第百十九話 供物(2)
空気を裂くような音を立てて、鞭が輝星に襲い掛かる。その派手な音に、ヴァレンティナがびくりと身を震わせた。
「あ痛っ!!」
思っていたよりはだいぶマシな痛みだったが、それでも輝星は思わず声を上げた。鞭で打たれた部分が、ヒリヒリとしている。しかし媚薬の影響か、その痛みも妙に心地よく感じてしまうのだからたちが悪い。
「お、俺はそっちの趣味はないんだけどぉ……」
「大丈夫だ、すぐ好きになる」
返ってきた答えは無慈悲なものだった。容赦のない鞭による
「うむ……?」
十発ほど輝星を叩いてから、ふとディアローズが手を止めた。コトを始める前にはあれほど興奮したというのに、なぜか彼女の顔には冷静さが戻っている。
「妙に……しっくりこぬな」
困惑しつつ、ディアローズはもう一度輝星を鞭で叩いた。そんな趣味がない者でもサディストに目覚めてしまいそうな耳触りの良い悲鳴があがったが、不思議と昂らない。思わず動きを止め、ディアローズは鞭を手で弄った。
「スパンキングはこやつには向いていないのかも……」
鞭を捨て、ディアローズは唸った。いっそそのまま抱いてやろうかと思ったが、それでは芸がない。まずはいたぶり、輝星を屈服させてからコトに及びたいところだ。
少しの間ディアローズは考え込み、そして結論を出した。叩いて駄目ならば、言葉責めだ。鞭を投げ捨て、汗まみれになった輝星の顔に自らの顔を寄せるディアローズ。
「そう言えば聞いたことがある。
嬲るような口調でそんなことを聞くディアローズ。もちろん、彼女は結構な地球通なので現在の地球が男女平等社会を標ぼうしていることは知っている。あくまでプレイの一環で極端なことを言っているだけだ。
「それに比べて貴様はどうだ。女に好き勝手やられて、恥ずかしくはないのか? ん?」
ぺちぺちと輝星の頬を叩きながら、ディアローズが言う。輝星は真っ赤な顔をして唸った。
「くく、何を言っているのかわからんぞ。んー?」
ニヤと笑って、ディアローズは輝星の唇を啄む。そして首筋の汗を舐めた。
「まったく、我が姉がここまで卑劣で破廉恥な女だとは思わなかった! 恥を知るべきなのはあなただ!!」
すかさず罵声を飛ばすヴァレンティナに、ディアローズもさすがに興がそがれたような表情を見せる。情報端末を操作し、向こう側の部屋のマイクをカットした。これでヴァレンティナが何を言おうがこちら側には聞こえない。
「ふ、ふん。しかし、情けない姿だな。一方的に女に責められて、抵抗もできぬとは。大和男児の誇りもボロボロだろうな?」
「せ、戦場ならあんたを滅茶苦茶に出来るんですがねー!」
さしもの輝星もここまで好き放題されれば腹も立ってくるというもの。ディアローズの目を真っすぐに見つめながら、そう反論した。
「滅茶苦茶、く、くく……そうだな? だがどうせなら、ベッドでも滅茶苦茶にしたいだろう」
艶やかな笑みを浮かべて、ディアローズは輝星を煽る。彼の腹を指先でやさしくなぞり、付着した汗を舐めとった。
「今の貴様のように、
その言葉が輝星に向けたものなのか自分に向けた言葉なのか、ディアローズは自分でもわからなかった。だが、まるで決定的なことを言ってしまったかのように口を手で押さえる。彼女の背筋には、今までにない快感が走っていた。
「まったく、貴様はとんでもないスキモノだな」
スキモノはお前だと思わず突っ込みかけた輝星だったが、ディアローズの様子がおかしいことに気づいて言葉を止めた。彼女は懐から取り出した端末をチラチラと見ながら、熱に浮かされた様子でぶつぶつと言い続けている。
「
ディアローズは、自分の言葉でどんどんと勝手に興奮が高まっている様子だった。真っ赤な顔に汗を浮かべながら、端末と輝星を交互に見比べる。そしてなんと、突然端末の拘束解除ボタンを押してしまった。
「あっ」
自分でも無意識だったのだろう、ディアローズが間抜けな声を上げた。だが縛めを解かれた輝星が、彼女に向かって全力で突っ込んでくるのを見て歓喜の表情を浮かべる。
「ああ……」
両手を開いて輝星を受け止めようとするディアローズに、彼は容赦なくタックルした。両者の体重と筋力の差は歴然であり、本来であればディアローズの体は揺るぎもしなかっただろう。しかし彼女はわざと倒れ込み、地面に押し倒された。自分に馬乗りになった輝星を見て、ディアローズは至福の笑みを浮かべる。
「貰った!」
が、無論輝星の狙いはディアローズの身体ではない。手からさっと情報端末を奪い取り、適当に操作する。興奮しきって頭のぼやけたディアローズは、それに抵抗できなかった。
「あ……」
部屋を隔てていたガラス壁が収納されていく。輝星が即座に彼女の身体から離れると、ディアローズは驚くほど悲しそうな表情でそれを見送った。そしてすぐに我に返り、身を起こす。
「よくやった!」
が、即座に飛んできたヴァレンティナの飛び蹴りが、彼女の身体を吹っ飛ばした。
「ぐぇっ!」
壁にぶつかりくぐもった声を上げるディアローズに、ヴァレンティナがさらなる追撃のパンチを喰らわせる。腹に全力のストレート・パンチが突き刺さったディアローズは、情けない悲鳴を上げて気絶した。
「な、なんだかわからんけど助かった……」
真っ赤な顔のまま、輝星がため息を吐く。
「姉が変態で助かった……我が愛、これを使うんだ」
そんな彼に、ヴァレンティナが拳銃型の無痛注射器を手渡した。浸透圧で薬液を注入する、無針タイプのものだ。
「解毒剤だ。姉の乱心は予想済みだったからね、用意しておいたんだ」
「ああ、助かるよ。全くひどい目に合った」
輝星は頷き、腕に注射器を当ててトリガーを引いた。薬液が体に入ると同時に、身体を蝕んでいた甘美な熱が退いていく。
「よし。では、急いで逃げよう」
来ていた軍服の上着を脱ぎ、輝星に羽織らせてやりながらヴァレンティナが言う。服の上から鞭を喰らったせいで、今の彼は随分と煽情的な格好をしているのである。こんな状態で外に出すわけにはいかなかった。
「いくら愚かで破廉恥な相手とはいえ、上官に暴力を振るってしまったのだ。わたしもタダでは済まないだろう。面倒なことになる前にここを離れた方がいい」
「た、確かに……ごめんよ、随分面倒なことに巻き込んでしまった」
「ふっ、気にすることはない。我が愛を汚そうとするのなら、姉だろうが皇帝陛下だろうが戦って見せるとも」
ヴァレンティナはそういうと、ふわりと笑って見せた。
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