苗字で呼ばれるの嫌いなんだ」
葵は笑顔は崩さないが、絶対的な響きだ。
本当に嫌なんだろう。
「でさ、聞きたいことがあるんだけど」
サラリと話題を変える。
こういうところがスマートだけど、掴みどころのないというか、よくわからない人だ。
こちらを意味深にジッと見つめてくる。
茶色がかった瞳、サラリと長い前髪が揺れる。
こんなふうに見つめられたら好きになってしまう女の子もいるだろう。
「結衣ちゃんと彼方って何かあるの?」
思わずカップを持っていた手が止まる。
心臓がドキリと跳ねた。
「何かって何?」
「初めて会った時さ、彼方が不自然に喋らないわりに、妙に結衣ちゃんを気にかけてたから」
落ち着くために持ったままになっていたカップに口をつけ、珈琲を含む。
珈琲の苦味が口の中に広がる。
ここの珈琲はこんなに苦味が強かっただろうか。
「……そうかな?」
「あいつ、嘘つけないタイプだしね。何かあるなら、相談のるよ?」
ニコリと笑う葵くんに結衣も同じく薄く笑う。
傍目に見ると和やかな談笑に見えているだろう。
しかし、ふたりの間には薄ら寒い空気が流れている。
「ありがとう。何もないから大丈夫」
結衣は心の中で葵の印象を訂正した。
掴みどころのない、というより食えない男のようだ。
「おまたせ!」
ちょうどいいタイミングで奈緒がやってきた。
授業が終わったのもあって、ニコニコとご機嫌だ。
結衣たちのこの空気に気づいていない、明るい態度に力が抜ける。
思いのほか、緊張していたようだ。
直後に彼方も来たので、カフェテリアから移動することになった。
大学の近くにある個室レストラン。
学生向けでリーズナブルなので、結構人気がある。
奈緒とも何度か行ったことのある店だ。
なので、店員さんもさり気なく出入りのしやすいテーブル席に案内してくれた。
結衣の隣には奈緒が座り、向かいには葵と彼方が並んで座った。
配られたメニューを眺める。
ふと視線を感じて、顔を上げると彼方と目があった。
途端に彼方はメニューに目を落とす。
気まずいなら見ないで欲しい。
「これ、うまそーじゃない?」
向かいにいた葵がメニューを指さしながら言った。
彼方とのやりとりに気がついたのだろう。
葵はニヤニヤと意地の悪い瞳で結衣を見ていた。
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