第二百六十九話 破局

 歩行要塞モビルフォート・"ヴァライザー"撃破の報を受けた皇帝ウィレンジアは、喜ぶ前にまず安堵した。


「やっと……墜ちたか……」


 深く息を吐きだしつつ、皇帝は眉間を揉む。実際は峡谷内に閉塞されていた時間は大して長くはなかったが、待っている方としてはまさしく一日千秋の思いだったのだ。


「"ヴァライザー"の脅威が除かれた以上、あとはこの穴倉から抜け出すだけ。だが……」


 正面モニターに映し出された艦外の様子を見ながら、皇帝は唸る。敵の制圧射撃は現状行われていないものの、艦が飛び出せば当然皇国軍は全力で火力を集中するだろう。

 皇帝の脳裏に浮かんでいたのは、総旗艦"オーデルクロイス"が高度を上げた時のことだった。帝国でもっとも装甲の厚いこの戦艦ですら、すくなくない損傷を受けたのだ。"ヴァライザー"は居なくなったとはいえ、敵の火力は決して油断できるものではない。


「……"ラー・グルム"は用意できているか?」


「は……?」


 予想外の言葉に、侍従は一瞬困惑した。"ラー・グルム"は皇帝の専用機だ。無論、ヴルド人の指揮官の常として、乗機はいつでも出撃できるようスタンバイしてある。しかし、皇帝自身あまり自分から前線に出るタイプではないし、そもそもこのタイミングで皇帝がストライカーに乗って出撃する必要性は皆無のように思える。

 とはいえ、皇帝相手に抗弁する愚は、侍従とてよく理解していた。ささいな理由で部下を殺すのが、この女だ。何を言われようが、無心で従うのが一番安全である。


「もちろん、今すぐ出撃可能な状態です」


「いいだろう、余自ら出撃する。余の発艦と共に、"オーデルクロイス"を先鋒に敵の包囲を突破せよ」


 司令官席からガタリと立ち上った皇帝は、不遜にほほ笑みつつ命令を下した。

 実際のところ、皇帝の狙いは至極単純なものだった。皇国軍は、おそらく"オーデルクロイス"に集中攻撃をかけるだろう。で、あるならば自分だけ目立たないストライカーで退避しておけば良い。こすい手だが、皇帝は意地や見栄のために命を懸けるのは愚かだと考えていた。"オーデルクロイス"が沈むのは業腹だが、囮としてこの上ないというのは事実なのだ。

 そういうわけで、皇帝はさっさと格納デッキに移動し、カタパルトから愛機"ラー・グルム"を射出させた。整備員やデッキクルーたちが総員帽振れで見送るが、当然皇帝はそんなものは一瞥もしない。


「さて、皇国の連中はどうでるか」


 時期の周囲に近衛機が集まってくるのを確認しつつ、皇帝は呟いた。その機体軍の中には、当然異形の白黒ストライカーも二機混ざっている。補充した新たな四天の、残りの二人だ。


「なんにせよ、勝つのは余だ。この屈辱は、百倍にして返してやる……」


 万一"オーデルクロイス"を失ったとしても、帝国軍にはまだ十分な戦力がある。多少被害は受けたが、それでも皇国軍をひねりつぶすには十分だ。

 そんなことを思いながら上昇していく"オーデルクロイス"を見送っていた皇帝だったが、次の瞬間凄まじい大爆発が谷の両側で発生した。太陽を思わせる閃光が艦隊を包み込み、同時に発生した爆風と衝撃波が、"ラー・グルム"を激しくシェイクする。


「ぐわーっ!!」


 情けない悲鳴を上げる皇帝。コックピットのサブモニタに、機体損傷を知らせるいくつものポップアップが現れては消えた。くらくらする頭をふりつつ、皇帝はなんとか意識を保った。皇帝専用機の特別製の耐衝撃機構と、ヴルド人の強靭な肉体をもってしてなお気絶しそうになる衝撃だ。尋常なものではない。

 しかし、何が起こっているのかを予想しているような余裕は、皇帝にはなかった。真上から、直系一キロはありそうな巨大な氷塊がいくつも落ちてきたからだ。視界の端では、氷塊の直撃をうけた帝国艦がいくつも谷底へ落下していく姿が見える。


「う、うわわわわーっ!?」


 顔色を失いながら、皇帝はなんとか氷塊を回避した。しかし、氷塊はいくつもいくつも落下してくる。峡谷の本格的な崩落が始まっているのだ。このままでは、回避が間に合わなくなってしまうかもしれない。皇帝は慌ててスラスターを吹かし、機体を急上昇させた。近衛機もそれに続く。

 突然の惨劇に、峡谷から出れば敵の集中砲火を浴びかねないだなどという考えは、皇帝の頭からはすっかり抜け落ちていた。しかし幸いにも、氷山群のたちならぶ地上へ飛び出してきた皇帝たちに、砲弾が降り注いでくることはなかった。いそいで峡谷から離れつつ、皇帝は顔に浮かんだ冷や汗をぬぐう。


「ぐ、ぐぬぅ……いったい何が……」


 爆発音と崩落音は、いまだに響き続けていた。音の具合からして、かなり遠くのものも混ざっている。どうやら、峡谷の相当広い範囲が爆破されたようだ。おそらく、今頃は艦隊のほとんどが生き埋めになっているだろう。

 宇宙戦闘艦の装甲は極めて強靭だから、そのくらいでは致命的な損傷は受けない。とはいえ、大量の氷塊に押しつぶされれば、脱出は極めて難しいだろう。皇国軍は、最初からこのつもりで峡谷に爆薬を仕掛けていたのだ。


「お、おのれェ……!」


 怒りから肩をプルプル震わせていた皇帝だったが、彼女の受難はこれで終わりではなかった。突然、機体の電子音声が騒ぎ立てる。


『高質量体接近! 高質量体接近!』


 その時、中天に浮かんでいた恒星ガレアが何かによって遮られた。一瞬にして夜が訪れたがごとく、周囲は真っ暗になる。慌てて皇帝が天を仰ぐと、そこにはジャガイモめいた岩塊が浮かんでいた。岩塊は、断熱圧縮によって真っ赤に染まっている。

 "衛星ガレアe-1"。モニターに表示された岩塊の名前だった。惑星ガレアe唯一の衛星だ。それが、猛烈な勢いでこちらに迫ってきている。皇帝の顔色が、真っ青を通り越して土気色になった。


「あ、あ、あ、あの女……! 実の母親の頭上に、隕石を落とすのか!!」

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